(二) 潜 伏 3 |
「どうしたんだ?その顔は」 友人はくつくつと笑いながら開口一番に聞いてきた。 「三十数年ぶりに殴り合いの喧嘩をする羽目になったよ」 濡れた布を頬に当てながら浩瀚が言った。 「お前、どんどん昔に戻って行くのな。温厚篤実な麦州侯様は何処へやらだ」 「わたしは大学で喧嘩をした覚えはないぞ」 浩瀚は不機嫌に言った。 「伎楼のある街で喧嘩をしなかったとは言わせないぞ。それで勝ったのか?」 「当然だ。こっちは州軍の左将軍に毎日鍛えられていたんだ。匪賊(ごろつき)相手に負けるか。向こうの面相はもっと変わっている。わたしの手配書があちこちに貼られているからこれで都合がいいというものだ」 「手配書?そんな話は朝廷では聞かないな」 茶を入れている手を止めて友人が振り返った。 「たいそうな賞金がかけられている。どうせ靖共が裏で手を回しているのだろう」 友人は肩を竦めた。 「主上の行方なんだがな、どうやら雁にはいらっしゃらないようだぞ」 「どういうことなんだ?」 「主上が雁国に政について学ぶと言ったら玄英宮にご滞在なさるはずだろう?だがその様子がない。これは冢宰付きの府吏から仕入れた話らしいんだが、延台輔が冢宰に海客の旌券を作ってくれと頼まれたらしい。」 友人は茶を差し出して浩瀚の目の前に座った。 「まさか、主上の為に?」 「その可能性が高い。実際、主上が金波宮を出る前には延台輔がおいでだった。そして、雁国の旌券を持ってお出かけだとしたら雁より慶だと思う。景台輔はご存知らしいが、聞いても教えてもらえないだろうな」 「主上に前もって和州の件をお知らせするのは諦めるしかなさそうだな。事が起これば、景台輔が主上にご報告してくれるだろう」 「お前、考え直す気はないか?今回ばかりは本当に死罪に追い込まれるぞ。今までは冤罪だったと言い逃れようもあるが、乱を起こしたらそれもできん。禁軍に追われればいくらお前でも逃げ切れるものではないんだぞ」 「もう他に手はない。何があっても逃げ切ってみせるから見逃してくれ」 「何処に逃げると言うんだ?禁軍に追われれば国外へ逃げても無駄なんだぞ!」 「禁軍が追ってこない場所がないわけではないさ」 友人は眼を大きく見開き、口を固く結び、鼻穴を開くと卓子を思い切り叩いた。 「あそこは人間の住む処じゃない!それこそ死んだと同じだ!」 「しっかり、生きている人間もいるんだがな」 くつくつと笑いながら浩瀚が言うと、友人はひらひらと手を振った。 「ああ、ああ、お前ならば妖魔を飼い慣らして楽しく暮らせるさ。勝手にしろ!」 |
浩瀚は柴望から和州へ行っている桓堆からの報告を聞いていた。 「和州では商人の荷を襲う草寇は罰せられないそうですよ。半分以上を税で搾り取られて食うに困った者が草寇になり、州軍に捕らえられても奪った荷を渡せば放免されているらしいですね。草寇に失敗しても成功するまで繰り返せば飢えが満たされる。そうなれば必死にもなるというわけです」 「さすが、靖共の子飼いだけのことはあるな。余計なことに知恵が回る」 「本当に呀峰は大宰と繋がっているのでしょうか?」 「拓峰での税七割の内、昇紘の取り分が二割、呀峰が五割で昇紘のような奴が納得すると思うのか?呀峰以上の者に三割を渡していると考えた方が当然だろう?」 柴望は溜息をついてから、くすりと笑った。 「ああ、桓堆の処に芳から来た祥瓊という娘がいましたよ」 「芳の元公主と同じ名だな」 「貴方もそう思われますか。磔を見て兵士に石を投げて追われたところを助けたようです」 「噂とは別人のようだな」 「ええ。しかし、一般の民では付けそうな名ではありませんし、美しい娘でしたよ」 「噂の方が嘘だった訳ではあるまい。さもなくば父親に殺されるか、監禁されるかしていた筈だからな。その娘は元公主と同名の別人か、父王が死んでから改心したかのどちらかだろう」 「どちらだと思われます?」 「同名の別人でも慶くんだりまで娘が一人で来ないだろう。後者の可能性が高いが、だとしたら大したものだ。靖共は見習うべきだな」 「そうですね。それと、桓堆は和州の食事が不味いと嘆いていましたよ。貴方の作る食事が恋しいと言っていました。