凍れる酒


 範国の夏は慶に比べると湿度が少なく、陽子にとっては過ごしやすかった。それでも夏は夏、暑いことに変わりはない。範国ではこの季節になると氷売りや冬華燦を扱う店が繁盛するという。他国では貴重な氷を彼らが気軽に手に入れられるのは、今の氾王の世が安定した頃に何の特産物もないこの国の民の楽しみのためにと、氷室作りを推進した結果なのですと案内役の官吏が誇らしげに説明してくれた。「原料が水ですからね。さすがにこれだけは我が国で調達できます」とも言って笑った。

 範国の首都の視察を終えて王宮の掌客殿へ戻ると政務を終えた氾王と氾麟が西園にある四阿(あずまや)で待っていた。傍らには合歓の葉がそよ風に揺れ、時がゆったりと流れているようだった。
「今日は代理の者で失礼をしたの。明日からは吾が案内をしようぞ」
「とんでもありません。わたしのためにわざわざ冢宰府の府官を案内役に付けて頂き、感謝します。おかげでとても参考になりました。この国はわが国が見習うべきことが多い。改めて氾王や氾台輔の偉大さを思い知らされました。やはり聞くことと実際に目の当たりにすることは違いますね。この国の民は自らの力を信じ、国を愛している。わたしも慶をそんな国にしたいという想いを新たにしました」
陽子の輝く碧の瞳に藍滌と梨雪は微笑んだ。
「自国贔屓が激しいとも言えようが、景王にそう言ってもらえれば案内した府官も喜ぼう。景王君は氷室に大層興味をお持ちのようだと聞いておる。明日は近くの氷室へお連れしよう」
「是非!」
陽子は石案に両手を置き、身を乗り出した。
「景王はほんに一途で愛らしい。氷室など普通の女子(おなご)にとっては面白くも何ともないところだというに」
「ええ、山の中に横屋(こや)があるだけですものね」
梨雪は優雅に指を口に立てて笑った。そして、女官が玻璃の器に入った三種類の冬華燦を運んできた。
「暑い中の視察は大変であったであろう、疲れをとるにはこれが一番じゃ」
陽子の前に置かれた冬華燦は黄色く、刻んだ鳳梨(パイナップル)や香蕉(バナナ)、草苺(いちご)、茘枝(レイシ=ライチ)が飾られており、藍滌の前には小さな緑の葉が添えられているだけの白い冬華燦、梨雪の前には薄紅の冬華燦に陽子のものと同じ水果(くだもの)が飾られていた。
「とても綺麗ですね。でも、この色はどうやって出しているのですか?蜜をかけた冬華燦とは違うような気がするのですが」
「まずは食べてご覧」
藍滌は笑みを浮かべて匙子(さじ)を取ると自身の白い冬華燦を掬った。陽子もそれに倣い目の前の冬華燦を掬って口に運ぶと碧の瞳を大きく見開いた。
「これは鳳梨と、お酒?」
「それと絞った莱檬(ライム)の汁も入っているね。口に合わなかったかえ」
「冬華燦だと思ったので驚いただけです。でも、さっぱりしていて美味しいものですね。これは鶏尾酒(カクテル)では?」
「そう、これは普通の冬華燦とは作り方が違うの。主上も最初は冬華燦で作ったのだけれど、水っぽくなるだけで美味しくなかったわ。でも、膳夫(まかない)の食材を細かく砕いて混ぜ合わせる道具が欲しいという要望に冬官が作った道具が出来上がると、主上は砕いた氷と鶏尾酒を入れてお作りになったのよ。膳夫も冬官もこんな使われ方をするとは思ってもみなかったでしょうね」
梨雪はそう言って薄紅色の冬華燦を掬って口に入れた。
「では、氾台輔の冬華燦の色は草苺のものですね」
「ええ、こちらも食べてみる?わたしも陽子のを少し頂くわ」
梨雪と陽子は互いの冬華燦を掬って口に入れて「美味しい!」と声をそろえて言うと、声を上げて笑った。
「でもね、主上のはやめておいた方がいいいいわよ」
梨雪は陽子の方に体を傾けて声を落として言ったので、陽子も声を落として訊いた。
「何故です?」
「主上のはね、わたし達の倍のお酒が入っているの。とってもきつい甘蔗酒(ラム酒)をよ!」
梨雪が声を張り上げて言うと、藍滌はくつくつと笑った。
「それはわが国の冢宰や禁軍左将軍に差し入れてやりたいですね」
「景王は臣下思いじゃ。したが、これは今のところこの王宮でしか食べられぬ。これを作る道具の手入れがとても面倒なので、余所には出せぬだよ」
「それは残念です。いつも役務以上の仕事をしてくれる彼等に喜んでもらえそうだと思ったのですが、大仰な道具がいるのであれば今の金波宮では必要なさそうですね」
「では、慶国に余裕ができる頃までにはあの大仰な道具を扱いやすいように改良させておこう」
「楽しみにしています。この鶏尾酒を王宮で食べるよりも、民が暑い夏の日に冬華燦を楽しめるようにする方が先ですから」
「それはとてもよいことだね」
藍滌の言葉に陽子は褒められた小童のように照れ笑いをし、目の前の冬華燦を頬張った。目をきつく閉じて眉間に手をやると梨雪はくつりと笑って、陽子の気をそらすように器に盛られた水果の産地について語り出した。

 陽子の側近にとって彼女以上に清しい存在(もの)はあるまいとも思ったが、それは藍滌にもいえることだった。梨雪と紅い髪の少女がこの王宮で明るく語り合っている光景は彼にとって神聖な世界でもあった。


− 了 −
This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2005.
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

ぽぺ様主催の「納涼!冬華燦祭り」投稿用SSSなのですが、冬華燦(=かき氷)というよりは、シャーベットに近いかもしれません。
冬華燦についての説明や他の作品については▼のリンクからご覧になれます。祭り会場からお越しの方はこの画面を閉じて終わらせて下さい。
当サイトの酒蔵では酒蘊蓄がつくのが恒例となっていますので、以下はお暇な方のみお付き合い下さい。

ダイキリの名称は地名から来ていて、キューバのダイキリ鉱山で働く坑夫たちが暑さしのぎに特産のラム(ホワイト)にライムを絞り込み砂糖を入れて飲んだのが始まりといわれています。これにクラッシュ・アイスとホワイトキュラソー(冷たいと甘みを感じなくなる為)を加えてミキサーにかけたものがフローズン・ダイキリです。
中国語でラム酒は音を当てた朗姆酒と書くのですが、字面がいまいちなので、原料であるさとうきびの中国語、甘蔗に酒をつけました。こちらの方が十二国記っぽいでしょ?
ちなみにラム酒のアルコール度数は35〜85度と高く、ダイキリはレモンハート・ホワイトで作るのが一般的らしいので40度、ライムジュースで割ってもワインよりも高いでしょう。ただ、冷たいとそれに気づかないのでアルコールに弱い方はお気をつけてv
ライムの最初の文字は艸(くさかんむり)に来と書くのですが、近い文字を当てさせていただきました。他の果物や匙子はそのままです。これを調べるのに時間がかかりました〜!(中国語の辞書を買おうかしらん?)

陽子が食べているのはフローズン・パイナップル・ダイキリ、
梨雪が食べているのはフローズン・ストロベリー・ダイキリ、
藍滌が食べているのはフローズン・ダブル・ダイキリで、
こちらはかの酒豪ヘミングウェイがこよなく愛したというカクテルです。
最後に、バーでこのカクテルにスプーンはつきません。ついてくるのはストローです。

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