玄の狂気あるいは地に降りた星
(一) 冤 罪 1




「新王はどうでしたか?」
新王の金波宮入りを見届けて戻ってきた浩瀚に柴望が訊いた。浩瀚の傍には桓堆が従っていた。
「新王をお出迎えして一斉に溜息が出ていたな」
浩瀚はくつくつと笑って言った。
「何故です?」
「十六歳の少女だったからさ」
柴望は溜息をついた。
「また女王ですか・・・」
「そんな溜息だったな」
まだ笑って言う浩瀚を柴望は睨め付けた。
「貴方が懐達という言葉を嫌っておいでなのは存じておりますが、今の慶は女王にとって荷が重すぎるとはお思いにならないのですか?」
「王が男であれ、女であれ、慶には次の王を待つ余力などないのだぞ。いくら溜息をつこうが、失望しようがな。ならば期待した方がいいとは思わないか?」
「胎果の王の奇跡の力にでも頼ろうというのですか?」
「お前、本気で蓬莱が神仙の世界だと信じているわけではあるまい?わたしは海客や山客にも会ったことがあるが、向こうにも政治を行う者がいて国を動かし、その他の者は自分の生活のために働き、国に税を納めているそうだぞ。ならば生活の方法が違っていても基本的には我々と何等変わらないのではないか?」
「ならば尚更女王に期待できるわけがない」
今度は浩瀚が溜息をついた。
「見も知らぬ国のために親征軍の先頭に立つような王を信じられないのか?お前は十六で人を殺す覚悟ができたか?」
「わたしには出来ませんが、貴方なら出来たのではありませんか?」
「生憎とわたしはそんなに強くはないんだ」
言って、浩瀚は桓堆を振り向いた。桓堆は浩瀚から視線を逸らし、横を向いた。
「確かに、貴方には無理ですね」

 その後、浩瀚は令伊を代理に立てて体調不良と偽り、金波宮へ登城していなかった。そんなある日、柴望が勢いよく浩瀚の堂室の扉を開けて入ってきた。
「浩瀚殿!金波宮で貴方が何と噂されているかご存知か、このままではその噂が事実だと思われてしまいますよ」
厳しい顔で柴望が言った。
「どういう噂なんだ?」
「貴方が最後まで偽王軍に抵抗していたのは、貴方こそが玉座を望んでいたと」
浩瀚は背を逸らして声を上げて笑った。柴望は僅かに片方の眉を上げた。
「笑い事ですか?」
「すまない、予想していたよりもささやかだったので気が抜けただけだ」
浩瀚は口を手で覆い、尚も笑って言った。
「どこが、ささやかなんです!貴方を罷免せよという意見が半数を占めているというのに!」
柴望は浩瀚の目の前にある大卓を両手で叩いた。
「そんな噂など放っておけ。どうせ登城した処で事態は変わらない」
柴望の表情が翳った。
「それと令伊が心配しています。本来州侯がなすべき事を自分に任せられているような気がすると。貴方が州侯を辞任するつもりではないのかと気懸かりな様子です」
「令伊と州宰の立場が逆転しているな」
浩瀚はくつくつと笑っていた。
「征州城から戻って以来の貴方はおかしい。偽王の舒栄と何かあったんですか?」
浩瀚は眼を見開いてから視線を外した。
「州侯を辞めることは征州へ行く前から決めていたことだ。彼女とは関係ない。ただ、辞めるついでに朝廷へ喧嘩を売って来た」
舒栄とのことを否定しない浩瀚に柴望は溜息をついた。
「貴方が野へ下るのは慶が落ち着いてからだったはずです。まだ早過ぎると思いますが?」
「今回ばかりは、いくら抵抗しようと連中はわたしを罷免させるだろう。ならばこちらの思惑通りに動いてもらうほうがいい。他に選択肢はない。お前のお陰で州城内の風紀も良くなった。誰が州侯になっても麦州は変わらない」
「仕方ありませんね。では、わたしもお供しましょう」
「よせ!そこから先はお前に向かない世界だ」
浩瀚は大卓を叩いて立ち上がった。
「今更?わたしは官になりたいと言った覚えはありませんよ」
「だったら、上庠の教師に戻れ!」
「わたしが今の貴方を放っておくとでもお思いですか?」
「共に来れば恐らく教師に戻ることはできない。へたをすれば汚名を着て死罪だ」
「しかし、慶の未来のためになるのでしょう?ならば思い残すことはありません。わたしに失って惜しいものがあるとすれば貴方との友情ぐらいなものです」
浩瀚は椅子に座り込んで頭を抱えた。
「そんなくだらないものを大事にしなくていい・・」
「貴方にだけは言われたくありませんね。それに、麦州も落ち着いてきたので退屈になったとは思いませんか?」
浩瀚は柴望を見上げて力無く笑った。
「そうだな」





