邂  逅




 大学に久しぶりに来てみると校内中、台輔失道の噂で溢れかえっていた。ただでさえ、心中穏やかでない彼にはそれは耐え難いほど耳障りだった。
「久しぶりだな、浩瀚。お前も次王は男王の方がいいと思うだろう?」
学友の一人が声を掛けてくると浩瀚は冷たい眼で相手を睨め付けた。その視線に周囲は沈黙した。若くして大学に入学した彼よりも学友は年上が圧倒的に多かったが、彼の学識の深さに卒業間近になると、もはや年下だという侮りはなくなっていた。浩瀚が立ち去ると今の不用意な言葉を発した相手に別の学友が耳打ちした。
「莫迦!奴は懐達という言葉が大嫌いなんだ。知らなかったのか?」
「何でまた、珍しい奴もあったもんだな」
「奴さん曰く、達王の時代を忘れない限り慶には次の繁栄はないんだと」
「だからと言って今の女王じゃな」
学友達はそう言って頷き合っていた。

 景台輔失道の青鳥(しらせ)を受けて風漢は一人で堯天に来ていた。街は享楽的な末期症状を呈していたが、一画だけそれとは違う活気を見つけた。風漢の足はそれに曳かれるようにその中心に向かった。そこは柱が緑に塗られた一件の妓楼だった。
「旦那!うちは騎獣も安心して預けられますよ。何といってもお得意様は官吏の方々や遠方から来られる裕福な御仁が殆どですからね」
建物の趣味は確かに悪くなかった。それに店の人間にも卑しさがなかったので風漢は騎獣を預けた。その時飯堂(しょくどう)から歓声が上がり、二人の男を先頭に店の客の殆ども出て来ていたようだった。
「ああ、お気になさることはありませんよ。あれは遊びです。あの若い方がここの家公(しゅじん)の知り合いでして、忙しい時には手伝ってくれるんですが、あの通りの美形でしょう?妓(おんな)よりも彼がいいという客もいる訳です。そんな時には剣で勝てたら相手をしてやると言っているものですから、懲りもせずああして剣を申し込む者がいるんです」
「負けたことは?」
風漢は口の端で笑った。若い方が相手の喉元に剣をかざして勝敗がついたところだった。周囲の客達からは敗れた男に対する冷やかしの声が上がっていた。
「今の所はないですね。って、旦那!」
風漢は素早く地面を叩いて悔しがっている男の背後に立った。
「次は俺が相手なろう」
風漢がそう言うと二十代前半のその男は眼を見開いてからくつくつと笑った。
「軍人相手に勝負をするつもりはない」
相手の若い男の言葉に周囲が静まり返った。
「なぜ、そう思う?」
「鍛えられた体格で身なりが良く、趨虞(すうぐ※当て字)に乗っていれば誰だって師帥以上の軍人だと思う。軍人が素人を相手にしたとあっては名折れでしょう?」
「なに、俺は一向にかまわん。お前が気に入ったんだ。是非とも相手をしてもらおう。それとも、立ち合うのを諦めて俺の相手をするか?」
言われて若い男は溜息をついてから剣を抜いた。
「仕方ないな」
「おい、よせ!浩瀚。軍人なんぞ相手にしなくてもいい」
先程、浩瀚と呼ばれる若い男に敗れた男が言った。周囲の客達も同様に頷いて風漢に向かって鋭く光る視線を向けてきた。
「俺達全員を相手にするか?」
地面を叩いて悔しがっていた男とは思えない真剣な眼でその男が言った。
「よせ、全員が束になったって敵わない相手だ。自分の蒔いた種は自分で刈るさ。それに、客に怪我を負わせたとなったら親父さんに会わせる顔がない」
浩瀚の言葉に客は従って後ろに引いたが、視線は相変わらずだった。
「お前を傷つけたら殺されかねん勢いだな」
風漢は口の端で笑ってゆっくりと剣を抜いた。
「後ろの連中は気にしなくてもいい、わたしが止める。もちろん、あんたの為じゃない!」
言って浩瀚は斬りかかってきた。それは普通の剣士であれば避けるだけが精一杯の場所を突いてきた。だが、風漢は並の使い手ではない。それらの攻撃を悉く剣でかわし続け、反撃をしていた。浩瀚の方も思ったよりも遙かに身軽で難なくその攻撃を避けていった。風漢は浩瀚の相手の油断を誘い、苦手な個所を執拗に攻撃してくる攻撃に多少は辟易していた。風漢にとっては一撃で勝敗を決めることも可能だったが、この、おおよそ剣士には相応しくない浩瀚の剣技に興味を惹かれ、相手の攻撃を受けることを楽しんでいた。そろそろ、潮時かと風漢が攻撃を仕掛けると、浩瀚から背中に氷を放り込まれたような殺気が放たれた。が、それは一瞬のことで浩瀚は風漢の剣に自らの剣を力の限り合わせてきて、剣を取り落とした。
「わたしの負けだな」
さして悔し気な様子も現さずに浩瀚は言った。
「お前、わざと負けたな?」
風漢の言葉に浩瀚はくつくつと笑った。
「どんな手を使おうとわたしに勝ち目などない。そんな相手に手の内を全て晒すとでも?」
「なるほどな。いつでも寝首を掻けるということか」
「そんなつもりはなかったが、まあ、とりあえず端金でわたしは買えないとだけ言っておきましょうか」
浩瀚は不適な笑みを浮かべて言った。その時、店の中からこの店の家公と思われる五十代の品のいい男が飛び出してきた。
「旦那、そいつは売り物じゃない!この店の一番人気の娘を付けましょう。だから、お戯れは止めて下さいませんか?」
必死の形相で懇願する家公に風漢は相場の倍の金を渡した。
「これで文句はあるまい?」
風漢は浩瀚を向いたまま言った。
「いくら金を積まれても売れないものもある!」
家公の声は悲鳴に近かった。
「心配せずとも本人がいいと言っているんです。受け取っておけばいい」
浩瀚は周囲の制止を無視して、風漢の前を通り過ぎて行った。風漢はその後を追った。
「貴方はこの辺では見かけない顔だが、行き先に心当たりでも?」
「以前来た時とは随分様子が変わったな。お前、食事は?」
「まだです」
 浩瀚は風漢を飯堂へ案内すると高い品物を次々と頼んだ。
「どうせ、貴方の奢りなんでしょう?」
呆れて見ている風漢に浩瀚は笑って言った。
「遠慮のない奴だな」
風漢は太く笑って言った。
「先程の言葉は撤回しましょう。貴方は将軍以上、それも慶の人間ではない」
「どうしてだ?」
「金回りが良過ぎるからですよ。それに、慶の人間であるならば譬え他州の御仁でも気前のいい物好きな軍人の噂ぐらい耳にしていても可笑しくはない」
風漢は目の前に差し出された酒杯を取り上げた。浩瀚はそれには手を出さなかった。
「お前は大学生か?」
「ご名答」
浩瀚は薄笑いを浮かべて短く答えた
「それが、何であんな所に出入りしているんだ?」
「さあ、あんな所にいる連中も自分と同じ人間だと思いたかったからかもしれないな」
食事が出て来ると浩瀚は話を止めて早速それを片づけ始めた。しかも、頭の良い目の前の美青年は思ったよりもよく食べた。その年相応な食欲に風漢は知らず笑みがこぼれた。
「雁の国官になれるように手配をしてやったら来るか?」
浩瀚はくつくつと笑った。
「知り合いのいない国の官吏になって何をしろと?」
「まったく、可愛気のない奴だな。次は酒の相手をしてもらうぞ」




