蒼の孤影を悼む時



「どうしたんだ、景麒?」
よく通る高く澄んだ声が堂室に響いた。入って来るなり立ち竦んだ僕を怪訝そうに見つめるのは慶国の若き女王とその他大勢。
夢から醒めたように景麒は一度瞬きをした。

新緑も鮮やかな春の午後。王が執務を行う内殿の一室。
広く重量感のある書卓に陣取って座る緋色の髪と深い翠の瞳を持つ少女。その右隣には太師である遠哺が、左には冢宰である浩瀚が立っている。書卓の前には禁軍将軍である桓推と女史の祥瓊。控えるように大僕の虎?と女御の鈴が座っている。

「景麒?」
投げられた声と視線に景麒は顔を背けた。
「―――失礼申し上げる」
一言低く呟くと背を向ける。
入室したばかりだというのに退室していく景麒の姿を全員が呆気に取られて見ていた。
「何なんだ、一体・・・?」
再度戸惑いを呟いた陽子に今度は全員の視線が集まる。物言いたげな視線に陽子はたじろいだ。
「な、何だ?」
祥瓊が溜息をつくものだから陽子は何故か居心地が悪い。
「主上、台輔に何かなさったのではありませんか?」
浩瀚の問いに陽子は憮然とする。
「何もしてないぞ」
潔白を疑われている、陽子にしてみれば濡れ衣もいいところである。
そもそもこちらに疎い陽子は慣例や礼儀を特に重んじる景麒と衝突することが多い。陽子が当然だと思えることも景麒には突拍子もないことに思われたり、王の権限で断行したりと景麒の頭痛の種は陽子がほぼ振り撒いている。
慈悲の生き物とは思えない鉄面皮を誇る景麒の様子がおかしいとなれば自然疑いが誰に向くかは当然である。
「兎に角、このままにしておくのはどうかと思いますが」
桓推は明らかに陽子を見て言う。仲直りは早い方がいいと目が語っていた。
「そうじゃな、そろそろ一区切りつくころじゃしの」
「遠哺まで・・・」
完全に景麒の様子がおかしいのは陽子が原因だと思われている。
「じゃ、陽子は自分の日頃の行いを省みても絶対に自分のせいじゃないと言えるの?」
祥瓊の問いに陽子は言葉を詰らせる。
「それは・・・」
「それにね、麒麟は王の半身でしょう?麒麟の悩みを聞いて差し上げるのも王の務めだわ」
「・・・わかった」
陽子は重い腰を上げて、せめてもと虎?を見た。虎?は慌てて首を横に振った。
「一人で行ってくれよ。俺が居たんじゃ台輔が気を悪くする」
これが王の警護を任とする大僕の言葉である。誰も機嫌の悪い景麒にはなるべく近付きたくないのだ。陽子とて同じなのだが。
「・・・行ってくる」
諦めた陽子の背に鈴の声が追い討ちを掛けた。
「あ、陽子。お茶にするから台輔をちゃんと連れて来てね」




麒麟には王気を頼りに王を探すのは容易いが、その逆は実に難しいことを陽子は初めて認識した。
今まで探される立場にしかいなかったのだから当然といえば当然であるが。
広い宮は入り組んでいて、はなから全てを掌握することを諦めていた陽子には人探しは向いていない。
それに景麒が行きそうな場所など自室の仁重殿しか思い浮かばない。
出会う官に片っ端から景麒の所在を問うが聞く官全てに「何かなさったのですか?」と心配気に逆に問われる始末。日頃の自分達の様子が伺いしれようもの。
そんなに酷いのか、と反省するよりも憮然とした。
(だいたいあいつが小姑みたいに口煩いのがいけないんだ)
自分のことを棚にあげて景麒に責任を転嫁してみる。それもなんだかな、と陽子は溜息を付いた。

闇雲に景麒の姿を求めて歩き回る。陽射しが温かいために汗が滲んできたが諦めようとは思わなかった。
結局、陽子は(もちろん他の者達も)景麒が心配なのだ。

内殿から仁重殿の方向に向かって探していたら、回廊を曲がった先に金色の輝きが目の端に移った。
院庭の一郭に設けられた飾りもない長椅子に腰掛けた景麒の姿があった。
今を盛りとばかりに院庭に咲いている絢爛な花を愛でている様には見えない。
感情を著しく欠いて、瞳は彼方を彷徨っているようだった。こんな無防備な姿を見たことがない。
心ここにあらず、その証拠に陽子が近づいているのに気が付きもしない。
暫く様子を伺って陽子は頭を掻いた。
もしも原因が自分であったなら少しぐらい反省してやるか、と殊勝な気分になりながら院庭に足を踏み入れた。







