玄の狂気あるいは地に降りた星
(二) 潜 伏 2




 夕刻、浩瀚は官吏が住む住宅街にいた。とある家の前に帰宅した人物を見つけると浩瀚は「やあ」と声をかけた。声をかけられた方は眼を見開き、慌てて浩瀚の腕を掴むと門の内側へ引っ張り入れた。
「貴様、お尋ね者の分際でよくも堂々と堯天に姿を現したな!」
塀に浩瀚を押しつけて彼は言った。
「ここには大学時代の知り合いも多いようだが、誰も私だと気付かなかったぞ」
楽しそうに話す浩瀚に彼は深い溜息を吐いた。
「どうやってここへ潜り込んだんだ?」
浩瀚は征州侯が発行した旌券と紹介状を懐から取り出して見せた。友人は頭を抱えた。
「まったく、どこをどう見ても官吏には見えないな。とりあえず中へ入れ」
居間に通され、友人は茶を入れながら話しかけた。
「麦州侯は温厚篤実だと聞いていたから同姓同名の別人だと思っていたが、やはりお前だったんだな」
「温厚篤実は柴望と混同されているせいだ。あいつは喧伝されている州侯像が気に入っているらしい」
浩瀚は茶杯を受取ながら答えた。友人はくつくつと笑った。
「お前は不本意ながら、か?二人で民の望む理想の州侯を作っていたという訳だ。大学の同期の中で最も優秀と謳われていたお前達が組んでいたのなら道理だな。知はお前が上、徳は柴望が上だと言われていたしな」
自分に入れた茶を持ったまま、友人も座って話を続けた。
「何を聞きに来た?それとも、匿って欲しいのか?」
「塒はあるからいい。金波宮の様子を知りたい。それと預かって欲しいものがある」
「ああ金波宮の、ね。お前さんは三公共々国外追放だそうだ。主上の勅命でな」
友人は片目を瞑って見せた。浩瀚は眼を見開いた。
「それは命拾いをしたな。お前はわたしが主上の弑虐を企んだと思うか?」
「お前が本気になればもっと上手くやるさ。嵌められただろう?そいつはよほどお前のことを知らないらしいな。わたしなら報復が恐ろしくてお前を嵌めようなどとは考えもしないよ。お前は敵に回すより、味方に付けておいたほうがよほど役に立つ」
「その誘いを断ってのていたらくなんだがな」
浩瀚は肩を竦めてみせると、友人は真面目な顔で頷いた。
「相手は靖共か」
浩瀚は友人の眼を覗き込んだ。
「やはり、靖共の申し出を断って昇格できなかったんだな」
友人は肩を竦めて両手を軽く挙げた。
「お前こそ、俺の身の安全を考えてそれを聞きに来なかったんだろう?俺だって命は惜しいからな、お互い様だ。奴は大宰に降格になったよ。他に秋官長や地官長、天官長がそれぞれ三公になった。主上は朝廷の派閥争いを白紙に戻されたようだな。台輔に冢宰を兼任させてね。まあ、一時凌ぎでしかないんだが・・・。主上は雁国で政について学びに行くと金波宮をお出になった。何か考えることでもあるのだろう。今、朝廷では主上は雁から官吏を呼び寄せるおつもりだろうとか、お前からの暗殺を恐れて逃げたのだとか噂されているがな。どう思う?」
「雁から官吏を呼び寄せるような方なら自ら親征軍を率いたりはしない。己に責任のあることは自国で処理なさろうとするだろう。それに、わたしからの暗殺を恐れてというのもないな。でなければ国外追放で済ますはずがない。主上は胎果であらせられるからこちらの仕組みがよくお解りではないはずだ。おまけに、直近にはまともな進言をしようというつもりのない官ばかりだ。主上をうまく丸め込もうとしか考えない連中だからな。落ち着いてものを考えることもできないのだろう。宮廷を出て外から自国を見ようという気持ちは解るが、長引くとやっかいだな」
浩瀚は額を抑え、考え込んだ。友人はそんな浩瀚を眺め、にやにやと笑った。
「お前って主上贔屓だったんだな」
「お前は違うのか?」
「将来性は買っているが、まだ十六のお嬢さんじゃあな。お前さん、自分を振り向かないつれない女を追っかけてる男みたいだぞ」
「では、その愛しい御方に恋文を届けることはできるか?」
友人は腕を組んで真面目に考え込んだ。
「できないことは、ない。ただ、時間はかかるな」
「では伝えてもらおう。元麦州侯が和州で反乱を企んでいる。大宰の靖共も関わっているので内密に調べてもらいたし、と」
友人は立ち上がって、浩瀚の胸座を掴んだ。
「お前、正気か?今度こそ間違いなく死罪だぞ!」
「和州はあのままにはしておけない。証拠がないのならば作ってやるまでだ。ついでに、奴を裏で操っている黒幕を誘き出す」
浩瀚は不敵に笑って言った。
「何故そこまでしなくてはならない!大体そんなことはお前の責任ではないはずだ!」
浩瀚は冷たく厳しい視線で友人を睨みつけた。
「主上のやるべきことだと?十六歳の少女で、しかもこの世界に来て一年にも満たない者のやるべきことだと言うのか?この国があの方に重責以外の何を与えたと思っている?家族もない、友人もない、ただ一つの優しい想い出すらないではないか?それでこの国を愛せ、王として救ってくれと言うのか?本来ならば我々が主上に見捨てられないように努力するべきことだとは思わないのか?そう誰も思わないとしたら慶とは何と情けない国なのだろうな・・・」
友人は胸座を掴んでいた手を放した。
「確かに、官吏の間では聞かない。お前は主上にこの慶を気に入ってもらう為に命をかけるつもりか?誰もやらないのならばお前がやると?主上に誤解されているお前が一番まともな考えを持っているとは皮肉な話だな。ならば尚更、お前は主上の信を得るべきだと思うぞ。お前なら他にやりようはあるだろう?」
「現在の朝廷にいる連中と同じ手段は使いたくない。もっとも、わたしが第二の靖共になってもお前が止めてくれるというならば話は別だがな」
「そこまでの才があったら大夫のままでいるものか!だがな、いくらお前の才と性格が切れてようが、お前は靖共にはなれん。お前には普通で考えられる欲というものがなさ過ぎる。人に借りばかり与えてそれを返させてもくれない奴だからな!」
友人は浩瀚に人差し指を突きつけた。
「弓射の練習で真っ先に見放したのは誰だったかな」
「それも併せて借りを返してやると言っているんだ!何をすればいい?」
浩瀚は懐から紙束を取り出し、卓子の上に放って言った。
「堯天にある主立った商家と高級官僚との癒着の証拠の一部だ。他の資料もここへ届くように手配をしておく。これがあれば朝廷で大手を振っている悪徳官僚は一掃できるはずだ」
「これを俺にどうしろというんだ?ただ預かるだけではあるまい?」
「わたしに何かあったらお前がこれを主上か台輔に渡るよう手配してくれ」
「何かって何だ?」
不機嫌に言う友人に浩瀚は肩を竦めて見せた。
「殺されるか、投獄されるか、国外へ逃亡するか、だな。いずれにしても朝廷ではちょっとした騒ぎになるからわかるだろう」
「そうしたら、俺はこいつで主上の覚えもめでたくなるという訳だな。それが今回の迷惑料だと?」
「察しが良くて助かる。それと一つ誤解を解いておきたい。主上にこの国を気に入って欲しいからではなく、この国の今の状況が耐えがたいから命をかけるんだ」
「以外と単純な奴だったんだな」
「人間誰しもそんなものだろう?」
「普通はそれに金が欲しい、権力が欲しいと欲が付くものさ。靖共の件で面白い話を教えてやるよ。奴の親は先々代の王の治世で王の不興を買って殺されたんだそうだ」
「同情しろと言うのか?」
「別に。ただ、お前とは正反対の未来を選んだ奴の末路を覚えておくのも悪くないと思ってね」
「そんな前例は掃いて捨てるほどある。そんなつまらない人生を百年以上も生きる奴の気が知れないな」
「お前は自分の身に降りかかった不幸を不幸とも思わん奴だ。言った俺が莫迦だったよ」
友人は頭を抱えて手をひらひらと振った。
「じゃあ、後は頼んだぞ」
そう言って浩瀚は立ち上がり、扉へ向かった。
「死ぬなよ」
友人の真剣な言葉に浩瀚は振り向いて笑った。
「わたしとて、靖共のような親爺と心中なんて御免だ」
そう言うと片目を瞑って見せ、扉を閉めて出ていった。





