由里様的衣裳考察(唐代の女性の衣裳)1

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◆◆◆ 唐代の色の好み ◆◆◆
紅衣が尊ばれ、次が黄衣、または白衣。

◆◆◆ 唐代の女性の衣服 ◆◆◆
襦・衫・袍・よう・こ・裙・半臂・被帛をまとっていた。

(参考図書:大唐王朝の華―都長安の女性たち)
(じゅ) 上着。丈が短い。
(さん) 単(ひとえ)の上着。丈は長い(かもしれない・・・記載されていた絵画や複製品の写真に付けられた説明から推量。見た目、薄手の打掛のよう)。
(ほう) 説明なし
よう(衣偏に夭) 説明なし
(衣偏に庫) ズボン、はかま。漢代、股の部分は縫われておらず、唐代でも、女子の履くものは、中国の子供服と同じように股が縫われていないものもあった。帯紐が付いている。
(くん) スカート。紅色が好まれ、特に柘榴裙と呼ばれた。位(女性の位は夫に準じた)によって身に付けられる色は定められていて、一品から三品は紫、四品濃緋・五品浅緋・六品濃緑・七品浅緑・八品濃青・九品浅青。庶人(位のない人?)は黄。もっとも、規定は大して重要視されておらず、守らない人も多かった。
長裙(ちょうくん) 丈の長い裙。
半臂(はんぴ) 袖の短い上着。袖なしのこともある。丈は腰まで。ベストのような物。袷(あわせ)と綿入れの2種類がある。襦の下に、防寒のために着る。(と言いつつ、復元品の写真では襦の上に重ねていました。どっちが本当なんだ?どっちもありなのかも・・・)
被帛(ひはく) ひれ。ショールのような物。絹製で幅が狭く薄い布地。絵が描き付けられたり、刺繍が施されたりしたものもある。
裙帯(くんたい) 腰被ともいう。布製。腰に結ぶ帯。玉をつけて垂らすことも。
ばつ(衣偏に末) 靴下。女性は羅(絹の薄物)製を用い、紅色が特に好まれた。貴人は錦のばつを履いていた。楊貴妃の好んだばつは、今のストッキングのような物。
(り) 履、すなわち礼(足を飾ることが礼儀であったから)。履物のこと。朝服・公服・祭服を着るとき、足を飾る物。女性は絢履(じゅんり・明確な説明はない。錦で作られていたのかも)を履くものだったらしい。
(あい) 編んで作られた履物。甲は布製のこともある。側面がある。唐代の鞋には、現在の物とは異なり、紐が付いていた(多分、甲を押さえるように)。
(げき) 二つの歯がある、木製または皮製の履物。側面がなく、紐(ちゅう)に足を突っ込んで履く。屐をはくときは、「ばつ」をはかない(冬でも素足、が粋だったらしい)。屐を履くとき、女性は必ず「ちょう」(麻垂の中に、行人偏と蝶・鰈・葉のつくりを書く。形状の説明なし。ぺらぺらしているのかも)を敷いた。
袒胸(たんきょう) 字義は「胸をはだける」であるが、上記の長裙を身に付けた状態をさす。
袒領(たんりょう) うなじがあらわになる(=襟がない)。


◆◆◆ 補 足 説 明 ◆◆◆
(新字源・学研漢和大辞典から)
(あい) 船形の履物。〔挿絵は、つま先の少し反り上がった中国靴〕
(げき) 木製の下駄の類。〔挿絵は、下駄に似た、二つ歯のある突っかけサンダルでした〕
また割れズボン。はかま。=袴(こ)
ばつ 靴下、足袋。〔挿絵によると、二股でない足袋のような形で、足首丈。縛って留めるための紐が付いていました〕


◆◆◆ 私 的 注 釈 ◆◆◆
袒 胸
 唐代に流行したもので、特に中唐以降、盛んになった風俗。男女問わず、着崩さない状態で喉元から下があらわになることはまずないので、わざわざその状態を表現する言葉が存在するのでしょう。
 唐代、女性は大変開放的な服装をしており、また胡=西域からの影響で、肉感的であることが美女の条件でした(一般に中国では、楚々とした細面に柳腰が尊ばれた)。唐の後宮には、胡姫(アラブ系またはスラブ系の美女)もいたそうですし。胡服が流行したのも一因だったでしょう(豊満な体型でないとでないと似合わなかった、ということじゃないかと)。
 ちなみに、女性が馬に(横乗りではなく跨って)乗るのも一般的。男性に混じってポロに興じたり(長裙に衫を重ね、胸高に帯を結ぶという服装で)、中には狩に行く人もあったのだそう。男装が流行ったのも当然の成り行きかもしれません。
袒 領
 「袒胸」と同じく、わざわざうなじが見えることに言及する単語があるのは、襟がないのが普通でないせいなのかもしれません。色々な絵を見ていると、どうも中国の伝統的な服は、襟の後ろの部分が高く(後ろから見ると、中央部分がとがっているものもある)、うなじを見せないデザインが多いようです。
 といっても数多く見ていないので、自信はありません。あしからず。

 おそらく甚平に似た形で、衽(おくみ;重なる部分)があり、結ぶ紐が二ヶ所につけてある上着。袷(あわせ;裏地がある)に仕立てられていて、襟はたいがい高め(ないのも見たことがあります)、筒袖のもの少なくない(というか結構多い)です。綿入れにしたりもします。

