散る時を知る 4

慶国瑛州堯天の冢宰邸にて



 慶国の堯天にある府邸では桜が植えられ、大事に育てられていた。それは赤王朝の安定を意味し、景王君の木と人々にも愛されて人の集まる場所にも桜の木が増えていっていた。そして、いつしか海客も集い、花が咲く頃には蓬莱のように花見をする人々が増え、市が立つようになっていた。このことは胎果である自国の王と隣国の王や台輔を喜ばせ、陽子の側近達と禁軍の左将軍が選び抜いた優秀な兵士を荷物持ち兼護衛とし、雁国主従も加わって花見をすることが慣例となっていた。花見に関わらず、慶国冢宰の浩瀚は王と宰輔が留守の間は王宮の留守を預かっていた。





 勤めを終えた浩瀚は自邸の園林にある四阿にいた。傍らには四阿の側まで張り出した枝に桜の花が月の光に映えて浮かび上がっている。石案の上には灯りがひとつと酒肴があった。
「冢宰殿、主上が戻ったぜ」
園林の闇から男の声がした。この男の報告はこれだけで十分だった。この男がいつもと変わりなく戻ってきたということは景王も無事に戻ってきたということになる。浩瀚は口の端に笑みを浮かべた。
「ご苦労、お前はわたしへの報告で今日の仕事は終わりだったな。ここへ来て酒に付き合わないか。宴会の共をしても飲んでいないのだろう」
月明かりの下に出てきたのは静かな気配に似合わぬ大男、慶国の王を護る大僕虎嘯だった。虎嘯が目の前に座ると浩瀚は酒杯を虎嘯の前に一つ置き、酒を注いだ。「では、遠慮なく」と言うと虎嘯は酒を一気に飲み干して、大きく息を吐いた。浩瀚は再び虎嘯の酒杯を満たしてやった。
「無事に仕事を終えた後の酒は格別に旨いな。それにこの酒は雁国の清酒か」
朝廷内での昇進や報償を望まない虎嘯に景王陽子は数々の特権を与えていた。任務中は自国の高官に礼を摂るに及ばず、という特権もその一つだったが、いくら虎嘯といえど妹のような陽子や友人の禁軍左将軍はともかくとして、自分より身分の高い人間に対して仲間に使うような言葉遣いはもちろんしない。公式の場は別として、王以上に丁寧な物言いをするとこの冢宰がちくちくと嫌味を言うので諦めただけだった。
「元々は蓬莱の酒だ。桜には似合いだろう?」
「ああ、こっちに来てこの酒を造らせた延王の気持ちがわかるぜ。桜の宴には毎年樽ごと持ってきて皆に振る舞っている。蓬莱の話をすることは殆どないんだがな」
「あの方らしい。主上はどうだ?」
「俺にはよく話してくれるんだが、他の者にはあまり話さないようだ。去年の花見で母親が早起きをして豪華な弁当を作ってくれていたという話をしたんで、今年は祥瓊と鈴が陽子を巻き込んで弁当を作っていた。膳夫(まかない)の連中もいつもより気合いを入れていたぜ」
「ならば、いつもの年より楽しまれたことだろう」
「毎年、冢宰も来ればいいのにと零しているけどな」
浩瀚は口元だけで笑って酒を飲んだ。
「それはできないな。毎年決まった時期に主上と台輔がお出かけになっているんだ。その上わたしまで抜けたら謀反を起こそうとしている者にとっては格好の標的になる。わたしが留守を預かるだけで牽制できるのならばそれに越したことはあるまい」
「あんただったら、そう言うだろうと思っていたよ」
「やっとここまで来たんだ。最初の頃は誤解も多く苦労をされた。蓬莱でのことを話せるようになったということは心に余裕ができてきたのだろう」
虎嘯は「ああ」と呟くと、石案に方肘を付き、桜を見上げた。
「冢宰は桜が好きだったんだな」
虎嘯の言葉に浩瀚は片眉を上げた。
「何故そう思う?」
「ここに桜があるとは知らなかったが、その桜はあんたが植えたんだろう?」
「ああ。冢宰を拝命したばかりの時に壁老師に枝をわけてもらって植えた。この桜は赤王朝の成長の証でもある」
「それを陽子が知らないのは何故なんだ?」
虎嘯は浩瀚の酒杯に酒を注いだ。
「この木は臣下の木なんだよ。主上にお見せする程のものではない」
その時、ひらりと桜の花びらが石案に舞い降りてきた。
「蓬莱ではこの花はその昔、主君に使える武士に譬えられていた」
「延王も武士だったんだろう。俺は武士ってのは軍人なのかと思っていたぜ」
「文武両道と言って、文官も武芸を修めて佩刀し、武官も書を嗜むものだったそうだ。かつての蓬莱は国の統治者に仕える者は皆武士だった」
「なるほど、それを聞けばあんたには似合いの花だな」
浩瀚はくつくつと笑うと虎嘯をまっすぐに見据えた。
「武士がこの花を愛した所以は雨にも風にも散ることなく、時期が来れば自ら散る姿に己の生き様を投影したからだそうだ。わたしはこの花を見ているとお前を思い出す」
虎嘯は声を上げて笑った。
「俺を花に譬えるのはあんたくらいのものだぜ。まあ、この花なら悪い気はしないな。だが俺はこの花は陽子に一番相応しいと思う。あいつの潔さに勝る奴はあまりいない。それに色香が薄い処なんざそのものだよ」
浩瀚は目を見開くとくつりと笑い、桜を見上げた。
「ああ、その通りだ」
そうして、身分がかけ離れながらも景王の側近くに仕えて信を得ている二人の男は静かに散る桜の下で酒杯を重ねた。


