封神されし者共の彷徨時は恭国歴普白10年、場所は恭の首都連檣の大きな舎館(やどや)、その飯庁(しょくどう)に二十代後半の商人風の目立つ男が一人で座っていた。彼は確かに整った風貌をして趣味のよい衣裳を纏っていたが、人目を引くのはその余人を遙かに超える存在感と卒のない身のこなしだろう。そんな彼の目の前には淡い黄金を満たす玻璃の酒杯があった。 その頃、舎館の外には趨虞を連れた背の高い偉丈夫が現れた。歳は二十代半ば、体格は良くても厳つい感じはなく、彼もまた余人を超える存在感があった。彼は騎獣を預けると飯庁に向かったが、先客の目立つ男を見つけると片眉を上げて、軽く舌打ちをした。相手も尚隆に気付くと片手を軽く握り、大股でゆっくりとその男に近づいた。 商人風の男は範西国王氾の呉藍滌、黒髪の偉丈夫は雁州国延の小松尚隆、どちらも一国の王であり、常世の常識から考えればこのような場所で会う間柄ではなかった。小松尚隆は呉藍滌の向かいの椅子にどかりと座った。 「珍しい格好だな」 尚隆が言う珍しいとは、普通の男の格好のことだった。王としての正装は見慣れているものの、目の前の男はその他の出で立ちはいつも襦裙を着て女物の連珠(くびかざり)や歩揺(かんざし)を身につけているような男だったからである。似合わぬわけではないが、奇矯であることは間違いはなかった。 「相変わらず野暮ったい格好だ。とても王には見えぬよ」 尚隆は軽く目を瞠った。話し方までもが普通の男だったからだ。いつもこんな状態だったら、訳のわからん苛立ちなど覚えぬものを、と心の中で毒づいた。 店員が近づいてくると藍滌は尚隆に断ることなく、自分と同じ酒を持ってくるようにと言っていた。 「鶏尾酒<カクテル>か。さすが、範の隣だけはあるな。他国の酒同士を混ぜ合わせて飲むなんぞ、範でなくては思いつかん。範の酒ならば俺の好みとしては高粱(コーリャン)の酒<茅台酒>だが、範の葡萄酒の味は他国でも評判だぞ。特にあの蒸留した奴<ブランディ>がな。飲みたがっている人間が多いというのに手に入りにくいとはよく耳にする。何故増産して売りつけんのだ?」 「範はどこぞの国と違って、穀物が育ちにくいのだよ。範でもよく育つ高粱の畑を潰すわけにはいかぬ」 尚隆は藍滌の瞳の奥に蒼い炎を見たと思った。各国と商取引の多い今の範が高粱の畑を失っても大きな損失となることはない。必要になるのは国が傾いた時だけだ。 「ふん、範はまだまだ安泰のようだな」 「範が傾いても雁が困ることはない。高粱の酒が雁で飲めなくなるくらいだろう」 「よく言う、200年どころか500年以上は持たせるつもりなのだろう?」 藍滌は視線を逸らし、「さてね」と呟いた。そして、淡い黄金色の酒に口にした。 この何種類かの酒を混ぜ合わせた鶏尾酒という名称は範でこの酒を飲んだ山客の殆どがそう呼ぶので、一般に広まったという。語源は語る者によって異なったが、かの世界でも鶏尾酒という名が一般的に使われているらしい。 尚隆は自分に運ばれた淡い黄金色の酒を飲むと「ふむ」と酒杯を掲げて眺めた。 「この色と匂いはお前んとこの薬酒<ベネディクトンDOM>だな。そして、きつい酒精は戴の白酒<ウォッカ>、違うか?」 「その薬酒は27種類の薬草や香辛料を4つに分わけて蒸留し、5段階の手間暇をかけて完成まで2年かかるのだよ」 「範らしい手間のかけ方だ。さしずめ色は王の徴、酒精は王気、芳香と味は人間だった過去というつもりか。それに僅かばかりの苦み<アンゴスチュラビター>で搾取される民の恨みを忘れるな、という警告だな。俺達(王)への戒めの酒というわけだ」 「頻繁に飲んでいては戒めにはならぬがね」 「供王にはもう飲めぬか」 「麒麟が失道しては手遅れであろう」 尚隆は「そうか」と言って酒杯に口をつけた。 「鶏尾酒には酒の組み合わせで気取った名がついていたな。こいつは何というんだ」 藍滌は酒杯に手をかけ、頬杖を付いた格好で尚隆の目を見据えた。 「放浪者<ジプシー>」 尚隆はその視線から逃れずに、僅かばかり顔を上げて鼻で笑った。 「お前が考えたのか?」 藍滌は答えずに口の端を上げた。 「新王が起ったばかりの柳はどうなのだ?」 「今のところ可もなく、不可もなくといったところだが、20年ぶりの王の登極で国は活気づいている。恭が大きく沈まぬ限りは民も簡単には国を離れぬだろうから、当分は大丈夫だろう」 「恭の荒廃が長引くようならば、どこぞの国のように大規模な工事が必要となるであろうな」 「才が落ち着いたというのにご苦労なことだ。その時は協力を惜しまぬよ」 藍滌は片眉を上げると、尚隆はくつくつと笑った。 酒を飲み終えると尚隆は卓子に手をつき椅子から立ち上がり、空いた手を腰に当てると藍滌を見下ろした。 「ここから先は見る必要がなさそうだ。俺は雁(くに)に帰ることにしよう」 「そなたはせいぜい、柳や慶の援助に励むのだな」 藍滌はそう言って片手をひらひらと振った。尚隆も背を向けると片手を振って飯庁を出て行った。 この翌年、恭国の白雉が二声目を啼いた。 「13℃」様への献上品 2005/06/06 初出
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.This fanfiction is written by SUIGYOKU. 実は酒蔵開設祝いに間に合わず、「13℃」サマ2周年お祝いとしてお贈りしました。 coさんの酒蔵はカクテルを置く、と教えてもらってから常世でカクテルを置くならば範国と設定だけは決めてはいたのです。 coさんのカクテル呪い(入荷希望リスト)はとてもフルっていて、一読の価値がありますよ。ジプシーの「至高なる神に捧げられた王」というお題からこのSSSは思いつきました。まだ読んだことのない方は酒蔵メニューのリンクからどうぞ。文章書きさんで酒好きな方ならばきっと創作意欲が湧くのでは? VSで書くつもりだったのに、何故か対立してくれない二人、酒場は敵同士の休戦場にもなるな、とそのまま仕上げてしまいました。 藍滌も隣国の盛衰は気にして視察に行くのは有り得るよね、そうしたら普通の格好で行くはず、と勝手に妄想しています。範の特産物については勝手にでっち上げています。ただ、範国の気候はフランスに近い、といういうことはわたしとcoさんでオフに語り合っています。酒蔵本店の蔵主サマにも結構ウケてます。これがまた、結構盛り上がるんですよ(^_-)☆ カクテル(Cocktail)を中国語で鶏尾酒と書くと知ったのは、この作品を仕上げる直前でした。まんまじゃん!(笑) カクテルの由来については国によって諸説あります。以下のサイトを参考にして下さい。 カクテル総研 フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」〜カクテル |
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