paradox 2


 思わず浩瀚の背筋が震えた。
浩瀚も仙の常で、見た目ほど若くはない。
向けられる感情を受け流す術も学んでいたつもりだったのに、それほど女の声は冷え切っていた。
「わたくし、姉が大嫌いでした。何故だと思われます」
「・・・何故」
今それを言うのか、と浩瀚は思った。
鼻で笑って、娘は続ける。
「やればできる素地を持っていることを、隠したがる女だったから。目立つ私の陰に隠れ、気弱そうに微笑んで見せてばかりいたから。それが、私は大嫌いだった」
「最近は、多くの人から、気弱そう以上に思われていたと、私は認識しています」
「それはあなたの認識?」
「噂で聞くだけの私は、あの方に対する個人的な認識を持ちません」
「噂だけ?・・・五年の間、噂だけで善しとしていらっしゃった?」
表情は、ゆっくりと嘲笑に変わっていく。
「王の処遇を知っていたあなたが!」
「という事にしてはもらえまいか」
「ずるい答え方を御存知ね。自分の心の内を明かさないのが官吏というものなの?」
「部外者には、特に」
「そうでしたわ。」
娘は、吸った息を大きく吐き出した。
「わたくしは確かに部外者。わたくしのような身元も知れない者に、やすやすと内情をしゃべるような間抜けでは、官吏などやっていけないのでしょうね。」
『わたくし』を強調する言い方に、浩瀚は顔を顰めかけた。
「よく分かったわ。慶が王に恵まれない理由が。これでは王は、王でいられるわけがない」
押し殺すような熱が、声に漏れ出る。
「あなたなら仲間になってくださるかもと、思っていました。半分、本気で。」
浩瀚は小さく息を呑んだ。
舒栄は、冴え冴えと美しく笑う。
「さようなら。今日は来ていただいて嬉しゅうございましたわ。・・・どうぞあちらへ」
言って、入り口を指し示す。
 その手を、浩瀚は掴んだ。
「何を」
花麗は振り払おうとしたけれども、できないと悟るや力を抜いて睨み付けた。
「酔っていらっしゃるようですわ。見送りの者を付けましょう」
それでも唇が美しく微笑んでいるところは見事だと、浩瀚は思う。
「この程度で酔うものですか。なんともありません」
女の細い腕を引いて、唇を耳に寄せる。
「ここであのようなことを話してはいけない。貴女の今後の扱いに・・・命に関わる」
ぴく、と身動きを凍らせた花麗は、息を殺した。
「何ですって?」
「ここは、誰が聞いているとも知れない。崩御が官吏のせいだったと取られる発言はするな」
はっと左右をうかがうと、女は浩瀚を見た。
「どうかしら。あなたの言葉は信用ならなくてよ」
わざと強く言って花麗は、今度こそ手を振り払った。
その袖から香りが立つ。
麝香と丁子の、ごくかすかな香り。
「見送りは不要、私は平気ですよ。私には、貴女こそ心配だ。女性の身で」
「わたくしの身など。・・・あなたと違い“ここ”を出る必要はないのですから。ご心配には及びません」
浩瀚は立ち上がった女を追い、その腕を再び捕らえた。
抵抗を許さず引き寄せて、かろうじて聞き取れる最小の声で囁く。
「貴女は『仲間に』と言った。『味方に』ではなく。『援助を』でもなく。貴女の目的、玉座以外にあるのでは」
ゆっくりと見上げた花麗の瞳は、真剣なまなざしで浩瀚を見る。
そして、浩瀚が耳の奥に聞こえる脈拍を十数えるあいだ思案したあと、唇が開いた。
「あなたには、見送りよりも迎えがよろしいかしら」
「これはしたり」
浩瀚は慇懃に微笑んだ。
「大丈夫、それもいりません。もっとも貴女が見送って下さると言うなら、謹んでお願いいたしましょう」
娘は、呆けたように目を見開いて、それは次第に悪戯っぽいような笑みへと変わった。
「とても大丈夫には見えませんわ。この酔っ払い」

