栄華の果て


 尚隆が延王となってから三百年が過ぎた頃には、雁にはもはや、かつての荒廃を思い起こすものは何一つ見あたらなくなっていた。人々の記憶にすらも残らず、ただ史実として書物に数行書き残されるのみとなっていた。
 そして、三百年間玄英宮を抜け出しては朝議をサボっていた延主従だったが、主の方はここしばらく下界へ降りることがなくなっていた。そのことは当然、彼の側近達を戸惑わせていた。
「あいつが毎回朝議に出てくると調子が狂う!」
帷湍は卓子を叩いて叫んだ。
「どうせ、すぐに飽きますよ」
朱衡は書類を繰りながら澄まして言い返した。そして、堂室の中には沈黙が訪れた。彼等には尚隆が何故下界へしばしば降りるのかを承知していた。尚隆が下界へ降りる趣味を彼等はその回数に呆れながらも喜んで黙認していたのだが、もしもそれに嫌気が差したのであれば最悪の事態である。今のところ尚隆は朝廷のありように口出しすることはなかったし、台輔である六太が下界へ降りることを辞める気配はなかった。故に何の問題もない。これは単なる尚隆の気まぐれでしかない、と彼等は自分に言い聞かせていた。
「まったく、普通に王らしいことをしていても人騒がせな奴だ!」
帷湍は今度は利き足で床に思い切り踏みつけた。
「今宵あたりは冢宰にお声がかかるかもしれませんね」
朱衡は白沢を振り向いて言った。
「何の話だ?お前が言うと怪しく聞こえるぞ」
帷湍は眉をひそめた。
「主上がこちらにご滞在している間の暇つぶしですよ。昨日はわたし、その前はあなたでしたね」
「ああ、囲碁か!ほとんど勝てる見込みのない相手と対戦するなんぞ、奴は負けるのが趣味らしいな」
「主上の楽しみなど凡人には計り知れませんからね」
朱衡の言葉に帷湍は腕を組んで頷いた。
「ここにいる者は現主上あっての今の雁だと承知してはいますが、三百年も経つと殆どの者にとってはそれが当然過ぎてくるようですな」
「あいつがそんことを気にするとは思えんぞ」
白沢は首を振った。
「夜があってこその朝日、冬があってこその春、そのどちらか一方だけというのは、やはりどこか歪んでいるとは思われませぬか?」
「主上の悩みはそこにあると仰るわけですね」
白沢は頷いた。
「我等の思いつくことなど主上はとうにお気づきでしょう。主上がそれにどう対処するかなどとは我等には思いもよらぬこと、なれど、主上が意を決したときに我々がどう対応するか、その心構えは必要となりましょう。主上は我等の理解を超えた命を下されますからな」
「平和すぎるが故の危機はこの国の誰もが経験してはいません。思えば慶の達王もそれで滅びたと言えるでしょう。そして、あの国はそれから未だに立ち直る兆しも見えない。今回主上が活路を見いだせなければ今の慶がそのまま我が国の未来となる」
白沢と朱衡の言葉に帷湍は鼻を鳴らした。
「奴に他の王と同じ真似をする可愛気などあるものか!」
帷湍のこの言葉に白沢と朱衡は力無く笑った。

 朱衡の推察通り、白沢は公務の後に尚隆に呼び出され、囲碁の相手をしていた。そして、今回勝ったのは尚隆の方だった。
「お前に勝つと気分がいいな」
尚隆は機嫌良く言った。
「そう言えば帷湍殿は、主上は囲碁に負けることが趣味ではないかと申しておりましたな。勝つことをお望みでしたら、彼等に勝つ方法をご伝授いたしますが」
「たまに勝つから面白くてな。始終勝っていたら囲碁などすぐに飽きるわ。三百年で八十勝というところだ」
「よくご存知で」
「勝ったときは碁石を一つくすねているからな」
悪びれずに言う尚隆に白沢は片眉を上げた。
「最近の主上がこの王宮に留まることを考えれば百勝は目前でありましょう。何かをお望みでしたら、この白沢にも一役買わせて頂きたいものです」
「ほう、協力すると言うか」
強く光る眼で尚隆は白沢を睨め付けた。白沢は静かに視線を落とした。
「主上は最近下界へ降りられませぬな」
尚隆は鼻先で笑った。
「ああ、最近はなにかと延王を称える輩が多くてうんざりするのでな」
「口の軽い者共の言葉ではご不快かもしれませぬが、わたし共にとってもそれは変えようのない事実でございます」
白沢は拱手をして深く頭を垂れた。
「違うな。雁の繁栄は玄英宮の官吏達で成り立っている。それは王が変わろうとも揺るぎない。違うか?」
「いいえ、主上在っての我等です。どちらが欠けても雁の繁栄はあり得ません」
「お前は俺がこの国を滅ぼせと言っても従うか?」
「それが主上の真のお望みとあらば。主上が雁の未来を思い描かれなくなったというのであれば、我等も進むべき道を失います。主上をお諫めしても雁は終わりでしょう。ならば主上の命に従い、天意が早く下ることを願うのみです」
「被害を最小限に食い止めるために、俺の命に従った振りをするか?」
尚隆は口元で笑った。
「我等は主上と運命を共に致しましょう」
白沢の揺るぎない態度に尚隆は頭を抱えて片手をひらひら振った。
「もういい、下がれ」
尚隆の言葉に白沢は短い返事をすると王の私室を去った。




