(一) 冤 罪 2 |
「侯は朝廷の連中の思惑通りに罷免されるおつもりなのですか?」 令伊が官邸で執務をしている浩瀚に問いかけた。 「わたしが抵抗すれば和州を除く六州の州侯の立場が危うくなる」 「貴方はこの麦州の州侯ではなかったのか!」 「民が褒めそやす麦州侯は我々で作り上げたものだ。貴兄もその一人だということを忘れるな」 「当初州宰が貴方を温厚篤実な人物だと噂を流した時には呆れましたが、州城にいる誰もが今ではそれを嘘だと思ってはおりませんよ。今の麦州があるのは貴方と州宰があったからに他ならないのです」 浩瀚は鼻先で軽く笑った。 「わたしと柴望を惜しむのならば、それを失うな。呀峰のうような奴が来たら、朝廷にいる連中を見習って孤立させて追い詰めろ。もしも、凡庸な奴だったら褒めそやして祭り上げることだ。本当は貴兄が封じられるのが手っ取り早くていいのだがな」 「まるで誰が麦州侯になっても変わらないような言い方ですね」 「実際変わりようがあるまい?」 令伊は溜息をついた。 「州宰も覚悟しているようですね?」 「先に辞めておけと忠告をしたんだがな。大学を卒業して国官へ推薦されている間に追い落とされるような奴だ。朝廷が見逃すはずはないだろう。まあ、二人で六州を救えるのならば悪くはないさ」 「侯はこれからどうなさるおつもりですか?」 「心配するな。朝廷の連中の思惑通りに死んではやらん。奴等より長生きすると前任の麦州侯と約束したからな」 浩瀚は口の端で笑って言った。 堯天から浩瀚と柴望を罷免するという使者が来て州城内は色めき立ったが、浩瀚は口の端で笑って返した。 「おかげで主上の裁可が降りるまでは三十数年ぶりにのんびり過ごせるな。柴望、お前も久しぶりに詩歌を楽しめるぞ」 「悪くないですね」 柴望はくすりと笑って返した。 「貴兄等にはもう官位はないのだぞ!復職できるなどとは思わないことだ!」 この二人の会話に堯天からの使者は荒々しく州城を出て行った。 浩瀚と柴望は拘禁されている間は大人しく門兵に護られて気ままに過ごしていた。おかげで州城内は落ち着いていたが、朝廷にとって面白いはずはなかった。冢宰派は反省の様子も見られないとして死罪を主張し、その反対派は何の罪もないのだから当然だと反論していた。二つの勢力は拮抗し、景王を悩ませていた。そんな中、冢宰の靖共が人目を憚り浩瀚を訪れた。 「元麦州侯浩瀚殿、貴兄の才を失うのは慶にとっては損失となろう。もしも貴兄がわたしのためにその才を使って頂けるのであればここから出して差し上げることができるのだが、如何かな?」 愛想良く言う靖共の申し出に浩瀚はくつくつと笑った。 「州侯と同じ位階ならば三公の一つですかな。それとも冢宰の任を下さるのか?」 「貴兄はご自分の置かれている状況をご存知ないのか?」 「舒栄を生き返らせることができたら考えてやらないでもない」 靖共は愛想笑いを引いた。 「何を言っている?」 「禁軍の将軍から伝言を聞かなかったのか?和州侯からも報告がいっているだろう?」 「わたしを怒らせると後悔することになるぞ」 「では、わたしも忠告しておこう。わたしを州侯から解任したことを貴兄は後悔することになるだろうとな」 「貴兄はもっと頭のいい男だとおもっていたが、どうやら買い被りだったようだ。官を罷免になって、ただ人になった人間に何が出来るというのだ。簡単に捻り潰されるのが落ちだ」 「簡単に殺せるものならやってみることだ」 「ただ人となってでも生きていられたらいいな。まったく、お前は子供の頃から可愛い気がない」 そう言い捨ると靖共は出ていった。浩瀚は前髪を掻き上げた。 