 さすがに声は潜めたが、花麗はその調子を押さえない。
「駄目な姉だった。私には、そう言う権利がある。私は、姉が才能あることに気付いていたもの。もっともっと、できることがあったことも知ってる。発揮することもないまま死んだ姉は、どうしようもない。けれど、場を与えもせず、みすみす死なせた奴らにそれを言う資格はないわ。・・・救いようのない馬鹿者よ。それが仕事のくせに」
「耳が痛い」
「私よりもずっと、肝の据わった女だった。姉はね、本音の思惑を理解できれば、企みの――悪巧みの片棒を担ぐことすらする人だったのよ。そんなことしないで済むよう、いつも心を砕いていたけれど。でも、できたの。・・・知らなかったでしょう?」
見上げる目の光に、浩瀚は、その生涯を遠目にしかまみえる事のなかった王の姿を想った。
「私は、知っているかもしれない」
「・・・何、それ」
「私は、違法を随分と目こぼしされた」
守る方が悪徳であるような、法に命令。予王の在位中、堯天の目をかいくぐり、また言い逃れを用意し、麦州侯としていくつも無視した。
しかし王は、明らかに気付いたものまで看過した。大軍を、寄越そうと思えばできるものを、決してしなかった。
「貴女の言う悪事の幇助とは、そういう意味では?」
「それは」
花麗の、訝しげにしかめていた眉が緩んでいく。
「極めて正しいと思いますわ。」
娘は袖を掴む指に力をいれ、瞳をきらめかせた。
「きっと、私が思っていた以上に。・・・あなたは姉と会ったことがおありなの」
「直に対面したことはない。書簡なりで、やり取りしたことも。申し入れたことはあったが、あの方はそのどちらも拒絶なされた」
「そう・・・」
 それきり、静かに、穏やかに、娘は考え込んだ。
その横顔を見ながら、浩瀚は、心にとらえどころのない不安がうねり始めたのを感じた。
うねりは、どす黒い渦をなし、音もなく広がっていく。
 まるで、浩瀚の思いに気付いたかのように、花麗は柔らかな声で語りだした。
「いろいろな事が分かりました。・・・あなたのおかげですわ。教えてくださって、本当にありがとうございます」
「・・・申し訳ないが、私には、貴女の感謝が喜べない」
穏やかな言葉に、浩瀚は応えられなかった。
深く落ち着いた様子が、かえって不吉なものに見える。
娘は小首をかしげ、微笑んだ。
「そのようなこと・・・」
「貴女は何をしようとしている?姉上は、仇討ちなど希望しないはず」
決然と、娘は凛々しいおもてを上げた。
「・・・何も。」
浩瀚の臓腑がざわめいた。
意外のような、しかし心のどこかでは、花麗がそう言うかもしれないと思っていたような気がする。
「私はね、仇討ちなんて致しませんよ。私は、私の手で、誰も討ち取る気はありません・・・」
「花麗、止めるんだ。」
強い口調に、娘は、はっと視線を合わせた。
「止めて、今すぐ一私人になれ」
偽王<この娘>に誰も討つ気がないのだとすれば、真実の王がその役目を負うことになる。
そしてこの娘<偽王>は、偽王軍ごと、討たれる側に回ってしまうのだ。
娘は唇を震わせ、しかし眉を歪めて浩瀚に返す。
「あなたこそ、お分かりでしょう?すでにその選択肢は、私には無い」
事は、既に動き出している。
浩瀚は、唇を噛んだ。
“馬鹿者ども”の排除を王に委ねるにもかかわらず――むしろ、委ねるために。
「貴女は、実に予王の妹であられるようだ」
渋面を作る浩瀚の腕を、無言で、なだめるように花麗は触れた。
「そうおっしゃるということは、理解していただけたということね」
娘は、小さく呟いた。
「あなたは、私の味方をしないで下さいな。援助していただく必要はないし、仲間にもならないで」
伏し目がちに、掴んでいる手をそっと外すと、再び入り口を指す。
「どうぞお帰りになって。次、会うとすれば、それは、どちらかが死ぬとき」
言葉の禍々しさのせいかもしれない。
その表情は清らかにすら見える。
「さようなら」
淡々と別れの言葉を告げる娘に、何か言おうとして、浩瀚は止めた。
もはや、どんな言葉もこの女の心を覆すことはできない。
「よくお休みになられるよう」
「おやすみなさい」
微笑みあう別れの挨拶は、友人同士のように見えたはずだ。

 男が部屋から消えて、花麗の手がぱたりと落ちる。
深く息を吸って、手を握り締めた。
「誰か」
声は、彼女としてはかなり大きなものだったが、即座の返答はない。
じっと待っていると、扉の向こうから声が聞こえた。
「お呼びでしょうか」
「お入り」
舒栄は、すでに女主人の顔で胥を迎えた。
「文を出したいの。それに向く紙を、あるならば何種類か、持ってきて貰えるかしら」
「かしこまりまして」
「それと、明朝、ここを出発します。そのように手配して」
「勝手に決められては困ります」
戸口には、舒栄のためにこの宿を手配した男がいた。
「わたくしにはそれができるの。・・・それで、仲介者とは連絡を取れた?」
「いいえ、まだ」
「では、私が戻るのを止める理由はないわね。明日までにと言っておいて、いまだ確約が取れていないのでしょう?間に合わなかったではないの」
「もう数日、お待ちを。先方はこちらへ付く意を見せておりますれば、しばし」
膝を突いて許しを待つ男を、見下ろす。
舒栄は男を鼻であしらい、胥に向き直った。
「戻ります。準備して」
「か、かしこまりました」
宿の者はためらいながらも承知して、下がっていく。
「今度から、話を取り付けてから知らせることね。・・・もし、次があるなら」
男の顔色が変わった。
男はかつて、地位低くはあっても禁軍の一員であった。王の身辺を守ったことがあった。その矜持にさいなまれて、歯を食いしばった。
「私はね、州侯の一人ばかりがこちらに付かなくても、大勢に影響はない、そう思うのだよ。・・・顔を上げなさい」
そうは言われたものの、従う事をためらった。
窺うばかりに頭を上げ、そして、男は胸を突かれた。
花麗の労しげな顔は、彼の記憶の中の王の面影を思い出させた。
「麦州は捨てるよう諮ります」
滔々と声は流れる。
「よいな」
「・・・仰せのままに」
男は深く、こうべを垂れた。