 翌日、白沢が尚隆に謁見している時にここ数日王宮を空けていた六太が飛び込んできた。その顔にはいつもの明るさはなかった。
「やっと帰ってきたか。どこぞの悪ガキに虐められたような顔だな」
「最近下へ降りなくなったお前にはわからなくても当たり前だけどな、柳に妖魔が出るってもっぱらの評判だ」
「ほう、では難民の対策が必要だな」
尚隆は白沢に向かって言った。六太は両拳を握りしめて尚隆を睨め付けた。
「それから、慶の天候もかなり荒れてきているらしい」
尚隆は片眉を上げた。
「お前は柳と慶の難民を俺に救えとぬかすつもりか?一度に受け入れれば、雁の治安が荒れるぞ」
「それでも、喰うに困った人間には食べる物が必要なんだ」
六太は俯いて、か細い声を絞り出すように言った。尚隆は溜息をついた。
「麒麟とは不便な生き物だな。他国の者にまで慈悲を与え、共倒れを望むか?」
「自分の国が良ければ、それでいいのかよ!」
六太は尚隆の目の前にある大卓を両手で叩いて叫んだ。
「お前は俺にどうして欲しいんだ?」
「柳の難民も、慶の難民も追い返さずに、食料と寝る場所を用意してやって欲しい。頼む!」
六太は大卓に両手をついて頭を下げた。
「うちの麒麟は大層な欲張りだ。白沢、どう思う?」
尚隆は頬杖を付いて白沢を見上げた。
「雁も人が増えて街には人が溢れております」
六太は俯いたまま肩を震わせたが、尚隆は口の端を片方上げた。
「では、街を広げんとな」
「はい、相当な人足が必要となりますな。夫役を集めても間に合うかどうか」
慈愛の籠もった白沢の声に六太は顔を上げた。尚隆が太く笑っていた。
「俺はケチなんでな。ただで施しはできん」
「じゃあ、働けない者は?」
「病気や怪我なら治せば働けよう。老人や体の不自由な者でも増えた子供の面倒ぐらいはみれよう」
言って尚隆は六太の頭をくしゃりとなでた。
「うん」
六太は片袖を目に当てた。
「白沢、できるか?」
「できなければ主上と台輔に見限られてしまいましょうな。雁の官吏は優秀であると主上に認めていただくために、皆はおのが能力を発揮することでしょう」
「なるべく時間をかけろ。そう、柳と慶が次王を迎えられるまでな」
「仰せのままに」
白沢は深く頭を下げて拱手をした。
「では、しばらくここを空けるぞ」
「碁は当分できそうもありませぬな」
「わざと負ける奴がいるのでな。興味が失せた」
尚隆は背を向けて、片手をひらひら振りながら大股に歩いて堂室を出て行った。

「なんか嬉しそうだな」
六太は白沢を見上げて言った。
「決して主上が王宮にいないほうがいい訳ではございませんよ」
六太は目を見開いて笑った。
「違うって。あんな勝手な奴なのに、白沢が幸せそうに笑っているから、物好きだな、と思ってさ」
「主上が我等にとって都合のいい王で在れば今の雁はありませんでした。三百年の長きに渡り、雁を支えてくれた王をわざわざ蓬莱よりお連れ下さった台輔に感謝申し上げます」
深く頭を下げる白沢に六太は両手を前に付き出して手を振った。
「よせ! 改まって言われても自信がないんだぞ。本当にあいつはふざけた奴なんだからな!」
「今の雁の繁栄が何よりの証拠。主上がお変わりにならない限り、雁はまだまだ繁栄致しましょう」
白沢の笑顔に六太はじりじりとあとずさった。
「俺も、下に降りてもう少し詳しい状況を聞いてくるな!」
そう言い捨てると、六太は白沢にくるりと背を向け、軽い足取りで駆け出した。白沢はその姿にも笑みを浮かべて見送った。


「ろじうらまちこうば」みゃーこ様キリリク 2004/08/09
This fanfiction is written by SUIGYOKU.

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みゃーこ様のキリリクで「碁石を集めている頃の延王を白沢視点で」でした。
誰もが考えそうなネタですが、白沢主役ということだけは珍しいかもしれません。わたしにとって、雁国官吏を動かすのは難しいですTT
そして、尚隆はもっと難しい・・・

こんな、雁国へたれ人間にリクをしてくれた、みゃーこさんは凄いチャレンジャー様です。6つのプチキリでリク権をGetしてくれたプチキリの女王様みゃーこさんに改めて感謝を捧げます。
みゃーこさんのプチキリって素晴らしいですよね!



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