玄の狂気あるいは地に降りた星
(二) 潜 伏 1




 柴望が用意した隠れ家に着くと相手が口を開く前に浩瀚が言った。
「柴望様、麦州侯は無事に逃がしました」
「あ、ああ、ご苦労だった」
驚きながらも柴望は口裏を合わせた。彼の後ろにはこの屋敷の家公も出てきていた。
「麦州侯はこちらには来られないのですか?」
「もしものためです。決してご家公を疑う訳ではないが、一網打尽は御免だと申されまして、別の場所へ逗留しております」
「そうでしたか、それもそうですね。して、貴方様は?」
「青辛と申します」
浩瀚が言うと、家公に見られないように当の本人は柴望に向かって苦笑した。
「おお、貴方がかの有名な青将軍でしたか。妖魔をも一刀で切り捨てると言う。思っていたよりも細身な方だったんですね」
「熊のような姿を想像しておいでか?」
浩瀚の言葉に桓堆は咳払いをした。
「とんでもない!」
主は恐縮して手を振った。
「夜も遅いですし、私は主楼へ戻ります。皆さんもどうぞ、ごゆっくり休んで下さい」
家公は頭を低く下げると、そそくさと退場し、残った兵士達は一様にくつくつと笑っていた。

「松塾の者を多く匿ってくれたあの家公を疑うのですか?」
柴望が情けなさそうな声で言った。兵士達を休ませ、柴望が使っている部屋で浩瀚、柴望、桓堆の三人が集まっていた。
「商人は利益を与えている間は味方でも、危険を承知で協力することはないな」
愉しげに言う浩瀚に柴望は溜息をついた。
「貴方の悪党の上前を刎ねる能力に期待しているというわけですね」
「まあ、せいぜい元麦州侯が何かを企んでいるということを主人に匂わせておくことだ」
「清廉潔癖な官吏ならば疑いをかけられただけでも耐え難いものなのに、貴方は汚名を着せられても平然としている上に、自らその名を貶めようなどとは、わたしには考えも及ばない」
頭を抱え、首を振りながら柴望は言った。
「最強の犯罪者集団ですね」
桓堆は楽しそうに笑った。
「それも悪くないな」
柴望も笑って返し、浩瀚を振り返った。
「ところで、これからどうするのですか?」
「朝廷の裏で全ての糸を引く黒幕の財源を叩く」
「黒幕の正体に心当たりがあるのですか?」
柴望は尋ねた。浩瀚は一度きつく目を閉じ、眼を見開いてから答えた。
「あそこまで狡猾な奴は今までお目にかかったことも聞いたこともない。己は小物の振りをし、野心ある者を裏から操る。そして、自分にとって邪魔な者は己の手を汚さず始末していった。わたしの前任の麦州侯を含む一次昇山者達や前和州侯、そして予王、松塾の人間、直近では大宰、これだけそうそうたる人物を弑虐しておきながら正体を掴ませず、安穏としていられるのは奴くらいなものだ。恐ろしく用心深く、悪巧みに関しては相当に頭の切れる奴だ」
「それは誰なんです?」
言葉を途切らせた浩瀚に桓堆が詰め寄った。
「当然といえば当然、以外といえば以外な人物・・・」
柴望と桓堆は解らないと首を振って恨めしそうに浩瀚を見つめ、次の言葉を待った。
「靖共だ」
吐き捨てるように冢宰の名を呼び捨てにする浩瀚に二人は驚いて顔を見合わせた。
「証拠はあるのですか?奴は善人でもないが、極悪人でもない小物というのが一般的な評価ですが」
柴望は呆れたように問い返した。
「ないな。だが、そう考えれば全ての辻褄が合う」
「では、それを知って先に手を打たなかったのはなぜです?貴方ならば今の事態を予測できたはずだ!」
叫ぶように訴える柴望に浩瀚は強い視線を投げかけた。
「お前達には済まないことをしたが、麦州を巻き込まずに奴の手の内から逃れる為には奴の思惑通りに動き、逃げ出すより他に手はなかった」
柴望は眼を見開いてから笑った。
「なるほど、麦州は貴方にとっては檻ですか。大学時代とまるで変わっておられないようですね。靖共は恐らくそんな貴方は知らないはずです。奴は大人しく檻に囚われていた猛獣を野に放してしまったことを後で激しく後悔することになるでしょうね」
柴望の言葉に桓堆は宙を見つめた。
「お前今、猛獣ではなく妖魔だと思っただろう?」
浩瀚の言葉に桓堆は、頭に手を置いて苦笑した。
「それもありますが、麦州侯時代で大人しかったのならば、先行きが少し不安だなと思っただけですよ。具体的に何をするんです?」
「桓堆には和州へ行って呀峰の行状を調べてから、和州で乱を起こして欲しい。呀峰の金は必ず靖共に繋がっている。和州に乱有りと知れば、必ず小規模の内に終わらせようと行動を起こすだろう。目的は靖共を誘き出すことと、朝廷の連中が主上に隠し仰せないほど大規模にすることだ。だから成功させる必要はない。お前達の命を最優先に派手に事を起こしてくれ」
桓堆は腕を組み、この男にしては珍しく難しい顔をしていた。
「相当、人数を集めることになりますよ。それに金がかかる」
「金の心配はいらない。必要なだけ集めていい」
二人が和州の乱について話し合っている間、柴望は憂鬱な顔をしていた。
「主上の耳に入るようにして何を期待しているのです?まさか、主上が靖共を裁いてくれるとでも思っているのですか?」
柴望が言うと浩瀚は破顔した。
「他の誰にできるというのだ?言っておくが、大司冦には期待できないぞ」
「胎果の、しかも十六歳の女王にできるわけがない。あの方は既に朝廷の傀儡じゃないですか!」
「麒麟を蓬莱まで呼び寄せ、塙王の放った妖魔から悉く逃れ、延王を動かした王が凡庸だと思っているのか?わたしは予王でも可能だったと思っているのだが」
「貴方は自分が受けた仕打ちを忘れておいでだ!本人の弁明も聞かず、朝廷の人間の言葉を鵜呑みにして罰を下されて何とも思わないのですか?」
浩瀚はくつくつと笑った。
「柴望、お前こそ怒りにまかせて常識を忘れているぞ。人に信頼して欲しくば他人に任せたりはせず自分で勝ち取るものだということを。それに、女王を軽く考えるのは慶の悪癖だとは思わないのか?そもそも、腐敗した官吏共が己の悪徳を隠す為に作った噂でしかないというのに」
「一応、そういうことにしておきましょう。期待を裏切られた時の貴方の為にわたしは貴方ほど主上を信じる訳にはいかない」
「案ずるな、期待を裏切られても世の中を儚みはしないさ。柴望はここでわたしと桓堆の連絡係だ。それと金を用意してくれ」
「浩瀚殿は?ここにはおられないのですか?」
「悪徳官吏の財源は大都市の商人と相場が決まっている。主立った商家は以前から既に人を入り込ませてある。わたしはその証拠を集め、金波宮の様子を探る。堯天にはいるが、わたしは一ヶ所に留まらない方がいいだろう。三日に一度はここに顔を出す。いいな?」




