モスコミュール〜モスクワ騾馬の一蹴り〜


 それはちょいと昔のこと。
 恭国供王珠晶が登極して数年が経った。女王の年齢が若いことを懸念し不安を訴える声もあったが、まだこの時は王を取り囲む霜楓宮内の問題。国の陰陽を調え八卦を律し、正しく四時を廻らすという王を迎え、民は妖魔の襲来が絶えたこと、洪水旱魃といった天変地異が納まったことを歓迎していた。
 供王が即位し長く空位が続いた恭国も国として認められると、他国と正式に国交を結んで遣り取りできるようになる。供女王は大国奏国の後ろ盾を得ていたから、南方からの物資も盛んに入ってくるようになった。“南方の人々は船を能くし、北方の人々は馬を能くする”と語られるが、恭国の港には奏国の船がよく入ってくるようになった。
 奏国は造船技術も航海技術も十二国一。大きな宗船が遣って来ると、恭の港にはたちまち人が集まり市が立つ。船団が遣って来れば、祭りのような騒ぎとなる。港から王都連檣へ、更にその先へと物資を運ぶ馬車が続くことにもなる。

 その日、奏国からの船団が入りY港は大賑わいだった。
 Yから連檣までは整備された街道が続き、交通の便もよい。奏から宮城に届く多くの物資がY港で荷揚げされて、陸路連檣まで運ばれるのだ。南国の絹や綿織物、香辛料や染料に香油。茶や落花生、巴旦杏。その上、干した葡萄や杏、棗椰子といった恭国では栽培できない珍しい作物が入ってくる。
 奏国と恭国できちんと取り決めがされているらしく、人気のある商品がやたらに高値で取引されることはなかったが、国外から来るよい商品は直ぐ品薄になる。手に入れるのは交渉の早さが勝負。だが間違っても粗悪品は掴まないぞと、港に集まる人々の意気は盛んである。なんといっても恭の民は好奇心が強く、新奇のものを拒まないが批判もする。精神は柔軟だが目は厳しい、女王によく似た国民性なのである。

 その国民性を代表する少女は、従者を一人だけ連れてY港に立った市を歩きまわり、物見高い人々で賑わう波止場の露店にまで足を伸ばしていた。荷揚げは終わり、大口の取引商品はすでに配送されたらしく、馬車の往来は無くなって、艀舟(はしけぶね)は中途半端な量の荷物をのせて停泊してる。いくつもの小舟からは陽気な売り声が響き、その場で商品を売っている。人々がそちらへ引きつけられると、今度は露天商たちが負けじと鉦や太鼓の囃子を入れて、売り声を張り上げる。

「――この春、才国深山で取れた茶だよ。朝に取り、即ち炒り、即ち広げて湿りに乗じて之を揉み、焙炉の火にて焦がすことなくあまねく乾かす新製法。淹れるのは簡単な上、5斤で団茶1斤の安さだよ!」
「――範の銀細工は如何です。朧銀の杯、象嵌の美しい水差しも御覧あれ」
「――白檀の扇、丁子油ならこちらです。乳香に没薬。珍しい麝香もありますよ」
「――特級品の落花生。炒ってよし、練ってよし……」

 波止場の先にひらけた場所があり、禽獣用の囲いが張られ、そこに獣たちが集められていた。奏船は黄海から突き出た才国艮県にも寄港して、騎獣や黄海にいる珍しい鳥も運んできたらしい。さすがにその辺りは人込みも途切れ、一仕事終えた河岸人足たちが、軽食の屋台のまわりでのんびりと休息している。

「見つけた!やっぱり来たんじゃない!」
 珠晶は親しい朱氏の友人の姿をみつけ、嬉しげに声をあげ、男の名を呼ぶ。
 呼ばれた男は弾かれたように反応し、珠晶を見つけるとゆっくりと近付いた。珠晶の眼を見て少し微笑むと、連れの従者に頭を下げて挨拶する。
「供に台輔だけどは、随分と無用心じゃないか」
「もう頑丘と一緒なんだから、大丈夫よ」
 屁理屈に男が眉を顰めたのをみて、軽く笑う。
「心配しないで、ちゃんと離れて護衛もいるし、使令だって付いているわ。わたしにだってちゃんと自覚ってものがあるんだから、利広みたいに一人でふらふらなんて絶対にしてないわよ」
 そうでしょ、と言い添えて従者を振り返ると、恭国麒麟はにこにこと微笑み返す。あてにならねぇなぁ、と頑丘は呟いたが、珠晶は聞き捨てる。丁度その時、黄山の旅を共にした頑丘の騎獣が少し離れて木陰に繋がれているのが目に入ったのだ。

