蒼の孤独もしくは嘆きの蜃気楼
(二) 偽 王 3




 浩瀚は剣を手にして堂室の扉に寄り掛かって眠っていた。足音を忍ばせた人の気配に身を起こし、向かいの扉が微かな音を立てるのを聞いて堂室から音も立てずに出た。
「婦女子の寝込みを襲うとは感心しないな」
浩瀚が声を掛けると州軍の格好をした二人の賊は飛び上がって驚き、斬り掛かってきた。一人を鞘のまま打ち据え、二人目には剣を抜いて喉元に刃を突きつけた。
「余所の州城で殺生をしたくはない。引き上げる気はあるか?」
浩瀚が尋問すると相手は無言で首を縦に振った。
「そいつも連れて行け!」
剣を引くと賊は仲間を担ぎ、逃げて行った。その背を見送り、振り向くと被衫(ねまき)の上に外袍を纏い、眼を見開く舒栄がいた。
「護衛をしていてくれたのか?」
「今そなたに死なれたら諸侯の立場が悪くなる。堂室を交換しよう。牀榻は使っていないから安心するがいい」
言って浩瀚は自分がいた堂室の扉を開けて舒栄を押し込んだが、閉ざそうとした扉を舒栄が止めていた。
「護衛ならばお前もこの堂室にいたらいいだろう?」
舒栄はからかうように言った。
「温厚篤実な麦州侯ならば美女と同じ堂室で一晩過ごしても安全だと思っているのか?」
不機嫌に尋ねる浩瀚に舒栄は首を横に振った。
「わたしに未来を持てと言ったのはお前だ。愛しい者もいないのに未来を見ることなどできはしない」
舒栄は浩瀚の視線を捉えて言った。
「紀州侯がいるだろう?」
「あの人には奥さんも子供もいるというのに?」
これ以上押し問答しても無駄だと悟り、浩瀚は溜息を吐いた。舒栄が堂室の中へ僅かに引くと浩瀚は素早く中へ入り、後ろ手で扉を閉めた。舒栄が首に腕を回してくると浩瀚は彼女の腰を引き寄せ、近づいてくる唇に引き寄せられるように唇を重ねて行った。そして、すぐに互いの吐息と舌を求めあった。
「何と呼べばいい?麦州侯・・・」
浩瀚の耳元で舒栄が囁いた。
「浩瀚と」
浩瀚は叙栄を抱き上げて牀榻へ運んだ。
 臥牀の隣で舒栄はくすくすと笑いながら半身を起こし、浩瀚の顔を覗き込んだ。
「噂で聞く限りは相当な堅物で女には興味がないのかと思ったけど、実物はそうでもないみたいだな。とてもよかった・・・」
浩瀚は舒栄の腕を引いて自分の上に乗せて髪を掬い、首筋に顔を埋めた。
「それは誰と比べている?例えばお前に金を渡している奴か?」
舒栄は勢いよく体を起こした。形のよい胸が僅かに揺れた。
「あんな薄気味悪い奴とは寝ていない!」
「そんなに気に入らない相手から金を受け取っていたのか。そいつは何者なんだ?」
叙栄は浩瀚の上から降りて膝を抱えた。浩瀚も上体を起こした。
「多分、塙王だと思う」
「何故だ?」
「姉の死後、学頭はわたしの身を心配してくれてご自分の邸に匿ってくれた。そんなある日、頭から黒い布に覆われたその男がわたしを訪ねてきたんだ。学頭の態度とその夜に訪ねて来た女の正体から考えるとそうじゃないかと思えるんだ。その女も頭から布を被っていて、昼間に頼まれたことを断って欲しいと言ってきた。わたしがその布を剥ぎ取ったら見事な金の髪が現れた」
「その男はお前に何と言ってきたんだ?」
「姉の無念を晴らさせてやると、その為に必要なものは全て揃えてやると言った」
「塙王の目的が何かわかっているのか?」
「最初はわからなかった。胎果が嫌いだと訳のわからないことを言っていたからな。でも、お前の話しを聞いてからわかった。あいつの狙いは姉の次の景王だったのだと。それまでは本当に知らなかったんだ。信じてくれ」
舒栄は膝に顔を埋めた。浩瀚は膝をかかえる舒栄の腕を引き剥がし、後ろから抱き竦めた。
「台輔を見逃した時からそれはわかっている。もう何も言わなくていい」
舒栄は浩瀚の腕を掴んだ。彼女のまつげを濡らした水滴が浩瀚の腕に落ちて来た。
「お前ともっと早く出会えていればよかったのに・・・」
「まだ遅くはない」
言って浩瀚が舌で頬を伝う涙を掬うと、舒栄は軽く開いた唇で自分の顔を這う唇を追った。唇を重ね合わせ、舌を絡め合いながら、舒栄は浩瀚の頭を引き寄せ、臥牀へ倒れ込んだ。