− 了 −
This fanfiction is written by YURI in 2005.
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


浩瀚&舒栄、わたしの大好きな組み合わせデースv
舒栄の言葉に自分の法令無視が予王に目こぼしされていたことに気付くなんて、わたし好みな展開じゃないですかぁ♪
予王はきっと、それに気付いた朝廷の官吏も密かに丸め込んで気付かぬふりを通していたんですよ。ああ、そうだといいなぁvv
浩瀚を仲間にしようと思っていても、実際に会ってみて止めた舒栄、浩瀚には慶の未来を託したと解釈しています。いいですよね、絶対にそうだと思いたい!
由里さん、悲しくも美しい舒覚・舒栄姉妹をありがとうございます!

しかし、最初に送って頂いてから既に半年経ってしまっていて申し訳ありません。
それもこれも管理人の胃の調子が悪く、黒糖焼酎とホワイト・ラムを飲みに行く機会に恵まれなかったからです。旨い酒は体調が万端でなくては飲めない・・・(殴!)
カルバドスは飲まずに書いて後悔したので、これはもう絶対に読まなければと思っていたのです。酒飲みの拘りでご迷惑をおかけしています。(^^;ゞ

 最初、由里さんはこの作品をラム酒と仰っていたのですが、わたしが読んだ印象でラムというよりも黒糖焼酎の方が合うのでは、と返信したら由里さんのイメージも日本のラムということだったので、今回の取り扱いは黒糖焼酎にさせていただきました。
 ですから、まずは焼酎の説明から・・・
 日本の酒税法で焼酎は甲類、乙類の二種類があります。甲類は連続蒸留された癖のない果実酒やチューハイで利用するホワイトリカー、乙類は醸造した酒を単式蒸留する各地の名産品である本格焼酎や泡盛です。どちらも原材料は穀物や芋類なのですが、鹿児島県の奄美大島群島で作られていた黒糖の酒は特別で焼酎に分類されています。本来はラム酒に分類されるのです。
 →単式蒸留と連続蒸留についてはウォッカ編を参照して下さい。
 しかし、ラムと黒糖焼酎を区別する必要があるので黒糖焼酎は米麹を併用しています。結果、黒糖焼酎は雑菌が押さえられ、不純物の少ないすっきりとした風味になっているそうで焼酎初心者にも飲みやすく、ヘビーなファンもいるそうです。
 ですから焼酎の苦手なわたしにも大丈夫だと思ったのですが、どうやらわたしには米麹を蒸留したあの香りが駄目らしいと気付きました。次回は焼酎苦手を克服するために6年以上寝かせた黒糖焼酎を飲むぞ〜!(ここで誓わなくても・・・ ^^;)

 奏の糖蜜酒がラム、巧の糖蜜酒が黒糖焼酎、慶で作られた糖蜜酒は巧に倣っているようなのでこちらも黒糖焼酎らしい。でもきっと、慶でさとうきびを作ってもきっと奏や巧(きっと南方)ほどには育たないに違いありません。某TV番組○○DASHのように・・・(^-^)。作ったのが酔狂な郷長、とあるから許されますよね?
 ラムは樽で熟成されますが、このSSSは瓶であることも焼酎を連想させました。それにラムは陽気に奏あたりで飲みたい酒ですよねv
 ラム自体もホワイト、ゴールド、ダークとあり、フランスやドイツではまた別の分類があって、フレバーをつけたものまであるそうな。また、サトウキビから作られる酒は他にブラジルのピンガ、東南アジアのアラック(原料はサトウキビだけではない)、スペインや中南米のアグアルディエンテ・デ・カーニャとあるので、まだまだ書けますよ♪
 ちなみに、かつてのイギリス海軍では将校にはジン(後にライムジュースで割るように指導した医師の名からギムレットになる)、他の船員にはラムの水割りを支給していたそうな。ここからも素敵な妄想が湧くと思うのですよ。そこで読んでいる酒好きな貴方も如何です?

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