「こうやもごきげんよう!元気だった?わたしの一番の護衛さん」
 珠晶がやさしく声をかけると、駮は、ふぅ、と鼻を鳴らして歓迎の意を現わした。
「―――それで、利広も着いているのよね。彼が奏の商船で来るって、誘ったくせに何処に行ったのかしら」
「あいつは少し前まで居たんだが、船でなにか問題があったらしく、そっちへ行った。もう、直ぐ戻ってくるだろう」

 二人が話していると、傍らの広く開いた場所に屋台車が引かれてきて、店の体裁を整えだした。なにやら作物が入った木箱が積み上げられていく。それが終わると果実の詰まった箱が運び込まれ、すぐに大きな竹籠に中味が開けられる。現われたのは鶏卵ほどの大きさの、真ん丸く緑色の果実。とたんに柑橘系の爽やかな芳香が漂い、さらにそれを搾り出したので辺りは甘酸っぱい香に満たされた。

「やあ、おそろいだね」
 いきなり現われ、声をかけたのは奏国の太子で字を利広。珠晶の昇山の旅で出会った友人の一人で、大概は太子の身分を伏せ、さまざまな土地を渡り歩いている風来坊である。奏船には乗員の一人として、お忍びで乗りこんだらしい。別段そのまま太子として来たところで構わないし、むしろ太子が船で訪問したとなれば宣伝効果もあるのにと、珠晶は思うのだが、利広によると彼の主義に反するとらしい。
 だって、一々一国の太子として歓迎してもらっていたら、王宮の方々に気を使って頻繁にこれなくなるだろう。などと尤らしく言うの友人に、来訪の頻度によって歓迎のやりかただって変わるわよ、と珠晶は反論した。だが、結局彼の理屈を受け入れた。珠晶だって王宮をお忍びで出るには、大国の先例がある方が遣り易い。

「じつはちょっと、問題があってね。持ってきた生姜の取引が止めになって、生姜が大量に余ってしまったんだよ。こっちじゃ、日常的に生姜は使わないものなんだね。全く誤算だ。このままじゃ大した損失だよ」
 利広はさも深刻そうな物言いをしたが、それほど気に病んでいる様子でもない。
「それで思ったんだ。恭国では今まで使っていなかったような使い方を教えてあげれば需要は各段に多くなる。だからここで一つ面白い生姜の飲み物を紹介しようと思うんだ」

「あれはそれに使うのね」
 珠晶は小さな緑色の柚子のような果実を指差した。
「ご明察!あの橘柚(きつゆう:柑橘類のこと)は宗王が路木に祈り、得られた果実さ。妹がとりわけこの果実を気に入ってね、いろいろ調べていたところ、蓬莱によく似た果実があって“らいむ”と呼ばれることが分った。酸味が強くて皮にえぐみがあるので、そのまま食べるのには適さないけど、料理にそえたり酒に入れたりするには最適なんだ。それだけじゃない。“らいむ”は身体によくって、毎日食べれば風邪知らず。長期間航海する船には必ず乗せて、船員の健康管理の切り札になっているんだよ。長期航海特有の病気にはとてもよく効く。今じゃ、“らいむ”のない航海なんぞは考えられない。そんな大事な果実なんだよ」
 利広が自慢気に説明していると、屋台の前に大きな水瓶が5,6個並べられた。水瓶にはしっかり封がされていたが、並べた端から口の覆いが外され、封印は取り除かれ、蓋が開けられる。
 その様子を見ていた利広は、今度こそ心配そうに呟いた。

「――さて、いよいよ開封したな。美味く出来ていればいいけど……」
「あら、あの瓶になに珍しいものがあるの?」
 蓋が開かれてしばらくすると、橘柚の爽やかな香りを押しのけて、奇妙な匂いが漂ってきた。駮は不信気に首を振る。それまで黙っていた頑丘は、利広に分かったぞ、というような視線をおくる。
「――酵母で発酵させ酒を造っている匂いだな。察するに南国でよく聞く“生姜酒”ってヤツか」
「なんだ、頑丘は知っていたか。それじゃぁ、折角だから作り立ての“生姜酒”。それも特別処方(レシピ)のをご賞味いただこうかな」
 言って利広は屋台へ向かう。珠晶が付いて行こうとすると頑丘は押し留める。
「待て、生姜酒といってもあの瓶の中味は生姜と砂糖を発酵させた発砲水だ。発酵はかなり進んでいるだろうから、悪くすると瓶が爆発するぞ。全部の蓋が開くまで近付かない方がいい」
 言った途端。
――バン! と音がして、瓶の蓋が吹き飛び、瓶口が割れて生姜酒が溢れ出す。

