蒼の孤独もしくは嘆きの蜃気楼
(一) 予 王 2




 呀峰が和州侯に封じられて半年も過ぎると次第にその残虐性が風聞で伝えられるようになっていった。浩瀚は和州から逃げ出した者を呀峰に知られないように保護をし、他州へ逃すように手配をしていた。しかし、それもいつしかなくなっていった。残された和州の民は逃れた者は殺されたのだと思い込まされていたのだった。
 浩瀚は今まで八州の州侯の中で一番血塗られているのは自分だと思っていたが、呀峰は一年を過ぎたあたりから一月の間に民の血でその記録を塗り替えた。浩瀚は無駄だと知りつつも呀峰に警告をし、時には脅しもかけていたが、当然、呀峰がそれを聞き入れることはなかった。ただ、次々と州城の者達にもあらゆる魔の手が忍び寄って来ていた。
 月のない或夜、柴望が浩瀚の邸に馬車を飛ばし、駆け込むようにしてやってきた。
「浩瀚殿、松塾が焼き討ちされた!」
柴望の顔にはいつもの温厚さがまるでなかった。
「ぬかったな。麦州の気風は松塾が中心となっていた。真っ先に狙われると考えてもよかったものを・・・」
被衫(ねまき)のまま出迎えていた浩瀚は拳を壁に叩き付けて、額をその拳に乗せた。そこにこの州侯邸に住み着いている桓堆が身なりを整えてやってきた。
「騎獣の準備をしてきますよ」
 かつての松塾は跡形もなく、全ての建物が焼き払われていた。松明が焚かれ、兵士達が焼け跡に残っていた遺体を一個所に集めている処だった。浩瀚と柴望はその一人一人を確認していった。彼等の殆どは焼け死んだのではなく、その前に斬られて死んでいた。そして、その中に老師の遺体はなかった。
「生き残った者も数人はいるはずだ。彼等を見つけて保護しなければな」
 浩瀚と柴望は松塾の生き残りを捜して保護をし、安全な場所に避難させていたが、老師は見つからなかった。ある者は老師が自分を庇って斬られたと言っていたので、死んでいることも覚悟していたが、その死体すら見つからなかった。そんなある日、その老師本人が自ら州城を訪ねてきた。
「心配をかけたと思っての、こうして顔を見せに来た」
浩瀚と柴望はようやく安堵の息を吐いた。
「よろしければ老師は警備の行き届いた柴望の官邸へ暫く滞在して頂きたいのですが?」
浩瀚の言葉に老師は顔を顰めた。
「お前さんの官邸はどうなのじゃ?」
「わたしの塒まで警備を厳重にすると州城の者皆にまで手が伸びてしまいますよ」
浩瀚は笑って答えた。柴望は憂鬱な顔をした。
「州侯自らが囮になるとは聞いたことがない」
老師は厳しい顔をした。
「前任の麦州侯もそうでしたが・・・」
「あの方はお前さんのように刺客をわざわざ呼び寄せてはおらんかった。それに令伊をむざむざ殺されたくはないと仰っておられたからこそ、お前を紹介したのじゃ。どうやらそれが裏目に出たようじゃな」
「前任の麦州侯はわたしの剣の腕が必要だった。しかし、わたしには柴望の官の能力が必要だったのです」
「それは前もって事情を説明しておかなかったわしへの嫌みじゃな?」
「とんでもない!今となっては感謝しておりますよ」
浩瀚の言葉に老師と柴望は溜息をついた。

 柴望の官邸の一室でその家主と浩瀚、そして老師が卓子を囲んでいた。浩瀚は松塾を襲った輩の報告をした。賊は和州止水郷の浮民だった。しかし、賊は郷長の息のかかった者らしく、その郷長は和州侯呀峰の子飼でさらに呀峰は麦州の出身だった。
「和州が麦州を敵に回しても意味はないでしょう。やはり、呀峰は朝廷の権力者に繋がっているということになりますね」
「老師は松塾を襲った相手に心当たりはないのですか?」
茶杯に茶を注ぎながら柴望が尋ねた。
「あるとすれば靖共くらいかの」
「冢宰が何のためにそんなことをするのです?」
「あ奴は一時、松塾におったのじゃ。知識だけはあったが、己の都合のいいようにしか考えられぬ奴だったので破門した。それを間違いだったと認めろと言い、松塾の者を自分の府吏にさせろと言ってきた。それを断った報復かもしれんて」
「あの物欲だらけの男がそこまでしますかね。松塾を襲っても何の得にもならないんですよ」
「案外、金以外の目的があるのかも知れないぞ」
浩瀚の言葉に柴望は肩を竦めた。