何故、堂室の中が無人だと思ったのか。
明るく強い王気が内殿に来る前から見えていたのにも関わらず。

ただ驚いた。求めていた王の姿と気の置けない臣がいたことに。


景麒は空を見上げた。
雲海の上に広がる空に蒼を遮るものは何もない。その心に染み入るような蒼。
空を見上げる余裕をずっと持たなかったように思う。そこに切ない青が重なった。

(もうすぐ、貴方がお亡くなりになった日なのか――――)

舒覚を想う時、景麒の胸に複雑な感情が広がる。
王と切り離された痛みを生々しく景麒は覚えていた。
後悔と自責の念は今も胸を焦がしたまま。彼女を責めることなど思いもしない。
ただ、失われた憐れなかの人を想う。



不意に、音が立つほど乱暴に真後ろに腰を降ろしたその人に景麒は驚いた。
「主上・・・」
背中合わせに座ったため顔が見えないのだが瞬時に誰かわかるのは流石と言うべきか。
普段嫌味なほど落ち着き払った声に多少なりとも慌てた色が混じったのに、背を合せたその人はくつくつと笑う。
「主上?」
後ろを振り向こうとした景麒を遮るように陽子は景麒の背にもたれかかった。軽い少女の体重を受けて景麒の動きが止まる。
「珍しいな、お前がこんな所でボーっとしているのは」
"ボー"の部分に力を込めてみたのだが景麒に気にする様子はない。
「そうでしょうか」
受け答えに嫌味さが足りない。陽子の顔が顰められる。
「それより主上こそ、政務は如何されたのか」
なんだいつも景麒じゃないか、と陽子は胸を撫で下ろす。
「お前を呼んで来いと言われたんだ」
「私を?」
「そう」
「何故?」
不思議そうに問われて陽子は戸惑った。理由を聞かれるとは思ってもみなかったのだ。
「お前がこの国の台輔だからじゃないのか?」
少しばかり適当過ぎたのか景麒は黙り込んでしまった。

背を向けているので陽子には景麒の様子は伺えない。それでなくとも景麒は他人に自分の内実を知られるのを嫌う。
矜持が高いのか頑固なのか。陽子が原因なら口を割るのも早そうなのだが。
景麒の背にもたれながら空を見上げた。突然閃いた。

(ああ、もうすぐ予王の・・・・・)

だから景麒はナーバスになっているかもしれない。

「空が・・・青いな」
景麒の体が強張るのを背中越しに陽子は感じた。やはり、と確信する。
景麒なら予王に対する並々ならぬ想いがあるだろう。
それは今の主である陽子ですら踏み込んではいけないものだ。
ただ陽子は祈るだけだ。
予王が心安らかであることを。景麒の苦しみが和らぐことを。


背中の心地よい重みが消えて景麒は振り向いた。翠の瞳は真っ直ぐに己に向けられている。
「そろそろ行かないと。鈴が怒り出す」
そう言って回廊へと歩きだした主の背を見つめた。回廊に戻る手前で陽子は振り向くと眉を寄せた。
「何してる、景麒も来い」
座ったまま動こうとしない景麒に、陽子は大股で引き返しその正面に立つと片手を差し伸べた。
「ほら」
差し出された小さな手を見つめた。

景麒はもう既に気が付いている。

「景麒?」


覗き込むようにこちらを見ている少女は以前の景麒だ。
そして、景麒は舒覚なのだ。


小さな手に己の手を重ね手前に引き寄せた。
全く身構えずにバランスを崩した体は景麒の腕の中に落ちた。有無を言わさず衝動のままに抱きしめる。
仄かに香るのは院庭に咲き乱れる花の香ではなく、腕の中の紅い華。


