蘇る心


 延王によって泰麒が帰還し、胎果の三人と李斎が伴って蓬山へ行った夜、氾王呉藍滌は範国宝重の亡蘇心觚を取り出した。そして、瓶の口を開けただけで部屋中に爽やかな芳香が拡がる酒を蓮の浮き彫りのあるその酒杯に注いだ。
 そして、上の縁から淡い紅色が滲む酒杯を目の前に掲げた。その酒杯は酒を満たして飲めば忘れたいことを忘れ、水を満たして飲めば思い出したいことを思い出すことができるという、酔狂な宝重だった。いや、酔狂だと思っているのはその持ち主だけで、俗物にとっては是非とも手に入れたい宝重だったかもしれない。
 藍滌は酒杯を口へ運ぶとゆっくりと酒を一口含んだ。その香りは酒の主原料である、雨の少ない範でもよく育つ高粱(コーリャン)のもので、栄養価の高いその植物は農産物の少ない範にとって大切な穀物でもあった。
 その酒は強い酒でありながら、まろやかに口内に広がり、身体に染み込んでいった。ゆったりと時間をかけて芳醇な酒を飲んでいる間はどんな記憶が抜け落ちているのか気付くことはなかった。

 酒を飲み干すと藍滌は酒杯に水を注いだ。そして、今度は一気に呷った。
 酒杯を置き、卓子に片肘を付き、その手で顔を覆うと藍滌はくつくつと笑い出した。

 藍滌のいる堂室に入った氾麟は充満する匂いに目を見開き、藍滌の前にある酒杯に溜息をついた。
「主上のその悪趣味だけにはついていけませんわ」
そう言うと氾麟は藍滌の向かいの椅子に腰を下ろした。
「これは自分を見失いそうになった時にはとても役立つのだよ」
歪んだ笑みを残したまま藍滌は言った。氾麟は目の前で蠱蛻衫を着てみせた。
「金波宮の官吏の半分はこの姿が陽子に見えるらしいですわ。主上はまだ彼女に見えます?」
「もちろんだよ。あの狂った王宮で彼女が身を呈して守った嬌娘がいる限り、忘れることはないよ」
藍滌は優しい目で氾麟に笑いかけた。
「主上がその亡蘇心觚で忘れたいと願ってしまったら?」
「そうだね、その時は陽子か雁の猿王にその酒杯で水を飲むよう説得してくれと頼むといいだろうね」
「陽子はわかるけど、どうして尚隆なんですの?」
「彼女を忘れたわたしにはあの男を厭う理由も消えてしまうであろ? 猿王に会えばきっと、それを思い出したくなるだろうね」
氾麟は目を見開き、口元を抑えると、軽やかに笑い出した。彼女が一番幸せで輝いていたときの姿で。
「それはとてもよく効きそうですわ」
「明日には泰麒を連れて陽子たちが戻ってこよう。我らはここを泰麒たちに譲り、国へ帰るとしようか。我らに出来ることはもう何もないのだからね」
「ええ、もう長いこと国を空けてしまったから、皆が心配しているでしょう。でも、ここはとても居心地がよかったですわ」
「そうと決まれば嬌娘は早く眠るのだよ。明日から長旅になるのだからね」
「お言いつけ通りに」
氾麟は素早く立ち上がって蠱蛻衫を脱ぎ、軽やかに堂室を出て行った。


2004/01/14 UP
This fanfiction is written by SUIGYOKU.
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

ぽぺ様の作品で氾王が亡蘇心觚に酒を入れて飲むシーンを妄想したくなったのです。内容的には現在頭の中にある妄想範国の予告編にもなってしまいました。何の酒を入れようか、で悩み、中国酒を調べ、全世界的に有名な酒にしてみました。白酒にする、ということだけは決めていたのですけどね。

茅台酒(マオタイチウ)はウィスキー、ブランディと並ぶ世界3大蒸留酒なのです。中国の公式な場で乾杯するのはこの酒で、アルコール度数50度以上でもストレートで飲むのが一般的、日本人が乾杯で潰されるあの酒ですよ。
茅台酒は小麦と高粱(コーリャン)を原料とし、その歴史は紀元前135年、漢の武帝を絶賛させた枸醤酒(こうしょうしゅ)に始まるそうな。中国の酒の歴史は紀元前4000年まで遡れ、皆さんにお馴染みの紹興酒は紀元前400年から、紀元前1000年にはビールも作られていた・・・、さすが中国!
茅台酒は18世紀の清で大々的な造り酒屋が作られ、1915年のパナマの万国博覧会に出品されて賞を獲得、以降全世界に広まったそうです。しかし、現地中国では偽物が多く出回り、生産量と販売量が合わないとか(笑)。中国人にとって有名なのは茅台酒でも、四川省宜賓(ぎひん)産の五糧液酒の方がいい酒らしく、高級官僚への贈答品としてはこちらが常識だそうです。
老酒や紹興酒は米を原料にして麹を使って醸造した黄酒(ホワンチウ)、無色透明な蒸留酒である茅台酒や白乾児(パイカル)は白酒(パイチウ)、と呼ばれています。日本で言うところの日本酒と焼酎といった分類です。
白葡萄酒に金木犀の花を浸して作った桂花陳酒は果酒(クアチュウ)になります。今回調べるまで、原料を知りませんでした。何せ、一口しか飲んだことがないもので・・・
さらに言えば茅台酒は飲んだことがありません。しかもこの酒は一人でゆったり飲む酒でもない!
でも、旱魃に強い原材料の高粱に惹かれてしまいました。ちなみに高粱を食したこともないという、詐欺師な管理人です。
中国酒を調べて妄想したのですが、貴州茅台酒と五糧液酒はいつか飲みたいと思っています。油を多く使う中国料理にはよく合うそうなので、中華料理屋で飲みたいですよねv

Albatross−酒蔵別館−
背景素材:トリスの市場
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送