 浩瀚は港に押し寄せる女達の様子を視察していた。彼女らは景王の追放令で国外へ出ようとしていた。
「彼女たちの逗留先は手配できるのか?」
浩瀚は府吏に聞いた。
「今のところは何とか。しかし、そろそろ限界です。こんなに女達を引き留めておいて大丈夫なんですか?そろそろ堯天から何か言ってくるんじゃないでしょうか?」
浩瀚は今、景王の女追放令で港に集まってくる女達を足止めしていた。堯天には交易の船が最優先だと主張し、人を乗せる船が足りないと報告していた。
「すべてはわたしが責任をとる。宿が足りない分は近隣の舎館を使え。城下の舎館まで一杯になってもかまわない」
「禁軍が彼女たちを殺しに来たらどうするのですか?」
浩瀚の護衛に付いてきた桓堆が聞いた。
「闘うしかないだろうな。しかし、主上はわたしがこうすることなどお見通しだろう」
「貴方は主上を憎まないんですね」
「真に憎むべき相手は今頃贅沢な酒肴で祝杯を上げているだろう。主上への怨嗟を盾としてな」

 間もなく景台輔失道の報が入り、景王舒覚は蓬山へ赴いて王位を返上した。港に足止めされていた女達からは快哉が上がった。
 浩瀚はその声を聞きながら天を振り仰いだ。雨垂れがぽつりぽつりと落ちてきた。浩瀚は顔を上げたまま眼を閉じた。
「天も嘆くか・・・」
雨脚が激しくなってから、浩瀚は逗留先の舎館に向かって歩き出した。

 浩瀚の執務室には男物の官服を着た女官が報告に来ていた。
「舒栄が巧の大学から姿を消しました」
「行き先に心当たりはないのか?」
「申し訳ありません」
浩瀚は園林を見つめて溜息をついた。
「謝ることはない。主上がご崩御あそばしたのだから、彼女に命の危険はなくなった。しかし、身寄りを失い自棄になっている可能性もある。彼女を捜し出してくれ」
女官は短い返事をすると堂室の扉に向かった。浩瀚は彼女が出ていく前に「待て」と声をかけた。女官は振り向いた。
「その格好はもうやめてもいいぞ」
女官は眼を見開いてからくすくすと笑った。
「気に入っている者が多いので、残念だと思う者もいるでしょうね」
「本当に男しかいないようで気が滅入る」
「侯がそう仰るのならば喜んで彼女たちは襦裙を着るでしょう」
「そんなに人気があるとは知らなかった」
「女性に興味がないと思い込んでいるだけですわ。侯はご結婚なさらないのですか?」
「わたしより強い女性が現れたら考えよう」
「では、さっそく剣の訓練をしなくては。明日からは練兵場が女官で溢れているかも知れませんよ」
「わたし以外の男には敬遠されるようになるぞ」
眼の前の女官はくつくつと笑って堂室を出ていった。





