灯 火 宴




何時来ても不思議なほど誰もいない屋敷を、勝手知ったる様子で奥へと向かう。
月が見えない今夜は、星の光が頼りなく降り注ぐ。
暗闇に沈んだ庭からは、今を盛りと秋の虫の音が響き渡り、そよと吹く風が 枯れた草木を揺らす。
世界に十二しかない国の、十二人もいないであろう冢宰の官邸だというのに。
警備の人間はおろか下働きの者の姿さえ見えない。
それが周りの目を気にする彼女のための、彼のさりげない気配りだとは陽子は気付かない。




目指す扉の隙間から明かりが漏れ出ているのを確認して、複雑な吐息を吐きだす。
もし寝ているようならそのまま帰ろうと思っていたから、いまだ起きている様子なのは嬉しい。
でも、こんな時間まで起きて―おそらく仕事をしている―のは、至らない自分のせいだから。
もっと自分がしっかりしていれば、彼の負担も減るし、一緒にいられる時間も長くなるのに。
…本当に自分は至らない。
「主上?」
溜息を一つ吐き出し、気を取り直して歩み出そうとしたその瞬間に突然声を掛けられた。
同時に目の前を白く染める光に驚き、左手に掴んだものを落としそうになる。
慌てて握り直し視線を上げれば、そこには外開きの扉を背にして、目指す房室の主がいた。
「…びっくりした」
「それはすみませんでした。こんな時間にどうしましたか?」
湯を使った後なのだろう。珍しくも髪を下ろし、梔子(くちなし)色の大袖を身に纏った浩瀚が訝しげに こちらを見ている。
促されるままに室内へと入れば、書卓の上には何冊かの書物が開かれたままになっていて。
「邪魔してごめん」
「いえ、丁度きりがついたところですし」
端正な文字が墨痕鮮やかに並んでいるのを見れば、嘘だとは分かるけれど。
それでも、ついその優しさに甘えてしまう。
「一緒に飲もうかな、と思って」
ちゃぷ、と左手に持った瓶を揺らす。その表面には海の彼方の文字―彼女でも読めない―
が記されている。
透明な瓶の中でこれまた透明な液体が小さな波を作っているのを興味深そう一瞥して 陽子に奥の榻を勧めると、自身は供案から小さな玻璃の杯を取り出した。


「これは延台輔から?」
「うん」
年に一回はあちらに渡る隣国の麒麟は、その度に土産だと称して彼女へといろいろなものをくれた。
もっとも陽子がいける口だと分かった頃から、土産はもっぱら酒になっていたのだけれど。
「乾杯」
「乾杯」
かちりと杯を合わせれば、杯の向こうに透ける相手の姿が揺れ、掻き消すように見えなくなる。
そっと杯を唇に合わせると、正面には一気に呷る浩瀚の姿。
つんとしたアルコール臭が鼻を刺すようで、わずかに顔をしかめつつ、一口
「――!! けほっ・・ごほっ…ごほごほっ」
喉を熱いものが、まさに溶岩のような熱さが滑り落ちていって、思わずむせかえった。
手から滑り落ちた杯が、ごとりと小卓を転がる音がする。
「大丈夫ですか!?」
浩瀚の慌てた声になんとか頷いて答えても、自然と涙目になってしまうのを止められない。
覗き込む浩瀚の姿が歪み、霞んでいく。
溢れ出した涙を拭われ、咳き込む背中を撫でられる。
しばらくの後なんとか咳は治まったものの、まだ喉がひりつくように痛んだ。
身体の中は火がついたように熱を有し、頭の芯は霞みがかかったよう。
たった一口だけなのに、ずいぶんと酔いがまわっている。
「ずいぶんと強い酒ですね」
呆れたように呟く浩瀚こそ、一気に呷ったわりには平然としていて。そういえば酒で乱れた 所など見た事ないな、などと今更ながらに思わされる。
「なんという酒ですか?」
ためつすがめつ瓶を眺めながら浩瀚が問う。
「分からない。あちらでも異国の文字だから。読めないんだ。
 …口惜しいな。せっかくのあちらの酒なのに…」
そういえば文字が違うのですよね、と呟きながら浩瀚は僅かに考え込む。
たまのこの土産を本当に愉しみにしていた少女のために、なにか方法はないものかと。
杯の底に残った僅かな酒を舐めるように覗き込みながら、口惜しいなと再び陽子は呟いた。
今はもう遠い思い出の彼方にあるだけの故国。かの地と自身を繋ぐものは、このか細い定期便だけ。
それを前にして、眺めていることしかできないなんて。
恐る恐る杯を持ち上げて、今度は慎重に一滴、ニ滴と舌へと垂らす。一瞬の冷たさの後、 ぴりぴりとした痛みが走る。
「う〜〜〜…」
飲みたいのに飲めない。おあずけされた犬はこんな気持ちなのだろうか、などと思ってしまう。
「あまり無理をされないほうが」
「うん……お手上げ。
 ん? なに?」
供案に向かっていた彼が持ってきた物は、先ほどの繊細な意匠が施された玻璃の杯とはうってかわって、 土の色そのままを残した簡素な盃。
八つほどを小卓に並べ、こぽこぽこぽと瓶から酒を注いでいく。
「舌で味わうだけが酒ではありませんから」
「え??」
八分目程まで酒を注ぎ入れると、今度はこぼさぬよう慎重な動作で運んでいく。


