酔う花


 十六夜に煌々と照らし出される花海棠の色はほんのりと酔った乙女の肌を彷彿させた。どこからともなく漂う藤の香は彼の人の吐息だった・・・

 園林の四阿で浩瀚は月と花を冷めた眼で眺めながら一人で酒を飲んでいた。林檎を醸造させてから、さらに蒸溜して造られた酒はその甘い芳香とは裏腹に非常にきついものだったが、浩瀚はその酒精に酔うことはなかった。
 月に小さな影が現れた。それは次第に大きくなり、形を取り始め、やがて赤い豹にも似た妖魔に騎乗する紅い髪の美少女が現れた。彼女は浩瀚の前に降り立つと、妖魔から飛び降りた。妖魔はその場に溶けて消えた。少女はその華奢な体の造りとは裏腹にその碧の瞳に強く輝く光を宿していた。そして常の通り、瑞々しい肌に黒い官服を纏っていた。
「月や花が似合う男はめったにいないだろうな」
少女がくつくつと笑って言うと、浩瀚は生気が甦った眼でいつもの薄笑いを浮かべて立ち上がった。
「主上の前では月も花も色褪せますよ」
「相変わらず口が上手いな」
紅い髪の少女、浩瀚の主でもある陽子はなおも笑って言った。
「またいつぞやのように、ひと月以上も待たされるのかと思いました」
陽子は浩瀚の視線から逃れて横を向いた。
「務めが忙しかったのはお前も同様だったはずだろう?」
「それでも落ち着いてから幾日かは経っております」
陽子は言葉に詰まって上眼使いで浩瀚を見た。
「祥瓊や鈴と約束があったんだ」
「祥瓊は何と言って貴方を引き留めていたのです?」
「こういうことは焦らした方が楽しい」
陽子が俯いてぼそりと言うと浩瀚は溜息をついた。
「貴方が未だにお辛いというのであれば無理に来ることはないのです」
浩瀚は陽子に背を向けて座った。陽子は唇を強く引き結ぶと浩瀚の傍らへ歩み寄った。そして、石案にある酒杯に眼を留めてそれを取り上げ、口に含むと眉を顰めた。
「香りは甘くても味はそうでもないんだな。随分きつい酒だが、旨いのか?」
陽子の問い掛けに浩瀚は口元で笑った。
「仕方がないでしょう。簡単に酔える酒はそれしかなかったのです。それでも貴方に遠く及ばないと思い知らされるだけでしたが・・・」
陽子はくつくつと笑って浩瀚の膝の上に腰を下ろし、手を浩瀚の肩に置いて浩瀚の眼を覗くと首を傾げた。
「まさかとは思うが、拗ねているのか?」
「その通りですよ。一人で寝ていることが耐えがたくて、ここで酒を飲んでいるくらいですからね」
陽子はその華奢な手で浩瀚の顔を覆うと軽く口づけ、ほっそりとした腕を浩瀚の首に巻き付けた。浩瀚は紅い髪を指に絡めて小さな頭を抱え、もう片方の手は背中に這わせて、陽子の柔らかな胸を自分に押しつけた。耳元を掠める甘く熱い吐息が心地よかった。
「ごめん、本当はもっと早くこうしたかった。お前に抱き締められるのも、触れられるのも気持ちが良くてとても好きだよ」
浩瀚は背中に回していた手を陽子の胸の膨らみに置き、ゆっくりと指先に力を入れた。
「こんな風に?」
陽子は俯いて胸を掴んでいる手の上に軽く華奢な手を乗せた。
「うん。でも、まだわたしはここの風景を眺めていないから、ね?」
浩瀚は自分の手の上に重ねられた手を取り、その細い指先に口づけると、陽子の碧の瞳を見つめた。
「わたしは触れて愛でられない花や月を眺める趣味はございません」
陽子はくつくつと笑うと、首を巡らせて四阿の傍にある木に眼を留めた。
「ここはこんなに綺麗なのに?その木の花は桜に似ているけど、桜の時期は終わっていたはずだよな」
「花海棠もしくは酔花とも言いますね。よく酔った美人に例えられます」
「確かに綺麗だけど、どうして酔っているんだ?」
「それをお知りになりたければ、主上に酔って頂かなくてはなりません」
浩瀚は陽子に笑いかけると手を差し出した。陽子は流麗な弧を描く眉を顰めた。
「あんなきつい酒を飲むのか?」
「飲みやすくして差し上げます。さあ」
陽子は渋々石案の上にある酒杯を取り上げて浩瀚に渡した。浩瀚は酒杯の中身を口に含むと、酒杯を石案に戻した。そして、陽子のなめらかな頬に手を添え、僅かに開かれた瑞々しく弾力のあるその唇を捉えて口に含んだ酒を流し込んだ。陽子の喉が上下に動いて酒を飲み込んだことを確認すると香りの移ったその口の中を舌で味わい、舌の上でとろけそうな感触を何度も確かめた。今まで飲んでいた酒の酔いが一気に体中を巡り、下肢から熱が込み上げてきた。陽子の頬にあった手をゆっくりと胸の膨らみまで這わせ、その胸が自分の息を含んで大きくせり上がると唇を解放した。陽子は息を吐き出すと片手を抜いて髪を掻き上げた。
「さっきよりは飲みやすくなったけど、酒が一気に体中に広がったみたいだ」
浩瀚が陽子の頬を軽く撫でると陽子は頭をその手に預けた。
「今の貴方の頬は海棠の花と同じ色ですが、全身を染めなければ貴方にはおわかりにはなられませんでしたね」
浩瀚はさっと石案の酒杯を取り上げて口に含み、再び陽子の顔に覆い被さった。片手で陽子の肩を抱き、もう一方の手で陽子の両脚を椅子に抱え上げてから、袍の袷を左右に大きく開くと襟元からなめらかな肌に手を這わせていく・・・。
 月明かりの下、触れられていく肌から次第に海棠の花の色に染まっていった。


− 了 −

This fanfiction is written by SUIGYOKU in 2002.
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

カルバドスはシードルから造られるブランデーですが、実はフランスのカルバドス地方で造られたものに限ります。その他はアップルブランデーと呼ばれるわけですが、香りと味はカルバドスを意識しているので敢えてカルバドス編とします。
りんごはなんとなく背徳的で色っぽかろうと単純に思ったが故の選択です。
海棠は酔っぱらった楊貴妃に例えられるそうです。花言葉に「艶麗」や「美人の眠り」という言葉がありました。ちなみにバラ科りんご属だった・・・
藤の花言葉は「乙女の真心・乙女の純潔(!)」とか、「恋に酔う」でした。

−制作裏話−
月と花と酒と野外で陽子さんを愛でてみたいと妄想していた処、森屋さんの桂花陳酒がアップされ、すっかり満足してしばらく放り出していた作品です。
それにしても夜の花の香りって凄く艶めかしいですよね。生き物と同じ酸素呼吸をしているだけあって、吐息のようです。←これを変態というのでは?
何故カルバドスを選んだのかというと、体温で暖められて飲みやすくなるのはブランディ、しかしそれでは演歌だよ、ということで林檎のブランディにしたわけです。とことん脳が腐ってます ^^;)


Albatross−酒蔵別館−
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