 翌日の夜、浩瀚が寝ていた堂室に刺客が複数忍び込んできた。浩瀚が帳を上げて姿を現すと、刺客達は舌打ちした。
「相手がわたしで生憎だったな。舒栄は他の堂室だ」
刺客達が引き返そうとすると堂室の入り口から州軍が入り込んできた。浩瀚を人質に取ろうと近寄った者は浩瀚に剣を突きつけられて、その場に固まった。仲間が次々と州軍に捕らえられるとその刺客は浩瀚の剣を払って斬りかかってきた。浩瀚はその男を斬り捨てた。
 後始末を州軍にまかせ、別の堂室で休もうと牀榻の帳を上げるとそこには舒栄がいた。
「明日には主上がお出でになる。そうしたらもうお前とは会えないかも知れない」
浩瀚は帳を下ろし、背を向けた。
「すまない。今夜は無理だ」
舒栄は臥牀から出てきて浩瀚の前に立った。
「今夜で最後かもしれないのに?」
浩瀚は舒栄の華奢な体をきつく抱きしめて、首筋に顔を埋めた。
「では、わたしとこの城から逃げ出すか?」
舒栄は浩瀚を突き放そうとしたが、びくともしなかった。
「そんなことをしたら、お前の立場がどうなるかわかって言っているんだろうな?」
震える声で舒栄は言った。
「主上は胎果だ。慶の事情をわかっているとは思えない。朝廷の連中にとってそんな主上に虚偽を吹き込むことなど簡単だ。主上に直接我々が申し立てを出来なければそなたの命はない。それに、わたしにとっても私怨を晴らすには今の官位は邪魔なだけだ。女と逃げたとあっては麦州の誰もが見限ってくれるだろう」
「麦州侯は慶の最後の良心なんだ。お前と共に行くことは出来ない」
「世間で噂されている麦州侯はわたしじゃない」
舒栄はくつりと笑った。
「そうだな、実際に会ってみてわかった。皆が噂する温厚篤実な麦州侯はお前の周りにいる者達と共に作り上げたんだろう?ならばお前一人が抜けていいはずがない。姉上にもそんな人間がいてくれればよかったのにと思う。だから、十六歳の胎果の王にはお前が必要だ。女と逃げている場合じゃない」
「では、安全な場所を用意する。逃げてくれ」
舒栄は首を横に振った。
「それはできない。そんなことをしたら、州侯等に迷惑がかかってしまう。それはそのまま民にかかってくるのではないか?」
浩瀚は舒栄の肩を掴んだ。
「そなたに死ななければならない理由など無い!」
「姉上は景王となってからずっとお一人だった。半身であった麒麟も置いて逝ってしまったしな。わたしぐらいはお側に行って差し上げた方が良いと思うんだ」
舒栄は微笑んで言った。
「未来を持つ気になったのではないか?」
「お前が州侯を辞めずに、現景王がわたしを許してくれた時には考えよう」
そう言うと舒栄は浩瀚の首に腕を回して抱きついてきた。
「浩瀚、お前血の匂いがする」
「そうだ。だから今夜は一人にしてくれ」
「人を斬ったのは今夜が初めてではないんだろう。いつもそうなのか?」
「いつもは気の良い将軍が酒を持ってくる」
舒栄は浩瀚から少しだけ離れて被衫をはらりと脱いだ。
「確か、女の体でもよかったはずだよな」
浩瀚は舒栄から眼を逸らした。舒栄は浩瀚に近づいて頬に両手を当てた。
「乱暴でも構わないから」
そして、舒栄が浩瀚に口付けると、浩瀚は舒栄の腰を引き寄せた。