 仕立ては単(ひとえ;裏地なし)。衽(おくみ)がなく、結ぶための一組の紐がへその上あたりに付けてあり、対襟(羽織のような感じの襟を言う)になっている。襟は立っていない。袖がある(その多くは筒袖)。
これに当てはまれば、丈の長短によらず、下着・上着のどちらのことも「衫」と呼ぶようです。ただ、丈が長く大袖があるのは上着の「衫」だけだと思います。
 衽がある衫も存在するようです。形は、筒袖の甚平そのもの。両脇の下あたりに結ぶ紐がつけてあり、これも、単(ひとえ)に仕立てられています。
(以下、袴で代用)
 子供服としての股割れズボンが、「袴」との比較対象に挙げられているということからすると、「袴」と子供用ズボンは形状に似ている点があるのかもしれないと想像しました。
 その「股割れズボン」とはどんなものかといいますと、股下の部分が縫い閉じられていないズボンです。現在これを履いている子供は、少なくなって来ているけれども健在で(なぜならトイレのとき便利だから)、履かせるのに男女を問いません。こちらに背を向けてしゃがんでいる2、3歳の男の子の、ズボンの股がぱかっと開いていてお尻が丸見えという写真を見たことがあります。パンツをはかずにズボンだけ、という事ですね。写真で見る限り、立っていると普通のズボンと見分けが付きません。ベルト部分はつながっているようでしたので、多分、ボタンで留めているか、紐で結ぶようになっているのでしょう。
 そこから推測するに、「袴」はスカート型ではなくズボン型、漢代においては、ベルトの部分でのみつながっていて紐を結んで着ていたか、場合によっては左右ばらばらで、それぞれ紐をウエストで縛って履いていたのかもしれません。
 唐代に入ると、男性用の「袴」は股が縫われて現在のズボンのようになり、女性用は股の縫われた物、縫われない物が共存する状態だったようですね。女性用の「袴」に縫われない物があったのは、やっぱりトイレの時の利便なんでしょう。
 袴を履くとき、裾はそのまま下ろしていたのか、それともくくっていたのでしょうか? 仕事着として着るなら、くくった方がきっと邪魔にならないでしょう。 それと、くくった方がきっと暖かいと思うので、防寒のためにくくるのもありそうです。 でも、縛らなくたって別段困らないだろうな、とも・・・結論としては、両方あると思います。(中国のでなく韓国朝鮮のものですが、どちらの着方も見たから)
ばつ(衣偏に末・または蔑)
 ばつには材質がいろいろあり、布製だけでなく皮製のもあります。「ばつにはストッキングみたいな物もあった」と書いてあったのは、羅のばつが流行した、それをさしているのだと思われます(一般の人々は、くず糸で織られた布で作ったばつを履いていたみたいです)漢和辞典の挿絵は足首丈だったんですが、違う絵によれば、くるぶし丈のもあるかもしれません。
(り)
 王様たちがはいている靴です。といえば、大体の印象は分かっていただけるのでは。つま先が、大きく装飾的に反り返っているものを良く見ますね。あれです。
(・・・なんて不親切な説明)
(あい)
 鞋には、草を編んで作る「草鞋」、布で作る「布鞋」があります。ちなみに日本語では「草鞋」と書いて「わらじ」と読みます。そんなふうに使うくらいなもので、ぱっと見、「鞋」はわらじそっくりです。ただ、わらじと違って足の指の股に掛ける部分はありません。とても浅い靴で、足の甲から足首にかけて紐を掛けて履きます。
長裙
 なぜ丈が長いのか?それは、普通の裙とは異なり、腰から下を覆うのではなく胸から下を覆うから。スリップドレスの、床に付くほどの長さの物を想像して頂ければ近いと思われます。今までのところ、長裙と襦を重ねている図を見たことはありません。その代わり、衫を着るようです。もう一つ、長裙は胸高に(乳房のすぐ下、アンダーバストに)帯、または綬を結ぶものらしいです(理由はおそらく胸を強調するため)。
 裙には「巻きスカート型」と「筒型」とがあるそうです。長裙の場合、もし「筒型」だとしたら肩紐が必要でしょう。しかし、今のところ私は肩紐のある絵を見たことがないので、ここでは「筒型」はない、と推定します。一方「巻きスカート型」の場合、裙ならともかく長裙では、バスタオルよろしく布を巻いて、乳房の下に帯を締めるだけでは、馬を乗り回す女性の着る物としていささか心もとない・・・ということで、おそらく布にひもが付いていて、背中で、とか、きちんと縛れるのだと思います。
(しょう)
 原作で王様たちが着ている服の、男性では下裳、女性では裙の、下からのぞくひらひらしたもの、あれを裳といいます。(というか、腰から下をを覆うもの、全て裳なのですが)本体は、薄い布地でたくさんのひだが取ってあり、締めるための帯紐(おびひも)に縫い付けてあります。パニエのようなものだと思ってよいでしょう。
丈はウエストから床まで、帯紐の長さは大体広げた両腕の手の先から反対の先まで(ほぼ身長くらい)。・・・かなりぐるぐる巻きにして着る感じですね。
十二国記の中で巻きスカートのようだ、といわれている裙も(ひょっとして長裙も)、同じくらい巻くのかもしれません。
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Written by YURI in 2005
Albatross−資料室[唐代の女性の衣裳]−
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