悠遠たる
孤独を祓う
存在-モノ-
 遠い記憶の彼方にある海は目の前の雲海よりも、
 天を覆うこの空よりも碧く、
 潮の匂いを運ぶ風をも染めていた・・・




 景麒失道の報を受け、俺は慶国にやってきた。女王が続くこの国は救いようのない荒廃とは縁がなかったが、豊かさにも縁がなかった。現景王の治世は6年目、己の半身に恋着することは王としての権利の内にあるとはいえ、半身に近寄る女を許さず、国から追い出して最愛の半身が病んだという。いくら己の半身とはいえ、麒麟には人間の情愛を理解できないことくらい、共にいればすぐに気付きそうなものだが、俺に女心を理解できるはずもない。
 以前来た時との明らかな差は和州の無秩序ぶりだった。王がいなくとも、雁と接する交通の要所たるこの和州はそれなりに賑わっていたものだが、今は見る影もない。短い間にここまで荒廃が進むとは、景王自らが滅びようとしているのだということは理解できる。ここまでの強い意思があるのならば、国を興すのことも可能だったはずだ。舒覚は間違いなくこの国の王だった。



 六太は露台の手摺りに座って満月を見上げていた。
「誰かが、呉剛の門を通ったな」
「お前以外にそんな物好きがいたのか?」
六太は手摺りに片足を載せて振り向くと俺を睨め付けた。
「景麒が蓬莱に王がいるかもしれないと相談に来たのを忘れたのかよ!」
「本気で行くとは思わなかったんでな。あの国では歓迎されんだろう」
「それでも行くのが麒麟なんだよ!早く見つかるといいな。それで、苦労してたら今度こそ力になってやろうぜ」
「奴が助けを求めてきたらな」
「今度こそは絶対に来いと言ってあるから大丈夫さ!」
六太は握った手の親指を立てて右腕を突き出した。最近蓬莱で観たという映画の真似だと言う。





 景麒が蓬莱へ渡ってしばらくしてから慶に新王が立ったらしいという噂が流れてきた。凰が鳴かぬのは、新王がまた女だから朝廷が抵抗しているということだったが、調べてみると偽王は予王舒覚の妹だということが判明した。偽王ならば景麒が戻ってきた時に騒ぎが収まると思っていたのだが、その景麒が偽王の側にいるという報告を聞いて、六太は様子を見に行くと言い出した。
「巧国と慶国に蝕があったんだぞ、景麒が王を連れてきたことは間違いないんだ。なのに何で奴が偽王の処にいると思うんだ?何らかの形で捕まったと考えるのが妥当だろう。麒麟を捕まえるなんてそうそう簡単に出来ることじゃない。慶国で何かが起こっている。そして、景麒の奴は俺達に助けを求められずにいるに違いないんだ!」
「お前は塙王からの青鳥は気にならんのか?あれはどう考えても景王は巧にいるということだぞ。塙王がどんな理由で景王を捕らえようとしているのかを今調べさせている。それに、翠篁宮に変わった動きがあった場合にも連絡が入ることになっているから、もう少し詳しくわかるまでここにいろ。今の慶ではお前の身には辛かろう」
「景王はお前に任せる。俺は景麒も心配なんだ。あんな処に閉じこめられてたんじゃ、また病んじまう。それに予王の妹ならきっと景麒を憎んでいる。俺達はそんな感情には耐えられないんだよ」
俺を見上げる紫の瞳は今にも泣き出しそうだった。
「どうしても行くというのならば麦州から入れ。和州へ行けばお前の身が持たん」
六太は金の頭を左右に振った。
「一刻の猶予もないかもしれないだろう?俺は獣形で高岫山を超えて征州に行く」





 六太が留守の間に靖州候宛の手信がやってきた。党から届くという異様さに俺は六太よりも先にその手信を読んだ。内容は正に六太が待ち望んでいた景王の所在に関するものだった。俺は六太の代わりに景王が滞在しているという党へ向かった。
 報告によると塙王に追われている海客は紅い髪に碧の瞳を持つの十六の少女だという。海客が紅い髪や碧の目をしている筈がない。いや、いないわけではないだろうが、それでも胎果である可能性の方が強い。今の倭国の女子高生に王が勤まるかどうかは別としてだ。
 辿り付くと、そこでは妖魔が人を襲っていた。今のこの国では考えられんことだが、景麒が捕らえられているという異常事態と景王がここに滞在しているという事実を考えれば、符合するものがなくもなかった。そして今、妖魔と戦っていた紅い髪の豎子(こぞう)が欽原(きんげん)に襲われる寸前に出くわし、俺はその欽原を斬り落とした。命拾いをした豎子が礼を言うと、そいつは豎子ではなく姑娘(こむすめ)で、新しい景王だと気付いた。唯一人で妖魔に立ち向かう女王に、この先の慶は期待できると、その時の俺は思っていた。