報酬はそれに酒が付けば言うことはないそうですよ」 柴望は笑いながら言い、浩瀚は頭を抱えた。 「あいつは食事の作れる人間は集めないのか?軍での宿営はしっかり出来るくせに何故、家事ができないのか不思議だな」 「桓堆は少々極端ですが、誰でも得手、不得手はあるでしょう。貴方も弓射で動く的を射るのは苦手でしょう?短剣を投げれば的がどんなに動いていても貫くことが出来るのにです。わたしにはそれが不思議でなりません」 「相手が眼の前で死ぬのを見たいからかな」 浩瀚は組んだ指先を見つめて言った。 「やむを得ず人を殺す時には、その責任を負う覚悟をするためだと聞こえますよ」 「お前も随分と人が悪くなったな」 「貴方と二十年以上も付き合っていますからね」 浩瀚は肩を竦めた。 「この件が終わったら、わたしは桓堆と宿舎をやっている気がしてきたよ」 「それが技楼でなければわたしにも声をかけて下さい」 浩瀚は頭を抱えて溜息をついた。 |
浩瀚が商家を出ようとした時、家公に呼び止められた。 「青将軍、差し出たお願いとは存じますが、娘の護衛をお願いできないでしょうか?郷の外れまで出かけたいと申すのですが、まだ妖魔が出そうで気が気ではないのです。勿論、ご都合が付かなければ娘の外出を諦めさせます」 「彼女にはいつも世話になっているので喜んでお引き受けしますよ」 「そう言って頂けると思っていました。よろしくお願いします」 主人の娘の歳は十七と聞いていた。娘は共の者に大きな荷物を運ばせていた。 「青将軍、麦州侯はどんな方なのかしら」 「将軍はもう罷免になっているので青でかまいませんよ。お嬢さんが杖身に敬語を使う必要はありません」 「そんなことできません!将軍に非があったのならばともかく、主上の誤解によるものなのでしょう?堯天の民も麦州侯が謀反を企んでいたなどとは信じていません。麦州侯はとてもご立派な方と伺っています。将軍にとっては厳しい方なのでしょうか?でも、きっととても真面目方ですよね」 浩瀚はくすくすと笑った。 「普通の人間と特に変わったところはありませんよ」 「将軍はわたしが子供だからそんな風に仰るのですわ」 「からかってなどいないつもりですが、そんなに元麦州侯が気になりますか?」 娘はこの質問に俯いてしまった。 「将軍は父の態度が変だとお思いになったことはございませんか?」 「どういう風にです?」 「最近の父はおかしいのですわ!父はわたしと麦州侯を結婚させたがっているんです。そんな莫迦なことは通らないって言っても今はただ人なのだから可能性はあると言うんです。父は麦州侯の才能にとてもとても惚れ込んでいて、わたしも絶対に気に入るからと言って聞かないんです!」 娘は眉根を寄せて早口にまくし立てた。浩瀚はその剣幕に怯んだ。 「お嬢さんはどなたか漢人(いいひと)はいらっしゃらないのですか?」 「いたら、悩みません!十七で結婚したい相手がいる者など早々いるとお思いですか?」 「悩む必要などありませんよ。あの人は刺客にとてもおもてになるので結婚は出来ないんです。そんな危険な男の処に大事な娘を嫁に出す親もいないでしょう?」 「まあ、民の為に働いて、ご自分は命を狙われているなんてあんまりです!」 浩瀚は苦笑した。 「命を狙われていることと、政務は別ですよ。強いて言うならば性格の問題なのでお気に病まれないほうがいい」 「それでは将軍が大変ですね」 浩瀚の脳裏には大きく頷く桓堆が浮かんでいた。 「そうですね。ああ、あの里家へ向かうのですね?ならばそこから行きましょう」 眼の前には遙か昔の懐かしい光景が広がっていた。浩瀚が指さしたのは畑の中だった。行けば獣道のような細い通路があった。里家へ続く通りは大きく湾曲していた。この通路は一直線に里家へ続いているに違いなかった。 「やはり、人間の習慣なんて早々変わるものではないな」 浩瀚の独白に娘は首を傾けた。 「将軍はここのご出身なんですか?」 「これから向かう里家へ一時預けられたことがあるだけですよ。もっとも、五十年前のことですが」 娘は後ろで黙ってしまったが、浩瀚はくすくすと笑った。 「里家の子供は皆不幸ですか?」 「いいえ、とても元気があります!」 「わたしも元気があり過ぎてよく閭胥に叱られていましたよ」 今度は娘の忍び笑いが聞こえてきた。 