恋 文 2


「浩瀚が陽子に惚れているかもしれないとおっしゃられるか?」
老師は眼を見開いて言った。景麒は今朝の出来事を話した。聞き終わると老師は笑った。
「それならば例え浩瀚が主上に思いを寄せようと主上にその気がなければ心配することはないのではありませんかな。それとも台輔は主上に恋慕する男全てが許せないと仰せになる?」
「そこまでは思いませんが、官の重責にある冢宰であることが問題だとは思われませんか?」
「お気に病まれずとも、浩瀚は今の実権を持ったまま王の愛人になれないことなど承知しておりますよ。そして、御年十六の胎果の王に自分が誰よりもお役に立てるという自負もある。浩瀚がお役後免になるには百年は必要じゃろうて。何せ、主上は新しいことを次々と考えられるからの。それに浩瀚が真実、主上に思いを寄せておるのならばそれはそれで面白いことだとは思いませんかな?」
「どうしてです?」
景麒は眼を見開いて言った。
「あの訳知り顔のすました男が叶わぬ恋に苦しむのもまた一興でござろう?」
「・・・・・」
景麒はこの太師が浩瀚の師でもあったことを痛感した。浩瀚以上に度し難い人物であってもおかしくはなかったのだ。
「しかし、王気が・・・」
今度は太師が首を傾げた。
「冢宰が登城してから主上の王気は強くなりました。予王の時は最初にお会いしたときだけで、金波宮にあっては次第に弱まっておいででした。後から考えれば家族と引き離されたことが原因だったと思われます。しかし、主上は・・・」
「ふむ、浩瀚は陽子が生まれる遙か以前に家族を失っておるからの。また、陽子が生まれた頃には刺客に命を狙われておったから結婚もしておらんはずじゃ。家族ということはありえないの。赤の他人だが、特別な関係にあると台輔は思われるのですな。そして、恋人同士になる可能性が高いと危惧しておられる」
景麒は横を向いて俯いた。
「ならば、台輔が努力するしかありませんの。この国にとっては冢宰としてのあの男が必要なのじゃから。そのことは断じて浩瀚に言ってはなりませんぞ。あの男は官位に執着がないのでの。せめてもの救いは陽子に自覚がないことじゃ。それまでは浩瀚一人の苦悩ですむ」
「太師は彼の師でもあったのではないのですか?それでいいと仰るか」
「陽子に自覚がない限り、あの男は耐えられるじゃろう。その間の苦悩ですら楽しむような奴じゃ。台輔がお気に病まれるほどのことはござりませんよ」
「苦悩が楽しめるようなものですか?」
台輔は眼を見開いて言った。
「台輔はご理解しなくてもよろしいことじゃよ。要は浩瀚の心配など他の者に任せて、主上のことのみ心配しておって下されればよいのです。これだけは他の者には代われることではないのでの。陽子が自覚すれば浩瀚の苦悩は主上のもにもなる。おわかりになられますかな?」
「はい、主上では苦悩を楽しむことなどできないでしょう」
老師はくつくつと笑った。
「その通りじゃよ」

 翌日、奏上書の中に一通の手信があった。それは陽子がとても見易いと常日頃から思っていた府吏からのもので、内容は浩瀚からもらった恋文と同じような簡単で他愛のない内容で短いものだった。共通するのはどちらも陽子を励ますような文章だったということだった。
「返事を書いた方がいいのかな?」
陽子は浩瀚に聞いた。
「そうですね。二、三行で十分でしょう。それだけでも書いた甲斐がありますよ」
「お前も喜んでくれるのか?」
「勿論です」
「蓬莱の文字でよかったらたくさん書くんだけどな」
「では、わたしには練習用にたくさん書いて頂けますか?」
「うん、わかった」
これから、金波宮内で陽子へ恋文を書くことが流行ることになった。中には女官からのものもあったが、共通して言えることはわかりやすく、短いということで、不文律が確立されていた。