 新王の即位式が差し迫ったある日、大宰が見舞と称して訪問してきた。相変わらず浩瀚は金波宮へ登城していなかった。
「思ったよりお元気そうですな」
大宰は憔悴しきって力無く言った。
「今日はとても調子がいいのです。貴兄の方こそ見舞が必要なようですね」
大宰は恨めしそうに浩瀚を見た。
「麦州侯はなぜ朝廷の噂を放っておかれるのだ?貴兄が弁明しないことをいいことに冢宰派の連中は自分達の都合に合わせて何もご存知ない主上に虚偽を吹き込んでいるというのに!」
大宰の言葉に浩瀚はくつくつと笑った。
「かつてはご自分の命惜しさに予王を見放して連中のいいなりになっていた貴兄がそれを言うのか。冢宰の反対派を多く引き込んで勢力が大きくなったから?」
「冢宰派の連中が追い落とそうとしているのは他でもない、貴兄のことなのだぞ!」
「そして大宰は冢宰派への嫌がらせにわたしの弁護をして頂いてくれている訳ですね」
「貴兄は、主上にあんな事実とは無根のことばかりを並べ立てられて放っておけと言われるか!」
「連中のいいなりになっている間は主上のお命に危険はない。むしろ、わたしの言い分を聞き入れた方が危険なんだ」
大宰は椅子の背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
「貴兄が主上のために動かないはずはなかったな。しかし、朝廷には冢宰へ反対する者が必要だ。わたしはわたしで勝手に貴兄の弁護をし続ける」
「ほどほどにした方がいい」
「貴兄は不思議な男だな。一時的にしろ予王を勇気付け、舒栄に朝廷への復讐を捨てさせた。禁軍の兵士をつかまえて彼女の最期を聞き出したのだ。奴等は逃亡しようとした舒栄を切り捨てるという予定だったらしいが、彼女が予王の墓稜へ連れて行けば自分の始末は自分で付ける、その方がお前達の面倒もないだろうと言ったんだそうだ。そして、王墓の前で自分は慶の未来を託せる人間達に会ったので思い残すことは何もない。長い間お一人にして申し訳なかった。今お側に参ります、と言って彼女は自分の首を斬り落としたそうだ。こんな風にな」
大宰は眼に見えない刀の柄を片手で持ち、首の後ろに置くと刃先の背にもう片方の手をやって勢いよく前に突き出した。
「まったく見事な女だよ、男でも難しいのだがな。そして、彼女の死に顔は笑っていたそうだよ」
「わたしには何もできてはいない。わたしは二人に生きていて欲しかっただけだ!元麦州侯や元和州侯にも!」
浩瀚は卓子を叩くと強く光る眼で大宰を睨め付けた。
「だから今度は何を犠牲にしてでも守ってみせる!」
「和州侯を除く六州の諸侯に何をした、と聞くまでもないな。貴兄は人の眠っていた誇りを呼び起こすことが得意なようだ。わたしは貴兄にも死んで欲しくはない。わたしも遅ればせながら主上を守ることに協力させてくれ」
大宰はそう言って麦州城を去った。




 景王の即位式に浩瀚は久しぶりに金波宮へ登城した。朝廷内で浩瀚は玉座を狙っていた者として遠巻きに見られ、声をひそめた噂話の種になっているようだった。諸州の州侯は浩瀚を認めると近寄ろうとしたが、浩瀚は首を横に振ってそれを制した。自州の民を人質に取られているに等しい彼等は諾として従う他はなかった。そんな中、浩瀚の制止を無視して堂々と近づいて来たのは大宰だった。浩瀚は溜息をついた。
「いい加減にしないと命にかかわるぞ」
浩瀚は小声で忠告した。
「ご病気はもうよろしいのですか、麦州侯」
大宰は声を張り上げ、機嫌良く訊いてきた。
「新王の即位式に寝ている訳には参りませんからね」
浩瀚はそっけなく言葉を返した。
「状況はかなり悪くなってきているが、本当にいいのだな?」
大宰は声を落として言った。
「主上のお姿を拝するのはこれが最後だろう」
眼を見開く大宰を残して浩瀚は式典が執り行われる正殿へと向かった。
 玄の大裘を纏った緋色の髪の女王は正殿の壇上にあった。その姿を拝するのは浩瀚にとって二度目、わずか六年前のことだった。浩瀚が式典が終わって宴が催される正堂(ひろま)を無視して通り過ぎると大宰が追ってきた。
「待たれよ、麦州侯!」
浩瀚は立ち止まって振り向いた。
「内々に主上と会える手筈をする。それまで待っていてもらえないか?」
「そんな必要はない」
浩瀚はにべもなく言った。
「貴兄は一度だけでも主上と会っておいた方がいい。主上も貴兄に会えば噂など単なる誹謗でしかないとおわかりになるはずだ」
「その一度の謁見で予王がどんな目に遭ったのか忘れたわけではあるまいな?」
「今度こそ主上を孤立させることなどさせん!」
「貴兄は冢宰の力を侮りすぎているぞ。二度とここへ来るつもりのない人間のことなど考えずに自身の命を惜しむことだけを考えていろ!それが主上の御為になる」
大宰は浩瀚に睨め付けられ、微かに身震いした。浩瀚は大宰に背を向け、立ち去った。
「貴兄は主上をお守りすると言ったのではなかったのか!官を罷免になってどうやって主上をお守りできると言うのだ!」
浩瀚の背後で大宰が叫んだ。
 浩瀚は雉門をくぐる前に三十年間通い慣れた梁雲山を見上げた。そして、拱手をして金波宮を後にした。

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.

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