天   漁




 酷暑の中、頑丘は駮をひいて広い牧草地に立っていた。草地に立って空を見つめていた。
「どうだ…」
 頑丘の問いを理解したのか、駮は嬉しげに前掻きをして、首を振り上げた。
「上に行きたいか…」
 その様子をみて、近迫は声を上げて笑う。
「おい、おい。まずそいつに聞くか……そいつが嫌がるなら、吉量があるぜ。あいつらの方が扱いやすいだろ。」
「―――風もよし。もちろん妖魔もいない。早く、涼しいところに行きたいとよ。」


◇◆◇◆◇


 近迫は仲間と共に売り物の騎獣を連れて近くの里に滞在していた。
 里は一帯を山々に取り囲まれた大きな窪地にあり、その地形の為近くに大きな街道はなく、外との往来は少ない。それでも広い良質の牧草地を抱えているので、近迫のような騎獣を連れた朱氏がよくやって来るのだ。
 丁度、そこに頑丘が訪れ、再会したのは黄朱に馴染みの里がそう多いわけではないから偶然とも言えない。ただ、ここ数日猛暑が続き、盆地のこの地方は特に暑かった。

――――吉量とは景気がいいな。
 近迫が十数頭の吉量を連れているのを見て、頑丘は言った。

――――まあ、なんだ……嬢ちゃん繋がりで売るには困らないからな。妖魔も出ない、天変地異も無くなった。だんだんと暮らし易くなっている……剛氏の仕事は無くなったが、いいことじゃねぇか。
 そう言いつつ、飼い馴らされ大人しくなっていくような寂しさもある、と近迫は思っている。ただ、当時より確実に老けたとはいえ、目の前の男にそんな様子はない。

 恭国では三十年近く空位が続いていたが、数年前にようやく王座が埋まった。新供王は十二歳の少女であり、頑丘と近迫はその登極に深く係わったのだ。
 特に頑丘は剛氏として供王を助け、命を賭して守った恩人である。本人はそのことに話しを向けられることを極度に嫌い、王との繋がりを明かすことはないが、あの女王がこの男をあっさり諦めるとは近迫には思えなかった。

―――珠晶は如何している?と、近迫は目で問うが、頑丘から返る言葉はない。
 近迫は溜息をついた。
―――この暑さは獣には頂けないが、作物にはいいらしい……今年は雷も多い。豊作になるだろうって噂だ。嬢ちゃんはよくやっているってことだ。

―――そうでなくては困る。
 頑丘はむっつりと返事をした。
―――そうでなくては困るが、この暑さが数日続けば、獣達の中の弱いものは倒れるな。
 話題を掏り替えて、言葉を続ける。
―――ここの閭胥の話では、今朝あたりから乳の止まる雌牛が多いということだ。馬も日中の暑さに喘いでいた。明日も同じように暑ければ…

―――死ぬか。

―――死ぬな。ただ、お前が吉量といたってことで、暑気をはらう方法があると思わないか?
 頑丘は、ニヤリと笑った。

―――冬華漁よ。

―――冬華漁!

 近迫は瞠目する。冬華漁とは一種の投げ網漁である。だが、獲物は魚ではない、氷である。漁場も海ではなく空となる。魚群は雷雲、乗り物は船ではなく飛行する妖獣である。
空を飛ぶ、優れた騎獣が揃って可能になる漁で、めったに行われるものではない。その昔、恭国が落ち着いていた頃は、夏の楽しみとして騎獣自慢が集まって行われたことがあったらしい。
 恭国は北国なので夏は比較的穏やかだが、それでもひと夏の間に気の違ったように暑い日が一日二日ある。生物は大抵その日をただ、じっとしてやり過ごすのだが、時には続くことがあるのだ。一日二日が、三、四日になるだけなのだが、それでも弱っている家畜や妖獣には大きな打撃となる。たった一日多すぎた暑い日の為にバタバタと死ぬ。
 だからそんなとき、暑気を払うために冬華漁をする。雷雲から大量の氷を獲ってきて、獣達に振る舞う。
 暑さ嫌いの妖獣などは、氷塊でも喜んでバリバリと食べる。家畜も嬉しげに群がり、氷塊を舐めたり欠片を齧ったりと堪能する。暑さで死にかけの家畜などには、尻の穴から氷を入れて冷やしてやることもある。ついでにきれいな氷塊は、削ったり砕いたりして人も食べる。
 頑丘はそれをしようと言うのだ。





―――冬華漁かぁ…

 確かに調教された吉量の一隊がいる今ならば不可能ではない。この里には長年世話になっているのだし、困っているなら一肌脱いでも構わないと思っている。だが、漁には危険が伴い、簡単に出来るものではない。彼は考えこんだ。

―――ここは広い盆地だ。それに昨日今日の暑さと、この風向き。どうだ?獲物についてはお前の方が詳しいだろう。

 この辺りの山に挟まれた窪地では、この頃常に雷雲が発生している。夕立が多いので渇水だけは免れている状態だ。確かに獲物はいる。久々の荒っぽい仕事の誘いに剛氏の心が疼きだす。

―――冬華漁とは、酔狂だな。だが、面白れぇ。

 近迫は承知した。

◇◆◇◆◇

 漁をすると告げた昨日から、里はめったにないこの漁の為に湧きかえっている。興奮して暑気中りになる粗忽ものがいないか心配されるくらいである。漁をみたことがある者はごく僅かだから、ちょっとでも知っている者は得意げに吹聴しているらしい。