「金波宮で陽子に恋文を送ることが流行っていると聞いてな。俺も持ってきた」
いつも通りに突然現れた雁国主従の延王は陽子に手信の束を渡した。首を傾げる陽子に延王はくつくつと笑った。
「偽王討伐に共をした空行師の連中からだ」
「うちの王はむさいからな。金波宮の色気のある話題に飛びつきたがっている輩が多いのさ」
頭の後ろで両手を組んで延麒六太が言うと、「こらっ」と延王が頭を小突き、延麒六太は首をすくめた。
「成笙も陽子の返事がもらえると言ったら二つ返事で書いたぞ。ある意味一番珍しいことかもしれんな。しかし、連中への返事はゆっくりでいいからな。そして、これは俺からだ。そろそろ、こちらの文字ばかりで飽きただろう?蓬莱の文字で書いた。返事も蓬莱の文字でいいぞ」
「ありがとうございます!古典は得意だったけど、ちょっと自信がないので文章が変でも笑わないで下さいね」
陽子の言葉に延王が首を傾げた。
「こいつへの手信は陽子の知っている文章でいいんだよ。俺が持ち帰る本を読んでいるからな」
延麒六太は笑いながら言った。
「しかし、こいつに蓬莱の文字を教えたのは俺だぞ」
「しょーがねぇじゃん!俺がこっちに連れてこられたのは三歳の時だったんだからな!その代わり、こっちの文字を教えてやっただろう?」
延国主従のやりとりに陽子は顔をほころばせた。
「延王はいいですね。同じ胎果の半身がいて」
「そうか?純粋にこちらの人間でありながら、蓬莱の文字を学ぶ物好きがいるお前の方が俺には羨ましいがな」
延王の言葉に陽子は眼を見開いた。
「なぜ、それをご存じなのですか?」
「お前んとこの冢宰に壁落人を紹介したのは俺だからな!」
延麒六太は頭の後ろで手を組んで言った。
「やはり、珍しいことなんでしょうか?」
「俺達が知る限りでは前例がないな」
延王の言葉に陽子は考え込んだ。
「陽子、他国の文字を学ぶのはその国の人間の心を知ることに近いとは思わぬか?お前のところの冢宰はお前の心を知ろうと努力をしているのだ。荒れ果てた国の民も官吏も長い不遇の間で王への期待が大きくなり、依存しがちだ。王へ対する要望が多く、自分たちの期待通りでないと失望する。そんな中にあって浩瀚は貴重な人材だとは思わぬか?」
「ええ、その通りです。延王も登極の際は苦労されたのですね」
「苦労のない王など存在せぬ。それを察してくれる人間が傍にいるだけで、苦労は苦労でなくなる。よい人材を得たな、陽子」
「はい!」
無邪気に喜ぶ陽子を見て延王は苦笑した。雁の冢宰白沢ならまだしも、浩瀚のような男が一人の少女に忠誠心だけで出来ることだとは信じてはいなかった。しかし、それを陽子に教えてやる義理はないし、冢宰である限りその思いを秘めておかなければならない浩瀚に同情する気もなかった。要は陽子が笑顔で国を治めていればいいだけのことだった。
「俺は量より質だぞ。楽俊と泰麒と、これは俺から!」
延麒六太はそう言って三通の手信を陽子に渡した。
「俺と泰麒も蓬莱の文字でいいんだからな。特に泰麒は向こうでラブレターを書いたことがないらしいぞ」
「楽俊やお前もあるとは思えんがな」
延王の言葉に延麒六太は「ばれたか」と言って笑った。