 二人は酒楼に場所を移動した。今度は浩瀚は出てきた酒を口にした。しかし、その進み具合はゆっくりで、風漢の酒杯への酌と、酒の追加は淀みなくやっていた。
「お前は俺を酔わせて逃げる気か?」
一向に酒の進まない浩瀚を風漢はからかった。
「貴方は相当強そうだ。貴方に付き合っていると、こっちはすぐに潰れてしまう。そうなれば貴方が退屈になりますよ。それに、貴方はわたしと寝る気なんてないはずだ」
「やはり、わかるか?」
「この街にいると相手が物好きかどうかなんて一目でわかる」
風漢はくつくつと笑った。
「相当苦労しているようだな、色男。それを知っていながら俺から妓の倍額をふんだくったのか?」
「あれで諦めればいいと思っただけです。あの金はすぐに返せますよ」
「別に返さなくてもいい。俺の訊くことに素直に答えたらな。お前はどうしても慶の官吏になりたいのか?」
「以前まではね」
「大学を卒業して官吏にならん気か?」
「なる必要が無くなりそうなんですよ。わたしは今まで家族に養われていたのですが、その恩を返すべき家族を先日亡くしました。それに、わたしが官吏になると約束した相手がわたしの卒業を待っていてくれそうにないのでね」
「女か?」
風漢は人の悪い笑みを浮かべた。
「ええ、金波宮の奥で泣いていた美女ですよ。もっとも、十五年前の約束など忘れているかも知れませんがね」
風漢は片眉を上げた。
「どうやって、その美女と会ったんだ?」
「貴方はご存知だと思いますが、王宮の官邸には子供が少ないのです。いても躾のいい者達ばかりで面白くなかった。だからわたしは一人で他の官邸の庭や府第(やくしょ)に忍び込んで遊んでいました。ある日偶然、内宮に忍び込める機会があって、そこで彼女に会ったのです。こんな綺麗な場所なのになぜ泣いているのかと訊いたら、意地悪な人間達に閉じこめられているからだと言っていました。わたしが必ず助け出してあげましょうと言ったら、彼女は笑ってくれました。花の精のようにね。大人の言う美人とは何であるのかわかったような気になりましたよ。ただ、その後が大変だった。彼女の大僕に見咎められて、父を呼ばれ、延々と説教を聞かされる羽目になった」
笑って言う浩瀚に風漢も口の端で笑って返した。
「お前の父親は国官だったのか?」
「わたしが十になるまではね。彼はとても真面目で融通の利かない人物だったので、弑虐(しいぎゃく)されたのです」
「お前は慶に女王は合わんとは思わんのか?」
「慶の不興は全て彼女のせいなのですか?己の都合の悪い者は廃し、己の富のみを追う者に罪はないと?王の力のみで彼等を廃せと?そんな心根のままだから慶は発展しないのだとわたしは思いますね」
浩瀚は風漢を睨め付けて言った。
「今度はわたしがお聞きします。貴方は何故、妓の倍額を払ってまでわたしと話をしようなどと思ったのです?」
「掃き溜めに鶴がいたからだ」
風漢の言葉に浩瀚は首を傾げた。
「つるとは何です?」
「わからんのならば、それでいい」
浩瀚はそれ以上は問い掛けることを諦めて風漢に酌をした。以降、浩瀚は風漢に薦められるままに酒を飲んで、風漢の言葉に相づちを打っていたが、しきりに頭を抱え、やがて卓子に突っ伏して眠ってしまった。
「おい、お前は図々し過ぎるぞ!」
風漢は浩瀚の頭を小突いて言ったが、浩瀚は起きそうもなかった。
「ふん、お前がこの国の次王と関わりがありそうだと思って声をかけただけだ。いずれは金波宮で会うことになるだろう。もっとも、今のお前には聞こえんだろうがな」
風漢はそう言って側を通りかかった店の者を呼び止めた。
「この辺の宿舎(やどや)はどこにある?」
「さあ、でも恐らく今夜貴方を泊める宿舎はこの街にはないでしょうね」
店の者に言われて風漢は鼻を鳴らした。
「仕方ないな」
風漢は浩瀚を肩に担ぎ上げて、妓楼に向かった。

