霜楓宮に突然顔を出した利広を、一人の高官が応対した。 しかし彼は、そのことに違和感を覚えた。 彼が、ごく稀にではあるが非公式に――それでも公式に訪れるよりは頻繁に――恭を訪問することを、それなりに官位を持ったものなら皆知っているからだ。公式でない以上、格式ばった国賓扱いを受けることもない。したがって常ならば、数人の女官が付けば多いくらいなのである。 そのうちに官は、静かに声をかけて来た。 「卓郎君、一つお尋ねしても宜しいでしょうか」 来たなと思いつつ、穏やかに返す。 「構いませんよ。奏の機密でなければ」 二人は微笑みあった。 「今のところ間に合っておりますので、それ以外をお聞きしようかと」 「それなら安心して答えられますね。何でもどうぞ」 「卓郎君は、主上とご懇意でいらっしゃいますよね?」 霜楓宮でそれは自明のこと、奄(げなん)奚(げじょ)ならともかく、高官に知らない者はいないだろう。 「ええ、そうですよ」 「主上は、なぜ台輔に字(あざな)をお付けにならないのでしょう。もしや卓郎君は、その理由をご存知ではいらっしゃいませんか」 自らの麒麟に字を与える王は多い。それは確かだ。しかし先の問いは、自分に向けられるものとして、どこか釈然としないものがあった。 何がそう思わせるのか。 利広は、言葉を選びながら切り返した。 「字とは、付けなくてはならないものでしたか?」 「いえ、そうではありませんが、多くの場合は」 「そう。ではあなたは、今上に普通を求めたいんですか。前代未聞の、十二歳で登極した王だから、台輔の字ばかりも、と」 あからさまな棘に、その官はまぶたをぴくりとさせた。 しかし、返答は抑えた声音であった。 「いいえ、そういう意味ではなく、単純に不思議に思っておりました。主上は些か変わった所がおありですが、本来、王とはそうしたもの」 「それは」 しばし思いを巡らして、思わず苦笑した。 「・・・それは確かに」 雁、範、そして奏。 今、大王朝と呼ばれる国、それに準ずる国の王は揃いも揃って「変わり者」だ。 奏に至っては、「王」という役割を五人、麒麟たる昭彰も含めるなら総勢六人で、分担してすらいる。 ひょっとすると、長い歴史の中には似た様な「王」もあったかもしれないが、だとしても間違いなく少数派だろう。それらの王に比べれば、珠晶など「まっとうな」王に違いない。 「王が王として天に選ばれるからには、私ごときとどこか違う所があったとして、驚くに当たりません。そうではなく、字をお付けにならないのには、何か思うところがおありなのだろうかと。主上は、台輔のことを心底大切に思っていらっしゃるのに・・・」 「貴殿」 「はい」 つい、声をかけてしまって、そして納得した。 頭の回る人間が、間違いなく登用されている。 「・・・今上が昇山により登極したのはご存知ですね」 視線を向けたその相手は、頷き、答える。 「その折、貴公もご一緒であったと聞き及んでおります」 「でもね、私は一度、はぐれているんですよ。その時の事を、連れ立っていた黄朱に聞いたんだが」 一息あけて言葉をつないだ。 「はぐれていた間、妖魔に襲われて、身代りに騎獣を捨てたのだと聞いた。そのとき珠晶に向かって、どれほど大事でもいつ捨てるか分からない騎獣に名前は付けない、未練が残ってはいけないから――そう言ったら、珠晶は可哀想と答えたのだと」 「それは、騎獣がですか」 首を横に振る利広に、官は少しばかり不思議そうな顔をした。 「いいえ、黄朱が」 「黄朱が?」 「名前を付けない代わりに、騎獣をなんと呼んでいたか――」 「あいつ、とか」 「そんな感じですよ。奴は自分の騎獣にあいつ、お前と呼び掛けていた。けれど、それは名前で呼ぶのより、ずっと親密に思っているってことだと、珠晶は言ったのだそうだよ」 そう言って、泣いたのだ。それ程に大切な騎獣を捨てさせてしまったと・・・ 「では、字を付けて差し上げては、などと、言うだけ野暮ですね。それだけ思っておいでなら」 相手に明るい笑みが浮かぶのを見て、利広も微笑んだ。 が、ちら、と利広の脳裏をかすめた。 ――あるいは、捨てるとき未練を残さないために? だとしたら、ひどく珠晶らしいと言うべきか、それとも、らしくないと言うべきか―― 「卓郎君」 その声に、はっとそちらを見た。 「例の騎獣は・・・やはり食われてしまったのでしょうか」 明るい表情が、ただ明るいのではないことに気が付いて、利広はふ、と息を吐いた。 そして瞳を見つめ返し、言った。 「無事に戻って来ましたよ」 「奇跡的に?」 「そう、奇跡的に」 眉をしかめ、僅かに首を傾げた。 「妖魔に襲われたにもかかわらず?」 「ええ、再会した時、同じ騎獣を連れていましたから」 その答えを聞くと、まるで遠くを見るように視線が離れた。 「・・・天よりの加護があったのでしょうか」 問いの形を取っていても、答えを聞こうという様子ではない。 けれども、一瞬の間に視線を戻した。 「何にせよ、良かった」 「そうですね」 利広は屈託なく返した。 珠晶が、そして名前のなかった騎獣が、生きて帰ったこと。 この官にとって、それは何より「良いこと」なのだ。 そして自分にとっても。 「こちらへ」 見ると、一人の女官がやってきていた。 彼女はしずしずと歩み寄って、二人の前に膝を折り、額を付けて口上を述べる。 「主上のお渡りにございます」 それを聞き終えると、官は拱手をして、頭(こうべ)をたれた。 「では私は、これにて失礼いたします」 利広も拱手を返す。 「こちらこそ、ありがとう」 利広は、遠ざかっていく衣擦れを聞きながら、新たな衣擦れとともにやってくるであろう少女を迎えるため、居住まいを正した。 This fanfiction is written by YURI in 2004. 「笑う太陽うたう月」主従祭への投稿作品
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ひあき うー様、当サイトへ作品を置くことを快く許可して頂き、ありがとうございます。 当サイトのBBSでも宣伝したことがあるので既に読んでいる方も多いとは思いますが、読み損ねた方の為に、うー様にお願いしてこちらで展示させて頂いているというわけです。 わたしは頑丘(彼に代表される黄朱の存在)の熱烈なファンでして、「図南の翼」再びなこの内容が嬉しいのですよ♪ 思えば、台輔としての供麒は役立たずでも、騎獣としての供麒は最高でしょうねv←違うって (^^;ゞ |
Albatross−由里様的常世語り− |
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