 屋台で作業をしていた人々は、慌てて割れた瓶から避難するも、大笑い。どうやらよくあるトラブルらしい。そうしているうちにも、手桶を持ってきて生姜酒を片付ける者、“らいむ”と呼ばれる橘柚を絞る者、その上何処からか酒樽を運び込む者が入り交じり、屋台の回りは賑やかだ。
「――そっちの瓶は大丈夫か?」
「――火酒が届いたぞ、どこへ置く」
「あーあ、この果実は半分くさっていやがる、こりゃ別にしとけ―――」

「まったく、災難はどこからやってくるか分らないよね」
 手伝い連れで戻ってきた利広の手には二つの高杯。
「割れたのが一つでよかったよ。まずまず良好な成績だな。珠晶は火酒入りでも大丈夫かな。台輔は火酒入りじゃない方がいいのですよね」そう言って一方を珠晶に差し出す。
 そうしているうち頑丘や供麒にも高杯が回り、四人は一緒に杯を傾けた。
「かわった風味だ。けれど火酒によく合って、病みつきになるヤツもいそうだな」
 売れるかな、と利広が問うと頑丘は目で笑って、一気に飲み干す。
「生姜がピリッとして、甘酸っぱくて、すっきりしているのね。でもちょっと火酒がきついわ」
「主上、よろしければわたくしのをどうぞ。こちらはお酒が少なく穏やかなようです」
 供麒はいそいそと自分の高杯を差し出す。
「ありがとう。火酒入りだから酔っ払わないように気をつけてよ。あなたはけしてお酒には強くないのだから」
 お流れ頂戴となった、供麒は嬉しそうに珠晶の杯を受取り、ちびりちびりと飲んでいく。珠晶はちょっぴり供麒の酒癖が心配である。おおらかで優しい麒麟は、酔っていていてもよく分らない。

「どうだい、珠晶。火酒入りでなくとも結構美味しいだろ。なんたって生姜の風味と“らいむ”の酸味が絶妙だと思わないか。まったく新しい味だろう?これは才でも範でも流行になったんだ。御覧、みんな気に入ったみたいだ」
 いつのまにか屋台では同じ様に飲み物が配られて、たむろしていた河岸人足たちは陽気にはしゃぎ、市の客もそれに引かれて集まってくる。またたく間に屋台の前には列ができるほどの盛況振り。
「―――たしかに売れるかもね」
「そうだろう!一つ試しに、あの木箱の生姜すべて引取ってくれないか?いや、値なんて気持ちで充分」
 利広は、首を傾げる珠晶に向かって、もう一押し。
「それに、生姜と“らいむ”は獣に精力を付けさせるのにもいいんだよ、本当さ!生姜は身体を温めるからね。ほら、ごらん。駮だって食べてくれる」
 さっきの生姜酒が入った手桶に、絞り粕なのかぐしゃぐしゃになった果実入れられ利広に手渡された。利広は木陰に立っていた駮の鼻頭らに、そっと桶をあてがう。頑丘が利広の行動を認めていることを確かめながら、軽軽しいようで注意深く駮に与える。四人が見守るなか、駮は素直に食べ始めた。

 それを見て頑丘は緊張を解く。それを見て珠晶はすこし感心した。それを見て供麒は嬉しくなった。そして頑丘は癖がつくといけないから、少しで止めるよう利広に申し渡す。珠晶は駮の首をなぜて誉めてやる。
 ところが酔いの回ってきた供麒は、自分も駮を誉めてあげようと、尻をなぜた。

 頑丘も利広も、珠晶でさえも駮の前面に気を取られ、供麒の行動にまで気がまわらなかったのが不幸であった。桶には手違いで、火酒が混じっていたことも不運であった。

 少し酒が入り、その上尻をさわれた駮は両脚揃えて、見事な後ろ蹴り一発。
 あわれ供麒の身体に一撃が及んだかに見えた。
 しかし、そこは酔っても麒麟。軽い身を軽くかわし、駮の両脚をぎりぎり避ける。
 ところが大変、駮の脚にある太く鋭い蹴爪には思い至らなかったか、蹴爪に長衣を捕えられて振りまわされ、大柄なのに軽い身はそのまま天へと放り上げられる。