 浩瀚は柴望と共に潜伏先の商家の離れにいた。彼等の食事の世話や取り次ぎはこの家の主の娘が応対していた。
「あまりわたしに対して形式張るなよ。わたしは今ここでは青辛なんだからな。大体、官も罷免になっているんだ。上も下も関係ない。大学時代に戻ったと思えばいい」
運ばれた食事が終わって茶を飲みながら浩瀚が言うと柴望は顔を顰めて見せた。
「貴方のような素行不良の友を持った覚えはありませんよ」
「それはわたしが伎楼に通っていたことを言っているのか?あれは遊びじゃなくて仕事を手伝っていたんだがな」
浩瀚はくつくつと笑った。
「何の仕事です?」
渋面のままそっけなく柴望は言った。
「仕入れと帳簿を付けをね。忙しい時には厨房や食堂も手伝っていたな。大学が終わってからの仕事といったら、夜しかないだろう?賃金も良かったしね」
「それほどまでして金が必要だったのですか?貴方は学費を免除されていたはずだ」
「昔、同じような質問をした男がいたよ。あそこはいろいろな人間がいて面白かったな。食堂を手伝った時なんか、わたしを買いたいという酔っぱらいもいてね」
柴望は咽せて咳き込んだ。それを横目で見て浩瀚は話を続けた。
「わたしに剣で勝てたら相手をしてやる、と言うとたいがいはあきらめるんだが、中には本気で剣を構える奴もいたのさ。その殆どに勝った訳だが、一度だけ負けたことがある」
柴望は茶杯を卓子に置き、眉根を寄せて浩瀚を見た。その表情に浩瀚は額を押さえて声を上げて笑い出した。
「はなから勝てる相手だとは思っていなかった。飄々としていたが恐らく軍人、しかも将官らしかった。断る口実を探したが、何故か抗えなかった。しかたく剣を取ったのだが、見物人が多くて利き手は使えずに、あっさり負けたという訳だ。結局、酒の相手をして、したたか飲まされた挙げ句に、翌日は大学に行くことが出来なかった。その男が言ったのさ、大学生がこんな場所で仕事をしているのは何故か、とね」
浩瀚は茶杯に口を付け、弄んでから卓子に置いた。
「人間の掃き溜めにいる者達も自分と同じ人間だと思いたかった、と答えていた。二度も雁の官吏になれるように手配してやったら来るか?、と言われて、誰一人知らない国の官吏になって何をしろと?そんなものは狗にくれてやる、と答えたところまでは覚えている」
柴望は頭を抱えていた。
「後は酔い潰れて覚えてないと?その男が物好きだったらどうしたんですか?」
「勿論逃げているが、ああいう場所にいると相手が物好きどうかなんてすぐにわかる。気付いたら、伎楼の家公の部屋だったしね」
「酔い潰れるまで大人しく付き合ったのは何故です?それこそ逃げればよかったじゃないですか」
「そう来るか?まあ、取りあえずは相場の二倍で一晩買われた訳だから逃げる訳にはいかないだろう?」
浩瀚が頬杖を付いて上目遣いで柴望を見ると彼は深く溜息をついた。
「そんなことは誰にも言わないで下さいよ。貴方の下で働いていた者の立つ瀬がない」
浩瀚はくつくつと笑った。
「安心しろ、お前が初めてだ」
柴望も苦笑混じりに笑って返した。
「しかし、以前のわたしならば理解に苦しんだでしょうが、今なら解るような気がしますよ。貴方は大学や昇仙した官吏の中にあっても人間でいたかったのでしょう?」
「そして、雁国のあの男もな」