浩瀚は可愛い気のない子供だったことは自覚しているものの、靖共の記憶がなかった。奴に会ったとしたら官邸に住んでいた時のことだろうと当たりをつけたが、まず最初に思い浮かべたのは金波宮の奥で泣いていた美女で、その他は悪戯をしてはいつも厳格な父に叱られていたことや、忍び込んだ先で菓子をくれた大人の顔しか思い浮かばなかった。そして、父が今でも生きていたら、またあの苦笑いをして「困った奴だ」と言いそうな気がして可笑しくなった。 「子供はお前のような醜いものをいつまでも覚えているほど暇じゃないんだ、靖共」 浩瀚は背もたれに頭を預け、くつくつと笑った。 |
靖共の言葉が実行されたのは効祀の祭礼が終わった後、令伊が州侯代理で金波宮へ登城していた日のことだった。 「なぜお前がここにいる?桓堆」 浩瀚に睨みつけられて州軍の左将軍は頭を掻いた。 「ここの見張りをする兵士の一人が急病でしてね。その代理ですよ」 「左将軍を見張りの代理にするとは麦州は平和なようだな。朝廷でなにかあったのか?」 「さすがですね、その通りです。金波宮の令伊から緊急の青鳥がありました。大宰の別邸から主上を弑虐するための大量の冬器が発見されたそうです。大宰は捕らえられた牢で自刃したそうなんですが、どう思われます?」 「だからほどほどにしておけと言っておいたものを。大宰が弑虐されたことは間違いないな。大量の冬器も本人が知らない内に運び込まれたものだ」 「それでですね、大宰の裏で糸を引いていたのが貴方だということになっているんですよ」 浩瀚はくつくつと笑った。 「ここでの生活もじき終わりだな。桓堆、お前に頼みがある」 「何です?」 桓堆は機嫌良く訊いた。 「金波宮からわたしへの迎えが来る前に柴望を逃がして欲しい」 「それから?」 「それだけだ」 桓堆は腕を組んで顔を顰めた。 「貴方一人で逃げられると仰る」 「何とかなるさ」 桓堆はやれやれと首を横に振った。 「実はわたしは州軍を辞めるつもりなのです。貴方がいなければ、いつ半獣とばれるか冷や冷やしていなければなりませんからね。そんなことはわたしの性に合いません。そこでものは相談ですが、わたしを雇うつもりはありませんか?」 浩瀚は桓堆を思い止めさせようとしたが、やめた。この男にはどんな危険も脅しにはならなかった。 「わかった、雇おう」 浩瀚は桓堆が出て行くと溜息をついてから卓子に両肘をつき、組んだ両手に額を置いた。 「やはり、わたし一人の命では足りないか・・・」 |
堯天からの迎えは三日後の夕方に来た。浩瀚の乗った馬車は麦州を越え、瑛州に入った。両脇が切り立った崖になっている道に差し掛かった場所で馬車が止まり、浩瀚を連行していた人間が消えた。 「お優しい麦州侯様は馬車の中で震えておられるだろうから、誰か手をお貸ししてやれ」 この言葉が発せられると、周囲からどっと哄笑が上がった。そして馬車に近づく数人の足跡が聞こえ、しばらくすると品のない顔と歪な手が馬車の中へ差し入れられた。 「さあ、嵩里山からのお迎えです。お出まし願いませんかね」 浩瀚はこの漢に愛想良く微笑むと同時に袖から手を素早く引き抜いて、その額に短剣を投げつけた。眼を見開いたまま沈む漢の腰から剣を抜き取りると、漢の死体を馬車の外に蹴り出し、自分も外に出た。馬車の側まで来ていた漢達は残り二人、彼等は剣を抜こうとしたが、抜き身の剣を構えた浩瀚にあっさりと斬られた。馬車を遠巻きにしていた漢達の頭目らしき漢が腕を組みながら顎をなでて、嬉しそうに笑った。その腕に妖魔の爪痕が三筋刻まれていた。 「麦州侯は温厚篤実なお方と伺っていたんだがなぁ」 浩瀚は剣の露を払って口元で笑った。 