山の端の月様「桜祭り」参加作品改訂版
This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2006.
背景素材:InvisicleGreen

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.




この桜の設定は酒蔵作品の「散る花のごとく」で戦国時代の酒や武士と桜の関係を調べている時に見つけまして、いつかは書こうと思っていました。ですから、縷紅さんから桜祭りの企画を聞いて書こうとしたのですが、当然尚隆が主役になるだろうと思っていたものの、桜を語る尚隆が出てこなかったのですよ〜!
で、学生運動に身を投じていた壁落人センセーなら語れるだろうと、聞き手を浩瀚にして何とか仕上がりました。
ただ、締め切りに間に合わせるため、思いついた内容を書き連ねただけだったので説明臭くてウンザリし、書き直している間に夏になってしまいました。「散る花のごとく」は秋にアップしたくらいだからまだましカモv(殴!)

雁国の官吏連中は玄英宮の内部だけでは主君を罵倒していても、対外的にはそれなりの礼節で王を語ると思っています。ホントは尚隆が前触れ無しに金波宮を訪れた際には青鳥がほしいという魂胆もあるのですが、本筋とは離れてしまうので、敢えて削りました。 4話目は当初冢宰邸にある桜の成長を思い起こす浩瀚の独白の予定だったのですが、桜は虎嘯にも似合うと思いついた途端、内容を変更してしまいした。浩瀚の独白じゃうっかり浩陽路線になるトコロでしたよ〜!(期待していた皆さん、ごめんなさい)
投稿作品のクセにMy設定が多くて失礼しましたが、知識中毒で蓬莱の文字を覚えようとする浩瀚はわたしだけの設定ではなくなっているので許されるかな、と思ったのです。でも、慶国ファン以外には馴染みのない設定でしたね。
投稿者に尚陽ファンの方が多いのだから、蓬莱の文字を教わるという箇所だけは除けばよかったと後で後悔しました。改訂版は自サイトなのでわざわざ削る必要はないかと残しています。
そして、虎嘯の特権というMy設定はわたしの願望です。虎嘯はどこまでも拓峰の舎館にいた頃の虎嘯であってほしいのです。「黄昏の岸 暁の天」の虎嘯はわたしの妄想も有り得なくはないような気がしています。
三枚目虎嘯はわたしの妄想にはありません!(ギャグの才能がないだけとも言うA^^;)


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