―――でっかい氷の塊が獲れるんだ。それを砕く槌がいる。
―――いや、のこぎりも必要らしい。
―――それより人が食べるためには削り器が必要だ。氷を鉋掛けするのが、正しい食べ方なのだそうた。
―――鉋掛けして食うのか?
―――鉋掛けしたのに蜜をかけると、冬華燦という上等な菓子になるのさ。
―――冬華燦!?
―――冬華燦ってのはなぁ…

 里の人々は大騒ぎである。だが、雷雲の発生しやすい窪地は里からは少し離れているので、そんな人々の騒ぎも伝わってこない。
 窪地には頑丘と近迫の仲間達、里の世話役と漁そのものを見ようという一部の物見高い人々が集まっていた。
 頑丘達は、騎獣に装備を付け漁の得物の長い竿を手挟んで、天候を待っている。厚い着物に革の比甲。おまけに被り物までつけていると、それだけで息が苦しくなる暑さである。

「そろそろだ……覚悟しろ。この暑さだ。上はいいだけ荒れているだろうよ。」

 近迫の操る吉量が飛び立ち、旋回をはじめた。続いて残りの吉量も飛び立つ。慣れない竿に抵抗を示すものもいたが、旋回を続けるうちに落ち着きを取り戻し。やがて全体で大きな輪となって一隊を形作っていく。
 そこに剛氏達の鹿蜀も加わる。

 騎獣の間が詰ってくると、一頭が中抜けして別に小さく回り、空いた場所を見つけて輪の中に戻る。頭数が増えるとそれが頻繁になり、大きく旋回しているというより、一つの場所で乱れ飛んでいるように見える。その中で彼らは群れとしての呼吸を合わせていくのだ。
 駮に乗った頑丘は、しばらくその様子を眺めていたが、騎獣達の乱れのない動きくを認めると、竿を手挟んで飛び上がった。

 駮は群れをぐるりと一周すると、近迫の吉量の下方に並びかけた。近迫は気配を感じ取り降りかえって一瞥すると、吉量の頭をぐいと上げ馬体を外へ押し出して輪を大きく広げた。群れは大きく旋回しながら上昇を始める。一列になり、螺旋を描きどんどん高度を上げていく。

 窪地は既に遥か下になった。上空の気温は一気に下がり地上の暑さがウソのようである。
 駮は機嫌がいい。酷暑から抜け出し群れとなって気流に乗って飛ぶぶんには彼も不満があろう筈がない。群れは天蓋を目指し高度を上げていった。

 雲海の裏にあたる天蓋がどこにあるか、頑丘にはとんと見当がつかない。だが騎獣達はよく心得ている。ここにいる吉量や駮ならば天蓋の向こう、雲海の上を飛ぶこともできる。天空はかれらの領分であり、これからはじまる漁はかれらの能力にかかってくる。





 獲物を求めていた近迫が、適当なものを探し当てたらしく、長い竿を指し示す。
 その先には雷雲。
 黒々と渦を巻き、夏の日差しも入り込めない。
 暗闇の中に、無数の妖の眼(まなこ)が光る。―――違う、あれは雷光。

 駮が急に緊張を高めた。

 大気が変わり、怒りのような険悪な力が満ちてきたのを遅れ馳せながら頑丘は感じた。全てがとげとげしく、侵入者を叱責する。
 吉量達は寄り合おうと互いの距離を詰める。

 駮が短く嘶く。

 辺りが急に暗くなり、乱気流が警告を無視した一隊を襲い、散り散りに引き裂こうとする。
 金色の目の吉量達は一瞬各個に散らばったものの、雷雲から少し遠ざかった場所で再び旋回を始め、隊列を整えた。
 駮が追い、更に追いついた鹿蜀が加わる。


―――いい具合だ。網を打つぞ。

 近迫が身振りで語り掛ける。

―――二頭でいく。用意はいいか。

―――了解。網を出せ。

 頑丘は合図を送り、近迫の放つ網を受けとめる為に竿を構える。

 いつの間にか雷雲の方か彼らに接近していたらしく、放電の電波の味、水素電子のひりひりした味わいが、鼻から口から伝わってくる。

 今年一番の暑さは大きな窪地であるこの土地に上昇気流を発生させた。水分を多量に空気は上空にいくと急激に冷やされ氷結する。氷を含んだ雲は天蓋近くで大旋風を形作る。やがて氷は自らの重さにたえきれなくなり、下降して雨となる。

 目前の雷雲は旋風と無数の氷の粒から出来ている。霰ほどの大きな氷が小魚の大群のように空を泳いでいるのだ。だが、この魚の群れは酷く強暴だ。雹に成長しているものも多いに違いない。

―――大きすぎず、よく密集している…近迫(ヤツ)の目は確かだったな。

 強風は網を担いだニ騎に容赦なく吹きつけ、張りきった手綱が風を受けて唸る。
 指先に放電を感じる。危険な領域に入った印である。

 黒雲の渦の中、旋回し下降する氷同士がぶつかり合い、擦れ合うことで電位が発生し雷となる。妖の眼のような無数の雷光となる。そしてなお悪いことに、不用意に近づいた者に噛みつき、引き裂く。
 妖獣は巧みに雷電の一撃をかわす。吉量も駮も、鹿蜀も巧みに避ける。だが人は違う。妖(あやかし)の力で雷の経路を知ることができない。しかも人は狩りのための余計な道具を持っている。
 乗り手の生命は騎獣次第。妖獣の本性と、馴らされた従順さ。それが上手く両立しなければ漁は出来ない。命の保証もない。

―――網を出す。受け取れ!


This fanfiction is written by AKAINU in 2005.

Albatross−赤狗様的幻想世界− 
背景素材:DRAGON FORCE

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