(一) 攻 防 1 |
固継の里家を訪ねると、普通ならば里家の世話になっている子供が出てくるはずだが、最初に応対したのは里宰だった。 「ここ最近、妖魔に襲われたり、何者かに攫われたりで子供がいなくなってしまったんです。その上閭胥までもが行方知れずになってしまった」 里宰は肩を落として経緯を話した。 「では、遠甫の行方に心当たりはないのですね?」 「殺された子供以外の血も大量にありました。あれで生きておられるとは思えない。しかし、一人残った子供が行方を探しに行くと言って、出ていったままなのです」 「子供が一人で?里家の子供はいなくなったのではないのですか?」 「ああ、その子は妖魔を一人で二頭も倒すような子供です。それに、正式には里家の子供という訳ではありません。海客でこちらのことがわからない為、遠甫に教えを請う為にここへ来たのです。お知り合いですか?」 顔色の変わった浩瀚に里宰が尋ねた。 「その子は髪の紅い十六くらいの娘ですか?」 「そうです!ちょっと見た目には少年のようですがね」 浩瀚はくつくつと笑った。 「彼女の行き先に心当たりはありませんか?」 「出ていった方角からすれば和州だと思うのですが、どうして和州へ行ったのかはわからないのです。もしも、彼女に会ったら伝えてください。遠甫が見つからなくても戻ってきていいのだと」 里家を出て、浩瀚は和州へ続く広途の先を見つめた。 「柴望と桓堆をよろしくお願いします」 浩瀚は一礼すると騎獣の向きを変え、堯天へ向かった。 靖共が華軒(くるま)で官邸へ戻る途中に荷車やその積み荷が散乱していた。従者がそれを撤去している間に浩瀚は華轢に乗り込み、靖共の口を手で塞ぎ、剣を突きつけた。 「老師を何処へやった?わたしに出てこいというつもりではなかったのか!」 この質問に靖共は眼を見開き、首を振った。 「まだ、しらを切るか?お前が和州侯を飼っていることはわかっているんだ。呀峰を通じて松塾を襲わせただろう?」 憎しみを込めた靖共の視線を受けて浩瀚はくつくつと笑った。 「さすがにお前は無理だったが、お前の子飼いの府吏共なら朝廷を追われるだけの証拠は揃えた。首を洗って待っていろと伝えておくことだ」 靖共は浩瀚を睨みつけたまま両手で口を押さえている手を外した。 「止水郷の朱恩党は貴様の差し金か?」 「さて、どうだろうな。まだ、老師の居所を言う気にはならないか?」 浩瀚は思わせ振りに答えた。 「何のことかわからんな」 「老師の身に何かあったら証拠を待たずに八つ裂きにしてやるから覚えておくことだ」 浩瀚はそう言い捨てると華轢を降り、馬に石を投げた。馬は御者の制止を効かず、前で傷害物を片付けている従者を蹴散らし、元来た道を狂った様に走って行った。 友人の官邸に着くと彼は頭を抱えた。 「とうとう始めてくれたな。止水郷で乱を起こした朱恩党はお前の仲間だろう?」 「期待を裏切って悪いがそれは多分わたしではない。どういう状況か知りたくてここへ来た」 彼は止水郷の拓峰で起きた一連の事件を話した。 「賊は百人位でまだ立て篭もったままらしい」 「わたしがそんな少人数で乱を起こすと思っていたのか?」 「あれだけじゃないんだろう?」 「ふん、それでも朱恩党の連中は人数が非常に少ないということには変わりない。わたしは派手に事を起こせと言ってある。あの男が二、三千人で乱を起こすことはない」 「あの男とは青将軍のことか?」 「さてね。ただ朱恩党を率いているのは主上の可能性がある」 友人は吹き出した。 「主上がそんなことをする必要はないだろう?ご自身で禁軍を率いれば済むことなんだからな。望めば瑛州軍をも動かせる」 「主上の滞在先は固継の里家だった。