 浩瀚は堯天に元麦州侯が潜伏しているという、まことしやかな噂をばらまきつつ、己の腕のみを頼りに生きている漢共が溜まり場にしそうな酒場で自分を襲った漢を探していた。そしてその夜から妙な貼り紙をあちらこちらで見かけるようになった。それは浩瀚の似顔絵と生死を問わず捕らえた者に賞金を与えるという手配書だった。
「景王の命を狙っているにしては、優男だな。もっと凶悪な顔をしている思っていたが」
手配書を見て浩瀚が言うと隣の男がげらげら笑った。
「元麦州侯は慶国にしては珍しくまともな統治をしていたのさ。大方、朝廷の権力者に煙たがられて罪を捏造されたんだろうよ。慶王は女王だからな。そんな連中の思惑など知ったこっちゃないというわけさ」
「そうそう、この慶で真面目に生きようとするなんぞ莫迦なのさ。お前さん、慶の人間じゃないだろう?」
「お前等、それでいいのか?この男を見つけたら衛士に差し出していいと?」
「俺たちが見つけなくても、この金額なら必死になって追う奴は掃いて捨てるほどいる。それを止めさせようという気はないな」
「随分と真面目な話をしてるじゃねぇか。元麦州侯とはいえ、影で何をしているかわかったもんじゃねぇってのによ。大体、そいつは妙な剣技を使うと聞いたぞ。あっという間に十人斬ったそうだ。まっとうな官吏じゃ有り得ないぜ」
背後に立った体格の良い禿頭が言った。本当は九人だったが、浩瀚は訂正しなかった。
「なるほどな、お前の様な腕に覚えのある奴にとっては狩り甲斐のある獲物という訳だ」
「その通りだ。ところでお前、この似顔絵に似ているな」
そう言うと禿頭は浩瀚の胸座を掴み、顔を近づけ、懐に手を入れてきた。朱旌を見つけると鼻を鳴らした。
「朱旌が一端の人間みたいな事を言ってるんじゃねぇぞ」
「お前だけには言われたくないな」
言って浩瀚は禿頭から朱旌を取り返した。周囲からは歓声が上がっていた。
「確かに、お前の顔は人間離れしているからな!」
囃し立てられて禿頭は浩瀚の胸座を掴んだまま殴りかかってきた。それを腕で止めて禿頭の向こう臑を思い切り蹴った。周囲では朱旌か禿かで喧嘩の勝敗をねたに賭が始められた。禿頭の手が緩んだ隙に体を沈め、続けて鳩尾に拳を叩き込んだが、この頑丈な禿頭は呻いただけで浩瀚の腕を掴み、壁に叩き付けて首を押さえた。
「てめぇの顔を殴ってやらなけりゃ気が済まねぇ!」
「顔だけじゃなく、体まで人間離れしているようだな」
浩瀚は不敵に笑って今度は禿頭の股間を蹴り上げた。

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.

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