 翌朝、諸侯等は主上の来城を待っていたが、先に来たのは慶国の禁軍だった。
「偽王の舒栄を捕らえに来た。ここへ引き出してもらおう」
「莫迦な!彼女を裁くのは主上だ。今日ここへお出でになると青鳥があったのだぞ」
征州侯が叫んだ。
「禁軍に差し出すことは主上に差し出すことと同じなのではないか?。それに、主上には我々が舒栄を金波宮まで連行すると伝えておいた」
諸侯等は朝廷の手回しの良さに歯噛みした。
「舒栄は逃亡して、ここにはいない」
浩瀚は白々しく言った。
「隠すと為にはならないが」
「位階はわたしの方が上だ。口の利き方に気を付けろ!」
「ふん、諸侯等が共謀して朝廷を貶めようとしているのはわかっているんだ。舒栄を渡せばそれを不問に付すと言っているのがわからんのか?」
「そんなことは企んでなどいない」
浩瀚と禁軍将軍が睨み合っている時、舒栄が登場してきた。後ろには和州侯が控えていた。
「貴っ、様ぁ!」
浩瀚は和州侯に向かって駆け出し、その胸座を掴んで拳を振り上げた。
「よせ、浩瀚!」
浩瀚の腕に舒栄が縋り付いた。温厚篤実と噂されている麦州侯の剣幕に諸侯等は呆然としていたが、紀州侯はそんな浩瀚を後ろから羽交い締めにした。
「そんな奴を殴っても事態は変わらない。貴兄の立場が悪くなるだけだ。落ち着かれよ、麦州侯」
紀州侯は慈愛の籠もったあの声で言った。
「なぜ止める!わたしの立場など気にかけるなと言ったはずだぞ、紀州侯!」
和州侯は浩瀚の手から逃れ、袍の合わせを直して薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「化けの皮が剥がれたな、麦州侯。貴兄は自分に襲いかかる暗殺者は自身の手で切り捨てるそうだな。それに、商人や県正からも金を巻き上げるのが上手いとも聞いている。金を集めて朝廷に反旗でも翻すつもりなのではないのか?」
和州侯の言葉に紀州侯は浩瀚の腕を解放した。
「民から不当に金を巻き上げている輩に言われる筋合いはない!それに、地綱に定められている分しか取り立ててはいないし、朝廷にも定め通り上納しているぞ!」
浩瀚は憎しみの籠もって眼で和州侯を睨み据えた。
「その女が舒栄なのだな」
禁軍の将軍が不機嫌に口を挟んだ。舒栄は将軍と浩瀚を見比べた。
「金波宮からの迎えだそうだ」
吐き捨てるように言った浩瀚の言葉で舒栄は今の自分の状況を理解した。
「わたしを連れて行くのだな」
「行かなくていい」
浩瀚の言葉に舒栄は首を横に振った。
「諸侯等の双肩には民の命運がかかっている。もう、わたしのために何もしなくていいんだ」
禁軍将軍が舒栄に縄をかけると浩瀚は横を向いた。握りしめた両手に力が籠もった。
「お前達姉妹は諦めが早すぎる・・・」
「姉上に会えたら伝えておこう」
舒栄は笑って言った。
「それにしても、偽王を名乗った重罪人が自由に歩けるとは、待遇がいいな」
将軍の言葉に浩瀚はくつくつと笑った。
「現在の朝廷の高官達を殺したいと思うことが重罪か?そんな人間がこの慶に何人いると思うのだ?感謝されこそすれ、死罪には相当しない。その女が死んだら謀殺されたものと見なす。その時はその女が出来なかったことをわたしがやることになるぞ。お前をここへ送り込んだ奴にそう言っておけ!」
「乱心されたか、麦州侯」
「この上なく正気だよ」
浩瀚の冷ややかな視線を受け、将軍の表情は凍り付いた。
「貴方の今の言動は朝廷に報告させてもらうぞ!」
将軍はそう言い捨てると舒栄を引き立てた。舒栄は一度立ち止まって浩瀚達を振り向いた。
「わたしの未来はもうすぐ終わるが、貴兄等のお陰でわたしは慶の未来を信じることができる。いろいろと迷惑をかけて申し訳なかった」
「そんなことはもういいのだ!余州八侯が揃っていても、そなた一人を助けられなかったのだから・・・」
紀州侯の声は震えていた。舒栄は横に首を振るとこの上なく美しく微笑んで彼等の前から姿を消した。

「麦州侯はあの女と出来ていたのか?」
にやにやと笑いながら言う和州侯に浩瀚は冷たい視線を返した。
「麦州侯は独身だ。別に非難される謂われはあるまい」
紀州侯の言葉に和州侯は顔を顰めた。
「貴兄はさっさとここから立ち去るがよかろう。さもなくば、今度はわたしが貴兄を殴りたくなるぞ」
征州侯の言葉に和州侯は鼻を鳴らすと踵を返した。彼に付き従う大勢の杖身の中には二日前の夜に会った刺客達の姿もあった。
「しかし、笑い事ではなくなったな、紀州侯」
征州侯が言った。
「この男にとっては予定通りなのだ。あれほどまで敵意を剥き出しにする気はなかったとは思うがな」
「州侯を辞めるつもりか?」
征州侯が眉を顰めて言った。
「向こうが辞めさせたがっているだけですよ。ならば、こちらの都合で動いてもらう方がいい、貴兄等に迷惑をかける気はない」
「貴兄は手伝うなと言ったが、それは州侯としてのことだろう?わたし個人で協力できることがあったらいつでも言ってきて欲しい」
「そういうことであれば、わたしも協力は惜しまない。紀州侯と違って独り身だから相談しやすかろう」
紀州侯の申し出に征州侯が続き、他の州侯達も同様に協力を申し出て、それぞれの州城へ帰還した。





 数日後、金波宮へ連行途中の舒栄が逃亡し、予王の墓稜で自刃したと青鳥が来た。
「これで偽王騒ぎも収まりましたね。新しい王も践疎なさることですし、これで慶も落ち着くといいのですが」
「舒栄は禁軍に縄をかけられて連行されたんだ」
柴望の言葉に浩瀚が言った。
「偽王軍の残党が助け出したのではありませんか?」
「ならば死ぬ必要はないだろう?」
「ではその縄を解いて、禁軍を振り切ったと?」
「そんな才覚があったら、あの女は一人で金波宮に乗り込んでいる」
「では、禁軍に殺されたということですね。どちらにしても、事態はあまり変わらないのではないですか?」
「そう思うか?」
浩瀚は椅子に体を預けて遠くを見た。
「そういえば、貴方が留守の間に塙麟が失道したという青鳥が届きました」
浩瀚は眼を閉じて「そうか」とだけ言った。

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.

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