 新しい胎果の景王は名を中嶋陽子と言った。巧国で妖魔に追われながら深手を負い、六太に手信を書いた張清、字は楽俊と呼ばれている鼠の半獣に助けられて雁に辿り着いたという。
 景王陽子は自分が慶国の玉座に就かなければ国が荒れ、自身の命がないと知っても、王にはならずに倭国に帰るという。だが、景麒を偽王軍から奪還することには了解した。それは慶に次の王を与えるためで、俺や六太が説得してもその決意が揺らぐことはなかった。





 景麒を取り戻す為の親征軍の準備が整う頃、陽子は慶国の玉座に就くことを決意した。陽子を説得したのは親友の楽俊だった。そして、覚悟を決めた陽子は親征軍の先頭に立つという。これには流石の雁国を仕切る連中も慌てていた。
「隣国の王を今回の戦いで失えば我が国の面目が丸潰れです。軍人の経験があるならばまだしも、景王は御歳十六の女子学生だったと言うではありませんか。本人が望んでも止めるのが年長者としての勤めでありませんか?」
無謀は冷えた視線で俺を睨め付けた。
「そうだよ!今の倭国は尚隆のいた頃とは全然違う。十代の学生どころか、他の民ですら戦に出ることなんて有り得ないんだぜ。実際に出陣して後悔してからじゃ遅いんだ!」
六太は俺の胸を叩き、紫の瞳で俺を見上げた。
「主上のお考えを聞かせて頂けなければ、拙めも協力できかねますぞ」
冢宰の院白沢までもが納得できないと言う。俺はくつくつと笑った。
「まったく、どいつもこいつも陽子の見かけに惑わされているな。あいつは無力な十六の少女などではない、慶国の王だ」
三人とも俺の言葉に目を見開いた。
「王のことは王にしかわからぬと仰るのですか?」
相も変わらぬ無謀な我が国の大司寂柳朱衡は低く抑えた声でなおも言った。
「お前が慶国の官吏だったらどうなんだ?」
奴は今度は僅かに身を退いて視線を落とした。六太は両腕を下げて、俯くと両手を握り締めていた。
「それは国を想う王のお心に心酔もしましょうが、今の慶国の朝廷官吏共に通用はしないでしょう」
「確かに朝廷を仕切っている官吏共に通用はせんだろうが、通じる者達への希望を奪うわけにはいかぬだろう。案ずるな、禁軍の連中は命に代えても景王をお守りすると張り切っている。まあ、あの連中もむざむざ死なせるつもりはないがな」
白沢は一つ息を吐いた。
「かしこまりました。我等は景台輔をお迎えする準備をして、ご帰還をお待ち致しましょう」
「頼んだぞ」
無謀と白沢の二人は揃って拱手をした。
「お任せを」
俺は六太の頭をくしゃりと撫でた。
「陽子は既に戦っているんだ。わかってやれ」
「麒麟にそんなことを納得させるなよ!」
俺の手を払って、六太は堂室を飛び出して行った。

 六太が次に俺に顔を見せた時には楽俊と他の州侯を説得してくると、とらに乗って玄英宮を出て行った。
「延王にも延台輔にもご迷惑ばかりをおかけしていますね」
二人を見送りながら陽子が言った。
「俺達は俺達の思惑で動いている。俺達に感謝の気持ちがあるのならば、一日でも早く国を建て直すことだ」
「はい」
陽子が真っ直ぐに向けてきたその瞳は目の前に拡がる雲海よりも、天を覆う空よりも碧く、輝いていた。
「何が可笑しいのです?」
俺は知らず、笑っていたらしい。いつの間にか碧い瞳が俺を睨め付けていた。
「いや、少々慶の連中が羨ましいと思っただけだ」
「は?」
陽子は目を見開いて首を傾げた。


  見かけに惑わされるなと言ったのは俺だった。
  陽子は慶の王としてでなければ、その色も失う。
  ならば、慶にあるその姿をこそ望みたいと願おう。
  できるだけ長く、俺よりも先へ、と。


− 了 −
This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2005.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


まずは、尚隆ファンへは生ぬるい作品となってしまいましたことをお詫び致します。
もう少し、格好よく、硬派で攻めたかったのですが、玉砕しました・・・
こんなモノをフリー配布にすんじゃなかった〜TT

実はわたしは尚隆→陽子が一番のツボだったりします。
おまけに、My設定の尚隆の見かけ年齢は20代前半と書くこともありますが、本当は20前後、19にしてやったら面白いのでは、と思っているくらいなのです。楽俊よりも下ですね(^^;ゞ
かつての日本では14で成人とされていたのですから、あながちおかしくはないと思っています。
見かけ年齢が19くらいだと陽子が気易いのも、玄英宮の官吏達に遠慮がないのも不思議ではなくなります。それに14の六太がおっさん呼ばわりしていても変じゃないし・・・(ダメ?)
これからも、自分が納得の行く尚隆を書ける日が来るまでチャレンジしていきたいと思います。


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