そこで乙老師にこちらの世界について学ばれていたらしい。その老師が何者かに攫われ、主上がそれを追っていった。以前松塾を襲った連中は止水郷のならず者だった。恐らく裏で糸を引いているのは郷長の昇紘だ。今回の件も奴だったとすると主上が止水郷に行った可能性は高い。それに、朝廷の連中が女王の命を聞くと思うか?それができれば予王もご乱心などされなかった」 友人は腕を組んで眉間に皺を寄せた。 「俺も主上のような気がしてきたよ。じゃあ、どうするんだ?」 「多分、わたしの仲間がこの機会を逃すはずはない。もう一方で更に大規模な乱が起こったら靖共もさぞかし慌てるだろうな。奴の動きをよく見張って置いてくれ。ついでに奴の官邸へ朱恩党の矢文でも送ってやろうか」 「やめておけ。お前の腕じゃすぐに捕まる」 「酷い言いようだな。柴望に鍛えられて少しはましになったのに・・・」 浩瀚は肩をすくめた。 「それでも弓射の才能がないのは確かだろう?人間、苦手なことには手を出さない方が賢明だよ」 |
浩瀚が騎獣商へ立ち寄る途中で衛士に槍で行く先を塞がれた。 「我々に付いて来てもらおうか。抵抗すれば命は保障しない」 「何の咎で連行されるのか教えてくれるんだろうな」 「元麦州侯に似ているからだ」 「そんな理由で証拠もないのに引っ張っていくのか?」 「元麦州侯は乱を企んでいるとのことだからな。それを阻止するには止むをえんということだ。当人が捕まったら出られるさ」 浩瀚が衛士を振り払おうと槍に手をかけようとした時だった。 「元麦州侯がいたぞ!誰か手伝ってくれ!」 近くで声が上がった。二人の衛士は顔を見合わせ、頷くと声のした方角へと駆け出した。浩瀚が肩から息を吐くと衛士が向かった方角にある細い路地から手招きをする者がいた。その者には見覚えがあった。酒楼で喧嘩をした禿頭が早く来いと催促していた。浩瀚は早足で近づいた。 「何の真似だ?」 「あんたを見つけたら連れて来いと言われているんだ。疑うなと言っても無理だろうが、どうする?」 「今助けられた礼だ。付き合ってやる」 「まったく、あんたが温厚篤実な麦州侯だったとは信じられんな」 そう言って禿頭は細い路地を走り抜け、民家の庭を横切り、酒楼の中を通り抜けて柱が緑色に塗られた建物の前に出た。浩瀚もそれに追いつき、正面の伎楼に眼を見開いた。禿頭に背を押されて伎楼に入ると歓声が上がった。先頭に立っているのは年寄りが数人、その後ろには艶やかな女達と腕自慢そうな漢達が大勢いた。 「いつここへ来てくれるかと待っていたのに、水くさいじゃないか!」 小粋な老婆が最初に声をかけてきた。浩瀚が彼女の昔の呼び名で呼ぶと老婆は笑みを浮かべた。 「よくわかったねぇ。この店はあたしが旦那さんから買ったのさ。だから遠慮せずに泊まっておいき。なんなら店で一番人気のある娘を付けてやるよ」 「残念だが、そんな元気はないよ」 ここは先代が妓楼の娘達に習い事をさせ、付加価値を付けて高く売り出していた。それでも娘達の器量で店は繁昌していた。高く売り出してもらえるため、娘達も年季が開けるのも早かったし、この姐さんのように金を貯めることもできた。何にせよ不景気な状況にもかかわらず、この店が人気だったのは娘達の芸だけでなく、明るさだった。そして、自然とあらゆる人間が集まり、情報が集まる店となっていた。 「儂の店で暴れてくれただろう?すっかり逞しくなっちまいやがって!あの頃の白皙の美青年のまま昇仙すりゃぁいいものを」 かつて頻繁に浩瀚に剣の相手を申し込んでいた老人が言った。 「気色の悪いことを言う。だいたい、あれは冗談だったのではないのか?」 「お前さんに関しちゃ本気だった。