「ラブレターを流行らせたのはお前の仕業だな?官に信頼がないと落ち込むわたしの世話に飽いて・・・」
「おや、わたしは主上に信をおいている者達のためにしたつもりですが・・・」
「悪かったな。お陰でまたぞろ変な噂が立ってしまったようだな」
「それは、わたしを登用した時から覚悟なされたことでしょう。主上のお心の持ようは慶に影響する。国がよろしければそれでいいのではありませんか?」
「お前ばかりに貧乏くじを引かせているようで申し訳ないような気がしてね。このままでは恋人もできなくなってしまうのではないか?」
「本気で恋人が欲しくなればそんな噂を気にしない女性を捜しますよ。主上がお気に病まれることではありません。これでもかつては恋人もおりましたし、結婚したいと思った相手もおりましたから不幸ではありませんよ。わたしに言わせれば、一生恋はしないと仰る主上の方こそお寂しいのではないかと気掛かりですね」
「知らなければ不幸もなにもないだろう?わたしはこれでいいんだよ」
「御意に。ですが、忘れないで下さい。心ある者にとって、主上に犠牲になって欲しいなどとは思っていないことを・・・」
「心得ておく」
その時、女官が氾王からの親書を持ってきた。その手信に使われている紙は相変わらず趣味の良いものだった。陽子は首を傾げて手信を受け取り、読み終わると声を上げて笑った。
「氾王からの感謝状だ」
陽子は浩瀚にその手信を渡した。内容は慶で恋文が流行ったお陰で紙の需要が増えたので感謝するというものだった。陽子に恋文を送ることが流行った影響で、金波宮内でも恋文を送ることが流行し、それがさらには堯天の街から瑛州中にも広まった。そして、大切な人間に送る特別な文は当然上質な紙が選ばれ、それは範国製のものが多かったらしい。
「お前はそれも狙っていたのか?」
「多少は期待しておりましたが、氾王から礼状を頂けるほどではありません」
「今回最大の成果だな。それにしてもラブレターで経済の活性化が出来るとは思わなかった・・・」
陽子の言葉に浩瀚は苦笑した。

景麒は浩瀚と積翠台を出て、人通りのない場所へ差し掛かると足を止めて振り向いた。
「貴方は何故、主上に恋をせよとけしかけるのです?」
険しい顔で詰め寄る景麒に浩瀚は笑って返した。
「それが自然だからですよ。特にこの国でお育ちになられず、家族もいない主上にとってその存在は重要です。蓬莱よりもこの国が大切なものになるでしょう。台輔は予王の前例を恐れていらっしゃるようですが、あのお方の場合は朝廷で孤立させられたが故の狂気です。今の主上をそんな風に追いつめるつもりはありません。幸い、わたしはそれを成すだけの実権を頂いておりますから」
「その相手が貴方ならば問題なのです」
浩瀚は景麒の射るような視線を受け流した。
「それは台輔が努力なさって下さい。わたしは貴方と張り合う気はありませんからね。それに、他国の男も困りますよ」
浩瀚はそう言うと冢宰府へ向かって歩き去った。

− 了 −
「浩陽同盟」への投稿作品
This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2002.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


 十六歳の女王といえば、「クレオパトラDC」(新谷かおる氏作)のアメリカ経済界の女王クレオ、「カルバニア物語」(TONOさん作)のカルバニア王国の女王タニアが浮かぶのですが、この二人はナイスバディで非常にチャーミング、陽子とタイプは少々違います。当然、若すぎるが故に侮られたり、女の子なりの苦労もある。無邪気で無鉄砲なところもあるけれど、側近達はそんな女王様の成長を見守りつつ、影から力を貸すのです。浩瀚はそんな女王様の側近に嵌ります。
 わたしは陽子に女王らしい華やかな活躍を期待したいのです。剣を振り回し、少年に間違えられる処では、十六ではないけど男よりも男らしいヴェネチアの元首バレンチーノ(森川久美さんのシリーズ)のような格好よさも期待したいですね。
 よくよく考えればカップリングにする必要はないのですが、そこはそれ、わたしが俗物だから(笑)

浩陽メニューは封印しましたが、この作品は他の作品への影響が大きくCP色も少ないだろうと残すことにしました。シリアスとして、また景陽前提でも楽陽や尚陽前提でも通じると本人は思っているのですが、いかがなものでしょう?
この作品があることで浩陽サイトとか浩陽作家とか呼ばれることがあったら、削除することにします。


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