 桓堆が和州に発ち、柴望が自分たちの無事を松伯に伝える為に固継へ向かうと、浩瀚は堯天にある騎獣商を訪れた。中にいたのは六十過ぎの陽に焼けた体格の良い老人だった。
「お前、浩瀚かっ!」
勢いよく立ち上がった反動で、椅子が倒れた。浩瀚は老人の驚きように苦笑しながら「久しぶりだな」と言った。老人は浩瀚の頭から足の先まで何度も見渡し、歯を剥き出して笑った。
「とうとう、官を罷免になったか」
老人は嬉しそうに言った。
「まあね」
「ここじゃあ何だ、奥へ入れ」
奥へ通された浩瀚は老人が奨めるまでもなく、榻に腰掛けた。老人が茶杯を二つ置き、酒瓶を取り出すと、浩瀚は眉を顰めた。
「まだ陽は高いぞ」
「ふん、この三十年間に一度も顔を見せなかった薄情者め。これを飲まなけりゃ話を聞いてやらん!」
老人の言葉に反論できない浩瀚はしぶしぶ茶杯を取り上げ、口を付けた。老人はその仕草をじっと見つめ、歯を剥き出して笑った。
「全部飲めよ」
観念して浩瀚は茶杯の酒を一気に飲み干し、卓子に茶杯を叩き付けた。
「で、何の用なんだ?」
老人は上機嫌で尋ねながら、浩瀚の眼の前にある茶杯と自分の茶杯に酒を注いだ。
「ひとつは、麦州のわたしが住んでいた官邸から趨虞を引き取って預かって欲しい。その為の書状も必要だな。わたしがお前に売ったという形にしておこうか。もうひとつは朱旌を貸して欲しい。それも使い古したやつを」
老人は眉をひそめ、口に運んだ茶杯を置いた。
「何に使うんだ?」
「安心できる寝床が欲しいだけだ」
老人は立ち上がり、傍の引き出しから木の札を取り出した。
「丁度、一つ預かっているものがある。理由は覚えているな?必ず返せよ」
「ああ、覚えている。その代わり、こいつを預かってくれ」
浩瀚は朱旌を受け取ると自分の懐から出した木の札を投げ返した。受け取った老人は大いに顔を顰めた。
「こんなものをわしに預けたら、火にくべて処分しちまうぞ。それでお前も黄朱になっちまえばいいんだ!」
浩瀚はくつくつと笑った。
「そいつはもう暫く待ってくれないか。それで金を引き出してもかまわないが、慶ではやらないほうがいい。そいつはお尋ね者だ」
「何をやらかしたんだ?」
老人は不機嫌に言った。浩瀚はなおも笑って答えた。
「これからやるのさ」





 浩瀚は朱旌の民が泊まりそうな宿を取り、夕方まで時間があるので寝ていると、部屋の扉を乱暴に叩く音で起こされた。思いきり不機嫌な顔で扉を開けてやると、衛士が酒の匂いに怯んだ。
「旅旌を見せろ」
衛士の言われる通り朱旌を出してやると、相手は途端に興味を失ったようだった。
「人捜しならば手伝ってやるが?」
浩瀚がからかうと、衛士は扉を勢いよく閉じ、吐き捨てた。
「狗尾の助けなどいらん!」
閉じられた扉に寄り掛かり、浩瀚はくつくつと笑った。

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


Albatross−翠玉的偏執世界−
背景素材:トリスの市場
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送