お前には何というか華があった。鳳凰が地上に降りて人の姿になったような。それが、言葉を話して、怒ったり、笑ったりするのは奇跡のようだったなぁ」 老人が遠くを見て話す様に皆呆れていた。浩瀚も聞くに耐え切れず、頭を抱えた。そんな中、ここの女主人は声を上げて笑った。 「あんたが言うと何でそう変な話になるんだろうね。でも、その爺の言うことは本当だよ。わたし等娼妓をまっとうな人間として扱ってくれたのは先代の旦那さんとそこにいる元麦州侯様だけさ。特に相談をした訳でもないのにほんの二言三言話しただけで悩みが消えちまうような不思議な人間だった。だから当時、この街に集まる者は皆あんたが好きだったのさ」 そう言って彼女は浩瀚を振り向いた。 「まったくだ。お前さんの様な人間が国官になったら王のいないこの国でも暮らし易くなると思っていたんだが、朝廷に見る眼のない奴ばかり揃っていたんじゃ意味がなかったな」 当時の食堂の常連の一人だった年寄りが言った。 「ああ、あたし等は朝廷のことなんかお見通しさ。うちの店の娘達は官吏からしっかり内部の話を聞きだしているからね。連中は娼伎には政治向きの話を理解できるなんて思っちゃいないから何でも話す。あんたが国外追放になった経緯もね」 「朝廷に喧嘩を売ったそうじゃないか。あんまり、柄は良くないが、こいつ等を好きに使っていいぞ」 二十代前半の浩瀚に惚れていたという年寄りが後ろを指さすと、そこに控えていた連中は使えるなら使って見ろと笑っていた。 「この年寄り共はこの街に問題が起こるとあんただったらどうするかと毎回顔を突き合わせているのさ。お陰でこの街はこの年寄り共に仕切られている」 禿頭が説明した。 「わたしを狩ることは諦めたのか?」 「最初から狩る気はなかったさ。そんなことをしたらこの街にいられなくなる。まあ、この年寄り共の話は胡散臭くて信じられなかったがな。大体、何だって朱旌の真似なんぞしていたんだ?」 「国外追放の身だからな。半分は朱旌みたいなものだろう?」 「あんただったら朱旌になんぞならなくても、他の国でも官吏になれるだろう?」 「お前達がいない国で官吏になって何をしろと?」 浩瀚の言葉にその場にいた全員が沈黙した。そして、禿頭が態度を一変させ、浩瀚に抱きついてきた。皆も歓声を上げた。 「爺共の気持ちが今わかったぜ!確かにあんたは最高だ!あんたの為なら、何だってしてやる!何をすればいい?」 「わたしは和州へ行かなければならないが、外を歩くと衛士に捕まるようだ。誰か騎獣商へ行って、わたしの騎獣を連れてきて欲しい。そして、わたしがまだ堯天にいるように振る舞って衛士の関心を逸らしてくれれば助かる」 浩瀚は禿頭の腕から逃れながら言った。 「騎獣の扱いは俺が慣れている。連れてきてやるよ」 漢達の中から一人の男が手を挙げた。 「後は暴れるのは任せとけ!」 禿頭が右手の握り拳を突き上げると後ろで控えていた連中から歓声が上がった。 「じゃあ、景気づけも必要だね。好きなだけお飲み!あたしらからの奢りだよ!」 この店の女主人の言葉に雄叫びのような歓声が響き渡った。 「もう一つ頼みたいことがある」 浩瀚が禿頭に言った。 「何だって聞いてやるって言っただろう?」 酒杯を手に上機嫌で禿頭が答えた。浩瀚も酒杯を押しつけられた。 「左腕に妖魔の爪痕が残っている男を捜している。見つけたら居所を探っておいてほしい」 浩瀚は腕を出し、三本の指でその傷跡の位置を示した。 「ああ、そういえば最近見かけないな。手下を大勢引き連れて随分羽振りがよかったぜ。そいつは何をしたんだ?」 「元麦州侯の暗殺未遂」 浩瀚は他人事のように言った。 「あんたのことじゃねぇか。しかし、そういうことだったら徹底的に探して捕らえておいてやるよ。別に無傷でってことじゃぁないんだろう?」 「立って歩いて、口が利ければいい」 禿頭は歯を剥き出して笑った。 「益々あんたが気に入ったぜ!ところで、どうやって和州へ行くつもりだ?」 「趨虞(すうぐ※当て字)で空から行く」 禿頭は短く口笛を吹いた。 |