里家からの帰り、街へ入りかけた時に近くで悲鳴が上がった。叫び声から妖魔が出現したのだとわかった。 「お嬢さん達はその建物の陰に隠れてじっとしていて下さい。わたしが迎えに行くまで決して出て来ては行けません!」 浩瀚はそう叫ぶと悲鳴の聞こえた通りへと駆けだした。通りに出ると天犬が一人の人間に狙いを定めたところだった。浩瀚は刀を抜き、自分の右腕を斬った。天犬は血の臭いに反応して浩瀚を見た。浩瀚は口元で笑うと反転して元来た道を引き返した。街を出た処で振り向くと天犬が狙いを自分に定めていた。浩瀚は天犬の毛並みを判別できるまで待ち、体を沈めて横に跳ぶと両腕に渾身の力を込めて天犬の首に剣を振り下ろした。骨を断つ感触が伝わって、素早く剣を抜くと返り血を避けて横に跳びす去った。 天犬の血で他の妖魔が現れないことを確認すると懐から布を取り出し、剣の血を拭って鞘に収めた。それから、浩瀚は大きく息を吸ってから吐き出し、額の汗を左腕で拭った。 「桓堆ならば首を切り落としているところだが、何とか桓堆の名誉は守れたな・・・」 そう独白すると、懐から取り出した布で右腕の傷を縛って、娘の処へ歩き出した。ここからの帰りは人の詮索を避けて馬車で商家へ向かうことにした。 商家へ戻ると柴望がいつになく難しい顔をして出てきた。 「青将軍、その怪我はどうされたのです!」 「ああ、これは自分でやったものです」 浩瀚は右腕を軽く上げて言った。 「お父様、妖魔が出たんです。将軍は襲われかけた人を助ける為にご自分の腕を斬ったんですわ。そして、噂通りに一太刀で妖魔をお斬りになりました」 「それはどうもありがとうございます。本当に将軍に付いて頂いて良かった」 家公は深く頭を下げたが、表情は何故か落胆していた。 「しかし、目立った真似をしてしまったな。ここは引き払わねばなるまい」 「申し訳ありません」 柴望の言葉に浩瀚は謝った。 「そんな、わたしが将軍に無理を言ってお願いしたことですのに・・・」 「このままでは最悪、あなた方の命が危ない。幸い荷物も少ないことですし、今すぐ出ましょう」 柴望はそう言うと離れへ自分の荷物を取りに行き、すぐに出てきた。 「大変お世話になった。その礼として、侯からの伝言があります。半年以内に朝廷は商家の本格的な調査を始めるはずなので、身辺を整理しておくようにとのことでした」 「おお、それはありがたいことです。麦侯によしなにお伝え下さい」 二人は馬車に乗り、商家を離れた。 「労藩生から連絡が来ました。老師が固継から消えたと」 「攫われたのか?」 「恐らく、里家の子供も一人消え、一人が殺されています。どうも状況が良くない。今までの経緯を考えれば松塾の焼き討ちを命じた人間の仕業ではないでしょうか?わたしはこれから桓堆の処へ赴こうと思いますが、貴方は如何されますか?」 「わたしは一度その里家へ行ってみる。何か手掛かりがあるかもしれない。それに、和州を操っているのは靖共だ。堯天にいる可能性もある。それを探ってからわたしも和州へ行こう」 「連絡はどうします?」 「わたしへの連絡は暫くいい。和州の件はお前達の判断に任せる。くれぐれも死に急ぐなよ。計画が失敗してもやり直せばいいだけだ。逃亡の必要が出たら労へ伝言を入れてくれ。私もそうする」 「わかりました。くれぐれも無茶はなさらないでください」 「それはわたしが妖魔を斬ったことを言っているのか?」 「何も見栄を張って一撃で倒さなくても良いではありませんか!」 「わかった。気を付けよう」 柴望は自嘲するように笑った。 「本当はそんな言葉など信じてはいないんですけどね。我々の命を惜しむのであればご自分の命も惜しんで下さい」 「征州の件から随分と信用がなくなったな。出来る限り努力するということで許してくれないか。それと、わたしは騎獣で行くからここで降ろしてくれ」 浩瀚は馬車から降りると後を付いてきた三騅(さんすい)に乗り、固継へ向かった。 This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.
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