 駮に蹴られた弾みで、空高く舞い上がった供麒の着物の帯が解けた。
 ばさっと、音がして長衣が空中に広がっり、そこから現われたのは、美しくも尊い神獣の麒麟。
 酔った供麒は、空中に浮きあがった途端本能のままに転変した。その上、大衆行き交う賑やかな真昼の港町でもなんのその、神獣姿のままに空を翔ける。体勢を立て直して、港上空をぐるりと一周した後に、最愛の主の御前に降りたって、ぴたりと控える。

 麒麟に気付いた街の人々は、驚き慌てて追いすがり広場には瞬く間に人垣が出来た。利広と頑丘は慌てて長衣を拾い、披巾を広げて、衆目から供麒を隠そうとするが、酔った供麒は怖いものなし。二人を一瞥で制すると、驚く珠晶の前で前脚折って叩頭する。
 ふらつきながらも立ち上がって一言。

「まこと、駮の一蹴りは、よく効きまする!」

 供麒の声は美しく朗々と響き、衆人皆謹聴する中、広場の外の人々にも届くほど。

「嗚呼、主上。生姜酒(ジンジャー・ビア)は麒麟(キリン)に限ります!」
 とは言ったとか、言わなかったとか。

「まったく、災難はどこからやってくるか分らないよね」
 この話を語るとき、利広はかならずそう言い添える。


− 了 −
This fanfiction is written by AKAINU in 2003
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

<赤狗様のコメント>

表題のカクテル《モスコミュール》とは、モスクワ(モスコ)の騾馬(ミュール)だそうです。
モスクワの騾馬の一蹴りのように、ガツンとくる味だというけど、如何でしょう。
“モスクワの騾馬”には頑固者という意味もあるそうですが、カクテルの味わいは特に頑固者って感じはしないので、“一蹴り”の方でいってみました。

ちなみに某メーカー@キリンはジンジャー・ビアを出してなかったはずです。ジンジャー・エールもなかったはず。
赤狗は手作りのジンジャー・ビアって飲んだことありません。手作りじゃなくても飲んだことないかも。
ジンジャー・エールはよくあるけど、ジンジャー・ビアはないですよね。
う〜ん、SS書いたらなおさら飲んでみたくなりました。

《モスコミュール》
ウオッカ    45ml
ライムジュース 15ml
ジンジャー・ビア適量
(ジンジャー・エールも可)

《ジンジャー・ビアの作り方》
1 ペットボトル(2L)に、砂糖(カップ1杯弱)とイースト(小さじ4分の1〜2分の1)を入れる。
2 すり下ろしたショウガを大さじ2杯分、レモン1個分の絞り汁を1)に加える。
3 そこに水を半分くらい加え、蓋をしてしっかり振り混ぜて砂糖を溶かし、残りの水を加える。瓶の口から1インチくらいは空けておくこと。
4 室温で発酵を進める。25℃くらいの室温なら、24時間程度で出来上がる。

<管理人の蛇足>
赤狗さん、6周年お祝いSSSをありがとうございますv
十二国記のように国毎の特色があるファンタジーには交易の場や航海、国境越えというのは必須アイテムだと思うのです。
それに酒がつけば最強(^◇^)!←管理人の独断と偏見デス
この作品を読んで、頑丘キターーー!!!と喜んだのはわたしだけではありますまい。
さらには駮の更夜まで活き活きとご登場とは、さすがわ赤狗さんなのです。
航海とライムの組み合わせもニクイし、巴旦杏と葡萄は奏、杏は才で棗椰子はきっと漣からに違いない、と勝手に妄想しています。
各国の酒事情を考えるには農産物事情から考えなければならないですからねっv

酒薀蓄は赤狗さんが語ってくれたので、酒の思い出などを・・・
それにしても、モスコミュールとは、またお懐かしいv
わたしは20代前半まではビールが飲めなくて(チューハイは未だに駄目)、友人が代わりにと教えてくれたのがこのモスコミュールでした。かつてのわたしのビール代わりですね。
ジンジャー・ビアは作ってみようと思ったのですが、2Lを飲みきる自信がなくて根性なくも断念しています。
でも、お台場合衆国のめちゃ畑牧場のレストランで飲めました。ジンジャーが利いててカナダドライのジンジャーエールよりもフレッシュでおいしかったですよ。
イベントの最終日間近に行ったのでご紹介はやめておいたのです。もちろん、原寸大ガンダムもその日に見に行きましたv
あれでモスコミュールを作れば、利広の作ったカクテルになるのですね☆


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