浩瀚が趨虞で向かった先は明郭ではなく、止水郷だった。瑛州と和州の州境に近づくと眼下が松明で明るく照らし出され、そこには見知っている父娘と腕に妖魔の爪痕がある男がいた。その周りは弓矢槍を持った衛士が控えていた。浩瀚は彼等の前に降り立った。 「青将軍!」 商家の父娘が叫んだ。 「将軍ではないだろう。あんたは必ず拓峰に行くだろうと、ここで待っていた甲斐があった。元麦州侯でよかったんだよな」 腕に妖魔の爪痕がある男が言った。娘は眼を見開き、父親の方は「やはり」と唸った。 「そうだ。だからその父娘を放せ」 「この状況で助けられるものなら助けてみるんだな。とりあえずは土下座でもしてみるか?」 言って男は高笑いをしたが、浩瀚が剣を抜いて白刃を己の首に当てると眼を剥いた。 「今度の命令は殺せということではない筈だ。その二人をわたしの乗ってきた趨虞に乗せろ!」 男はくつくつと笑って、父娘の縄を解き、背中を押した。二人は浩瀚に向かって駆けてきた。 「死んだ方がましだとは思わないのか?死ななくても廃人同様になるぞ」 「逃げて下さい、侯!あの人達は貴方を拷問にかけると言っているんです!」 娘は浩瀚の背中にしがみついて言った。 「拷問で死ぬほど柔ではないので心配はいりませんよ。それよりも、お嬢さんに頼みたいことがあります。その趨虞が案内する人物にこれを渡して下さい。ちょっと人の悪い年寄りですが、危険な人物ではありません」 浩瀚は眼前の男に視線を据えたまま懐から朱旌を出し、娘の手に押しつけた。しかし、娘はそれを受け取らなかった。 「いやです!わたしなんかが助かるより、貴方が生きている方が慶の為になります。どうか、多くの民の為にも逃げて下さい!」 浩瀚は溜息を突いた。 「よくお聞きなさい。国とは王や官で成り立っているのではなく、民で成り立っているのです。貴方はこれから漢人を見つけて子供を持つでしょう。それこそが慶の未来の為になるのです。わたしはこう見えても貴方の父上より長く生きています。自分の命を守るために千人以上の刺客をこの手にかけながらです。それも交易の要所である麦州の財源を盾として朝廷に圧力をかけていたせいでね。そんな人間に子供を授けるほど天帝は慈悲深くはない。慶の為にも貴方は生きるべきであり、貴方が成人するために貴方の父上も生きなければならない。おわかり頂けたらその趨虞に乗って下さい」 娘はそれでも首を振ったが、父親が浩瀚の朱旌を受け取り、娘の手を引いて趨虞に乗せた。 「申し訳ありません、侯。わたしは人の親として貴方より娘の命の方が大事です。貴方の頼みはわたしが引き受けましょう」 そうして、やっと商家の父娘はその場を去った。 「剣を取り上げろ!」 腕に妖魔の爪痕がある男が言うと、衛士が浩瀚に近づいてきた。浩瀚は自分で剣を収めると鞘ごと衛士に渡した。 「あんたは油断も隙もない男だ。このまま運ぶには物騒なんでな。しばらく眠っていてもらうぞ」 腕に妖魔の爪痕がある男はそう言って浩瀚の背後を思い切り殴った。 This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.
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