Illustrated by Mizunashi Mina in 2004.





散る花の如く

 玄英宮の雲海を降ろせる丘には大きな桜があった。その桜は柳のような枝にびっしりと花を咲かせていた。延王尚隆はその木の下に胡座をかいて座っていた。傍らには一升瓶の酒、片手にはこちらでは見かけない杯があった。
 桜に惹かれてやってきた陽子はその木の下に尚隆を認めると足を止めた。そこにある世界は常世ではなく、ましてや陽子の知る蓬莱でもなかった。
 陽子は背後から近寄る気配に振り向いた。そこには金の髪の少年が真摯な瞳をしていた。その少年六太が静かに横に首を振ると、陽子は頷き、六太と共にその場を立ち去った。

 時は天文十九年の春、小松三郎尚隆は城に戻ると父親の部屋へ向かった。父親は公家風の美々しい身なりに整えている処だった。
「今回は観桜の宴を忘れていなかったようだな」
父親は優雅に笑って言った。
「いいや、忘れておりましたよ。それよりも村上武吉が能島に戻ってくる。奴は大内派だ。奴らがここを攻めてきても大内は当てにはできん。城の背後を固めておいた方がよくはないか?」
父親はくつりと笑った。
「これから畑に手がかかる時期だ。当分は来ぬ」
「中村に農作業などは関係ない!」
「だが、大内も尼子も農繁期に入る。河野もな」
「このまま何もせずにいるつもりではありませぬな?」
「今すぐということではないと言っておる」
尚隆はすっくと立ち上がった。
「城の背後を固めるだけでも早急に対応をしておいたほうがいい」
「観桜の宴は?」
「城下の連中と酒盛りをしているほうが、俺には合っております」
尚隆は襖をぴしゃりと閉じて、父親の部屋を出た。

 園庭に向かう回廊では澄ました出で立ちで優雅に歩く二人の女に会った。一人は尚隆の北の方、もう一人は側室の一人だった。二人は楽しそうに笑いながら話していたが、尚隆を認めると足を止め、眉をひそめた。尚隆は女の頤を捉えると口の端に笑みを浮かべた。女は眼を見開いて怯えていた。
「この器量じゃ大丈夫だな」
言って、尚隆はもう一人の女の頤も上げさせた。
「あんたもな」
「無礼は許しませぬぞ!」
側室が尚隆の手をぴしゃりと叩くと、尚隆は両手を軽く上げ笑って見せた。
「そうそう、その調子だ!海賊は気の強い美女が好きだからな。覚えておくといい」
「何を言っているのです!」
女二人は抱き合って叫んだ。
「小松が滅びたら、そなた達は中村のものになるということだ」
「その時が来たら、わたし達は殿と運命を共にします!」
尚隆はくつくつと笑った。
「命がかかったら、その決意も変わる」
そう言うと、笑いながら女達に背を向け、立ち去った。

 尚隆は小松の領土と瀬戸内を見渡せる山に登った。頂上から海側の崖下を覗くと、そこには柳のように枝垂れた枝に淡い紅の花を無数に纏った桜の木があった。尚隆はその、崖の頂上から一段下の岩棚から岩肌に寄り添うように幹を延ばした桜の木の根本に降り立った。懐から杯を取り出し、腰の酒を注ぐと、桜の根本に垂らした。再び杯に酒を満たすと、今度は自分の口に当てて一気に飲み干した。
「お前とこうして酒を飲むのも今年が最後だ」
尚隆は枝の一本を手にとって話しかけた。
「大内義隆に小松が村上の手に落たら、奴らは瀬戸内に関を張れる。そうなったら、村上はどこと手を結ぼうが自由になると言ってやったんだが、村上武吉は総領になってまだ日が浅いからそれはない、と一笑に付された。義興だったらまだ話はわかったんだがな。義隆は親父と一緒で遊興に耽り、戦には興味を示さん」
尚隆は人事のように語って、杯に酒を注ぎ、地に垂らし、再び注いでは酒を呷った。眼下にある建物の中には誰がどんな暮らしをしているかを尚隆は知っていた。
「もう少し時間があれば皆で海に逃げることも出来たんだが、仕方がないな」
尚隆は桜の幹にもたれかかり、眼を閉じた。

 尚隆はゆっくり眼を開けるとくつくつと笑った。
「どうやら、おれにできることは一人でも多くの小松の民を逃がすことしかないようだな。そのために刹那の先でも生き延び、村上の連中を斬る」
尚隆は静かに言うと岩棚に胡座をかいて座り、杯に酒を注いで桜の根本に振りかけた。自分の為に酒を酌んであおると今度は胃の腑に落ちた酒精が体中を巡り始めた。そして、木肌の香りが爽やかに口中に拡がった。
「こいつは旨いな。親父の趣味はいただけないが、この西宮の酒だけはいい」
そう言うと尚隆は桜と自分に酒を注いであおった。
「地獄にも桜が咲くなら、来年は親父に付き合ってやるか」
尚隆は口の端で笑うと海に向かって静かに舞い散る桜の花びらを見送った。

− 了 −
2003/09/05

みずなし水無様のサイト雪月ふくろう庵での配布作品に杯を持つ尚隆があったので、酒蔵用にもらってきてしまいました。で、わたしの持つ小松尚隆のイメージに合うもので駄文もつけてみましたが、年号は適当なのであまり信じないでください。しかも、完全に時期はずれです。
今回頂いてきた絵はモノクロですが、みずなし様の絵はバックも華やかで美しいのです。是非是非ご堪能あれ!

そして、恒例の酒蘊蓄です。現在の日本酒の醸造技術の基本は戦国時代まで遡るそうな・・・
ちなみに、樽で酒を造るのもこの頃から始まっています。
戦国時代の酒好きの公家が書き残した記述にあったという酒の中で「西宮の旨酒」が一番瀬戸内に近かったのですが、西宮は現在の灘三郷のひとつで、そこで造られた酒は「灘の酒」と呼ばれています。そして、灘の酒は香味、舌触りが荒々しく押し味があって、腰が強いことから男酒とも呼ぶのです。尚隆には合うでしょ?
わたしが知る灘の酒は剣菱なのですが、この酒実は日本酒が苦手だったわたしが初めて一升を空けてしまった酒なのですよ(笑)
野郎二人とわたしの三人で一晩で一升瓶が五本空いたから、確実に一升は飲んでいる・・・
話はそれましたが、日本酒で特筆すべきはそのアルコール度数でしょう。醸造酒のアルコール度数はビールで最高9%、 ワイン14%、そして日本酒は19%と世界最高水準で、これは日本の発酵技術が優れているからなのだそうです。

みずなし水無様のサイト「雪月ふくろう庵」へはリンク集からどうぞ。

Albatross−酒蔵別館−
背景素材:トリスの市場

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