「聖人君主で州侯が勤まると思っているのか?」 「育ちの良いお大臣だと思っていたのさ。なかなかどうして楽しませてくれる」 言いながらこの漢は顎を左右に振って周囲の者共に一斉に掛かれと命じた。 浩瀚の右側から斬り掛かってきた者は余裕で浩瀚の剣をかわし、左側から掛かった者は口元に笑みを浮かべて斬りかかった。周囲が気付いたときに浩瀚は左で剣を握っていた。そして、剣を右手に持ち替え、先程剣をかわした漢をすかさず斬った。 「まったく、油断も隙もねえ奴だ!」 吐き捨てて、更に数人が飛び掛かって来た。左右同時に迫ってきた輩は左から来た漢の腕に右手を添え、右から来た漢を差し貫いた。自分の持っていた剣を左後方の漢の心臓目掛けて投げた。目の前で胸を差し貫かれている漢の剣を取り上げ、右手で押さえていた漢を突き放し、斬った。そして、背にしていた馬車から飛び退き、上から飛び掛かってきた漢をも下から斬り上げた。背面を守っていた馬車の前は屍の山となり、背を頼む物がなくなった。刺客達は浩瀚の周囲を取り囲んでいった。 「観念するんだな」 目の前の男が言った時、浩瀚は崖の上の光を見て笑った。頭目らしき漢はそれにつられて上を見上げた。 「皆、散れ!」 崖上の光は下降してくると騎乗した男が持っている鉄槍が月光を浴びて光っているのだとわかった。その男は麦州側の地上に近づくと騎獣から飛び降り、三百斤はありそうな大鉄槍を振るって四、五人の漢達を薙ぎ倒した。この槍から助かった漢達は足を縺れさせながら蜘蛛の子を散らすように瑛州側に向かって逃げ出して行った。 「そうだ、そうだ!逃げろ、逃げろ!」 大鉄槍を肩に担いだ男、桓堆は楽しそうに囃し立てた。 頭目らしき漢は浩瀚を人質に取ろうとしたが、成功しなかった。当の本人が喉元に剣を突き出してきていた。 「おまえ、本当に麦州侯なのか?」 冷や汗を流しながら問いかけてきた漢の様を見て浩瀚はくつくつと笑った。 「さて、どうだったかな。おまえの行く先は麦州側だ。瑛州側はあの男の仲間が抑えている。なに、礼には及ばない。今回の襲撃の失敗を報告する人間が必要だろう?麦州軍の元将軍が相手だったのだから咎めはないだろう」 言って浩瀚は剣を引き、麦州側の道を指し示した。 「瑛州に逃げて無事に済むと思うなよ!」 捨て台詞を吐いて襲撃隊の頭目らしき漢は麦州側に駆け出して行った。 「まったく、人を斬った後は結構落ち込むくせに、よくもまあ毎回自分で手を下してくれますね。貴方ならわたしが来るまで口先で時間稼ぎが出来たでしょうに」 九人分の屍を見て溜息をつきながら桓堆は言った。 「十六歳の少女にやれて、成丁が怯んだとあっては情けないだろう?」 「貴方でも落ち込むんですから、主上なら尚更でしょうね」 「そんなに態度に出ているのか?」 桓堆から受け取った服装に改め、下ろした髪を首の後ろで括りながら浩瀚が言った。 「貴方の場合、自虐的な物言いになるだけですよ。それにしても、とてもお上品な官吏には見えませんね」 桓堆は振り向いて言うと肩を竦めた。 「それは好都合だ。剣をくれないか」 「何か企んでいますね」 差し出された手に剣を渡しながら桓堆は言った。 「聞きたいか?」 「本当は聞きたくないんですけどね。聞いておかなきゃならないんでしょう?」 桓堆は空を見上げながら言った。 This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.
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