 妓楼に辿り着くと家公が愛想良く風漢を出迎えた。
「お帰りなさいませ。浩瀚はこちらで預かりましょう」
家公が言うと一人の男が風漢から浩瀚を引き取って両腕に抱きかかえて店の奥に消えて行った。
「この街の連中は随分とあいつを大事にするんだな」
「それは当然でしょう。彼はわたしの命の恩人です。そして、この街の恩人でもある」
妓楼の家公は風漢を自分の正房(おもや)へ案内して堂(ひろま)にある椅子を勧めた。卓子の上にはすでに茶の用意が調っていた。家公は茶杯(ゆのみ)に茶を注いで笑みを浮かべて風漢に差し出した。
「彼に会ったのは三年前です。河に飛び込んで死のうとしたわたしを、たまたま通りかかった彼が止めたのです。行き掛かり上仕方がないといった様子でね。わたしの話を聞いて彼は今の慶ではどこにでもあるようなことで死んで悔しくはないのか?、と言ったのです。そんな一言で不思議と死ぬ気がなくなりました。それからわたしはこの妓楼を手に入れて彼を捜し出しました。わたしを騙したような連中の裏を掻く方法と、娘のように妓楼に売られても死なずに済む方法を考えてくれと頼むためにです。彼はそんな方法は知らないが、わたしが本気ならば手を貸そうと言ってくれました。丁度付き合っていた女に振られて夜は暇になったからと言ってね」
「生意気な奴だな」
「ええ、でも彼は育ちが良さそうな割に、随分と苦労をしてきたんだと思いますよ。口にも態度にも出しませんが、切実な問題を抱えている人間に何が必要かよくわかっています。それは知識だけでは理解できないことなのです。彼は不正を行う者や力を振りかざす人間には容赦はないのですが、力のない者、立場の弱い者にはこの上なく優しいのです。それに、我々のような者にも人間には何が必要かを思い出させてくれる。だからこの街の人間は彼を大事にするのです」
「それでも奴が喰えん人間だと言うことに変わりはない」
家公はくつくつと笑った。
「長々とつまらないお話をお聞かせしてしまいました。お約束通り、この店の一番人気のある娘に相手をさせましょう。彼女も貴方に感謝をしていると思いますよ」
言われて風漢は頭を抱えて溜息をついた。

 やがて、景王崩御が伝えられると、浩瀚は大学を卒業した。そして、彼の姿は慶から消えていた。


− 了 −
This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2002.
背景素材:InvisicleGreen

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


めれーな様(banquete)へボジョレー・ヌーボォ編の期限を指定したお詫びにお送りした作品です。リクは?とお聞きしたら「延王vs浩瀚」ということで、浩陽編を投稿する前に出来ていたものをリメイクしました。そして、これはめれーなさんの素敵なイラスト付きなのです。(自慢!)
「影の追憶」はこの五年後に浩瀚が再び戻ってきた処から始まります。

(おまけの後日談)
(めれーなさんのイラスト)


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