望まない愛情を与えられる苦痛を景麒は誰よりも知っている。
舒覚には覚えなかった感情は少女を傷つける刃でしかない。

(今の私を貴方は笑っておられるだろうか。これは貴方を犠牲にして生き延びた報いなのか)

そうとわかっていて毒を少女に注ぎ込むことは出来ない。
それだけは出来ない。

麒麟として。


突き上げる痛みに耐えるように景麒は固く瞳を閉じた。







景麒の腕の中で陽子は状況が上手く飲み込めずにいた。
景麒が立ち上がるために手を差し伸べたのに、何故か逆に引っ張られて。
不意打ちであったため景麒に倒れ込んでしまった。その際に膝を地面に打ち付け、痛い。
跪く格好で、景麒の胸板に顔を押し付けられている。
背に廻された腕は先程から陽子を絞め殺す勢いで力が込められている。
兎に角、苦しい。

景麒の腕が緩むのを陽子は見逃さなかった。
勢いに任せて立ち上がり景麒の腕を跳ね除けた。

「お前はっ、私を窒息させる気かっ!!」
威勢よく飛び出た怒鳴り声は院庭に響いた。羞恥のためではなく怒りにために頬を上気させて眉がややつり上がっている。
景麒は呆気に取られて主を仰ぎ見た。
「私に恨みでもあるのかっ!おかげで膝を打ったじゃないかっ。見かけは非力な優男風のくせして馬鹿力で人を絞め殺す気かっ!!」
次から次への悪態をつく陽子に今だ景麒は反応を返せない。
陽子の頭の片隅にも今のが甘い抱擁であるとは思いつかないらしい。
一旦言葉を切って陽子は肩で息をする。僕を睨みつけてくるりと背と向け歩き出した。
だがやはり回廊の手前で振り向いた。
「ほら、景麒も来い。鈴がお茶を用意してるんだから」
その声はとても不機嫌そうで、眉間には皺が寄っていたが、真っ直ぐな眼差しは景麒の心に深く届く。
口元に僅かな苦笑を刻み景麒は腰を上げた。
陽子はもう振りかえることなく歩き出していた。



舒覚は景麒との恋に死という形で幕を降ろした。
(ならば自分は、どうすればいいのか―――――)
麒麟である以上自ら死は選べない。まして主の死は絶対に選べない。


願わくば。
心情が露呈されたその時は、先程のように一喝してくださればいい。


主の小柄な背を追いながら景麒は自嘲した。
前を行く陽子には真摯に自分を見つめる景麒に気が付くことはなかった。


END

※カンタイのタイとコショウのショウはあて字になっています。
This fanfiction is written by KANATA in 2003.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


ど〜です、誰もが頭をよぎったであろう予王と景麒の物語、それを悲しくも美しい世界に仕立て上げたこの作品!(なぜか自分が得意になっている)
実は配布していない1周年記念作品をゴリ押しで頂いてきたのです。もう、これは自慢したい!

シリアスがメインなので「予王と景麒の間でこんなことがあったかは原作を読む限り95%はなさそうですよね」、「景麒が陽子を好きな設定にする必要はないかもしれないと悩みました」と後書きで断りを入れています。が、
いえいえ、煩悩だらけのわたしにとってはこれも立派にシリアスです!←わたしに言われてもなぁ
わたしは予王の悲劇話に弱い、めったにないから自分でも書いてます。だから、
「予王は相当辛かったのだと思います」・・・この言葉が嬉しいv
景麒の予王を慕う気持ちと与えられる苦痛、予王の苦しみ、このバランスが絶妙にいいのです。
だからこそ景麒の「もういいのです」の台詞に感極まり、TT
そして、陽子によって逆転する想い。これでやっと、景麒のあの不振な態度がわかってくるのですね。カナタさんのこういう、にくい演出にもヤラレタと思わせられるのです。

タイトルをわたしがつけてもいいと仰ってくれ、カナタ様の作品「君が眠り逝く朝に」のタイトルが素敵だったのでそれに近いものを、と思っていたのですが、これでは自分の作品につけた章題に近いですね。どうかここだけでのタイトルとご承知おき下さい。。
十二国記の作品数は少ないですが、カナタ様のサイトJokerでは陽子中心の素敵なシリアスが読めます。(メニューに近道リンクがありますよ♪)
ただ、読む前にハンカチを用意した方がいいかも・・・


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