南の窓辺に二つ

東の窓辺にも二つ

書卓に二つ

花台にも一つ

そして、最後の一つは小卓の中央に


「浩瀚??」
不思議そうに見守る少女に微笑みかけながら、灯明から火種を取り上げ、盃へと近づけていけば、 微かな音と共に青い炎が燃え上がった。
「あ!」
五つ全てに火を灯し、今度は部屋を照らす灯明を消していく。
明かりを落とし、闇に沈んだ部屋にぼんやりと青の炎が浮かび上がり、時折微かに揺らめき動く。
「いかがですか?」
「すごい…綺麗…
 ありがとう」
傍らの気配にもたれかかるようにして礼を言えば、肩を抱き寄せられる。

「ほんとにありがと」

甘えるように身を寄せれば、肩にまわされた腕の力が強くなり



じっと見守っている内に、炎はだんだんと小さくなり、空気に溶けるように消えた―――








2003.12.10

This fanfiction is written by Yutsuki Miwa in 2003.
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

月木水羽様のサイト水上楼閣の45678ヒットを踏んで頂きました。苦労したのです。ニアピンで2回泣きましたよ〜!
でも、その苦労もなんのその! いかがです? この素敵な演出v
二人きりで眺める酒は、ロマンティックですよね〜♪

何の酒をイメージしたのですか? とお伺いしたところ、大学時代に聞いた90度以上の酒、とのお言葉で、何の酒かはわからないとのことでした。
ん、ふっふ〜♪、わかる人にはわかるっ、これはもう世界最強の酒、スピリタスしかない! ということで酒のお題をウォッカにさせていただきました。
ウォッカについては尚陽メニューでご説明済みなので省略しますが、このスピリタスは96度(98度という説もありますが、ラベルでの表示は96度とのこと)もあるのです。殆どただのアルコールですよねぇ=3
酒の蒸留には単式蒸留(ポットスティル)と連続蒸留(パティントスティル)があるのですが、単式蒸留が古来よりの方法で、醸造酒から水よりも低い温度で蒸発するアルコールの蒸気を集めて酒にするのです。これではせいぜい数回の蒸留を繰り返すだけですが、1830年にこれを連続的に蒸留する機械をアンズ・コフィーが発明しました。以降より、より強い酒や純度の高いアルコールの抽出が可能となったのです。日本では焼酎甲類と表示されます。
さて、このスピリタスはその蒸留を繰り返すことなんと70回! 普通は40度以上で十分きついです。なお、アルコール度数が60%以上の酒は法規上は「希釈用アルコール」に分類されるそうなんですが、75度以上あるラムも酒ではなく、アルコールになるのですねぇ・・・
スピリタスは通常まともには生では飲みません。(ゲームではやるが ^^;) カクテルにするんです。これで作るブラッディー・マリーは美味しいそうですよ〜!
じゃなくて、飲める閣下はバケモノだ、と思ったのは言うまでもまりません。それでも、真実味がありますよね(笑) 閣下と尚隆がスピリタス・ロシアン・ルーレットをやっても、周りにはどちらが飲んだのかわからないので賭けようがないでしょうねv(^-^)
それにしても六ちゃん、一番強い酒と言って買ってきたのか? 尚隆にも???
最後にここはウォッカらしく、月木さま、ヤー・リュブリュー・バスv
ん?スピリタスはポーランド産? ポーランドでの言葉はわからないので、とりあえずはロシア語で〜! (知っていたら、誰か教えてくださいなv)

月木水羽様のサイト「水上楼閣」へはリンク集からどうぞ。

Albatross−酒蔵別館−
背景素材:トリスの市場
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送