 景王舒覚に予王の謚(おくりな)が与えられた後、金波宮に登城した浩瀚は景台輔に呼ばれた。台輔は病み上がりで窶れてはいたものの、浩瀚が思っていたよりも落ち着いていた。
「侯は一次昇山者達のことを覚えておいでか?」
「勿論です。その中にはわたしの前任の麦州侯もいたのです。あの昇山で当時の良識者の殆どを慶は失いました」
「そう、あの中には王となるべき方がおいでだったのです。今となっては何方が王だったのかは定かではありません。わたしはその後の王を長く捜し出せずにいました。そして十二国中を捜しても見つからず、次王は胎果ではないかと思い至りました。そして、慶の場合は蝕が通り抜ける方角から考えると崑崙よりも蓬莱の方が可能性が高いのでわたしは蓬莱へ渡ることにしました。ところがその前に、遠く離れているにもかかわらず突然王気が慶に出現したことを感じたのです。恐らく、その前に蓬莱におわした王が亡くなったのでしょう。わたしはこれまでに三人の王を失いました」
浩瀚は静かに次の言葉を待った。
「侯は主上の最期をどのようにお考えか?」
「主上が台輔に恋着していたというのは狂言だったのですね?」
浩瀚の言葉に台輔は紫の眼を見開いた。
「侯も主上が狂っていたとはお思いにならないのですね?わたしにも信じられませんでした。主上の眼は決して狂ってなどいなかったのです。ただ、何故あんなことを仰るのかわたしにはわかりませんでした。しかし、侯はどうしてお会い下さらなかった主上が狂っていないことに気付かれたのです?」
「わたしは一度、堯天の郊外にあるあの園林を訪れて主上にお会いしたのです。お諫めするためではなく、腐敗しきった朝廷の官吏と一緒に戦って頂くために。しかし、主上はご自分の親しい者を誰も失いたくないと仰り、ご自身は民のために滅びることを決意されていました。わたしはそれを思いとどまって頂くことができなかったのです。朝廷で孤立させられた主上にとって利用できるのはご自身と半身であらせられる台輔だけだったと思われます。一年で失道できればまだしも、正気であのような狂気を演じ続けることは如何ほどの苦痛だったか、歴代の王のなかでも主上ほど孤独な王はいなかったでしょう」
台輔は眉根を寄せて横を向いた。
「あの方をそんな風に追い詰めたのはわたしなのでしょうか?」
「主上を追い詰めたのは朝廷の官吏達です。それに、王が決意されたことを臣下如きでは止められるものではなかったようです」
「貴方がそんなことで諦めるとは思えません」
浩瀚は首を振った。
「主上に麦州の民を託されてしまったのですよ。わたしが主上と共に戦うということは麦州を犠牲にするということなのです。主上にそれだけはならないと諫められました。麦州の民は温厚篤実な州侯に生け贄として捧げられそうになり、それを主上に助けられたことを知りません。いつかは話してやりたいと思いますが、それは今ではありません」
「主上は我々に嘆き悲しむことを許してはくれないのですね。わたしはこれから蓬莱へ参ります」
「王を迎えに?」
「はい。主上から自分が亡き後は直ぐに次王を選定するようにと言われております。それが最期の勅命だと申されたのです。ですが、未だこの世のどこにも王気は感じられません。今度こそは先に蓬莱へ渡ろうと思います」
「次王は胎果だと・・・」
「恐らくは。しかし、海客への偏見が残るこの国では歓迎されないかもしれません」
「いいえ、海客や半獣への差別を撤廃する機会となりましょう。それに、ご家族やご友人がおられないほうが今の朝廷では幸いと言えます。主上のように人質を取って追い詰めることはできません」
「そうだと宜しいのだが・・・」
「次の王こそは何があってもお守りしましょう。初めは傀儡であっても構わないのです。今の慶にとっては王が生きて在ることこそが必要なのです」
「では、この次こそは真っ先に貴方を頼りにしましょう」
「お待ち申し上げております。それと、ご帰還後でよろしいのですが、今一つお願いしたい議がご座います。お聞き頂けるでしょうか?」
「主上に残された誼です。お聞きしましょう」
「麦州の松塾という義塾に道を説く高名な老師がおられました。しかし半年ほど前、それを妬む輩によって松塾が焼き討ちに会ったのです。老師はかろうじて生き延びて州宰の官邸で保護しましたが、我々も常に命を狙われております。しかも、当のご本人が見張り付きの生活に飽いて出て行きたがっているのです。できれば麦州以外に滞在していただける安全な場所にお移り頂きたいと思っているのですが、台輔の黄領(ちょっかつち)に適当な場所は御座いませんでしょうか?」
「そうですね、固継の閭胥が今不在です。蓬莱へ渡る前に寄り、里宰に話を付けておきます。命にかかわることならば早い方がいいでしょう」
景台輔はそう言うと、紙と硯を用意した。

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2003.

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