ダイキリ〜我らが日輪は蘇る〜


 範西国の南、Zにその鉱山はあった。連なる山の地底には国一番の赤鉄鉱の鉱床が眠っていたが、この赤い竜を掌中に納めようとする者は未だなかった。玉や鉱石の乏しい範国では極めて貴重な存在だが、この頃は中央からは見向きもされず、土着の山の民たちが乏しい設備と道具で主に砂鉄を掘り出し、そこからできる良質な鋼は戈剣や城砦の設備に使われた。
 Zの山々には長い年月のうちに幾筋もの坑道が掘られていた。山には所々に天然の洞窟があり、そこに坑道が至れば食事や寝止まりのための仮小屋が作られ、更に深く掘り進められた。Zの民たちは山に篭り地下を掘る。仮小屋は屯所になり、集落となり、やがて地底の廬(むら)となる。人々はそこに泊まり、ときどき地上に出ては外の世界が存続していることを確かめる。
 地下の世界には危険が多い。岩盤の崩落、有毒な瓦斯。暗闇の世界では、自分たちの安全は自分たちで守らなければならない。坑道に役人が入る事はまれだ。州府や国は地上の暮らしを守ってくれる。しかし、その力は地下に広がった世界には及ばない。但し、いい事もある。たとえ政が乱れても、元々独自に生きるZの山の民には、影響が少ない。租税や夫役の追加といった犠牲を強いられることが比較的少ないのだ。

 王が倒れ十余年の空位の後に、新王が立った、との知らせがあった。
 州城には麒麟旗が掲げられ、人々はこれで暮らしむきが良くなるだろうと喜び合った。その期待も溜息に変わった、ある年の夏。Zに都からの来訪者一組、若い男と幼い娘がやって来た。

 呉珂が彼らを見かけたのは、州侯の一行がZの官府に現われたときが最初だった。呉珂は少壮の男である。役人ではないが、鉱山の仕事に詳しく、山の民たちの中では顔役で、主幹となる坑道を仕切ってきた。いつもは地底の宿舎で暮らしているが、官府に呼び出されたり、訴訟を上げたりすることも多く、街まで出かけることも度々である。その日もZの官府に込み入った用があり、早朝に出かけて暗くなるまでかかってしまった。
 日も暮れて帰る頃、隠れるように官府に入ってきた華軒があった。不思議に思い、見るともなしに見ていると、降り立ったのはこの州の州侯と子供の手を引いた長身の青年。子供と青年はすっぽりと頭巾を被っていたが、呉珂の眺めていた場所からはその美しい容貌が分った。

―――おやおや、あのくそ真面目な男が、愛人連れでやって来たのか。めずらしいこともあるものだ。

 なにやらいわく有り気である。呉珂と州侯の間には身分の隔たりがあるが、既に故人となった祖父と州侯は同じ廬に育った親友であり、呉珂とも肝胆相照らす仲である。州侯の気質は知っている。愚直なほどに真面目な男なのである。それが幸いして、先王に不信の念を抱かれることなく、王が倒れるまで生延びる事ができたのだ。
 新王が登極したと聞いて州侯はすぐさま中央に赴いたが、暗い顔をして戻ってきた。それからも王宮との往復を重ね、どうやら疲れ切っているらしい。呉珂は噂を聞いて心配していたが、声をかけて煩わせてはいけないと、一瞥のみで引き下がった。

―――あの若者は何者だろう。
 あの様子はいかにも高位高官の愛人といったところだが、侯に同性を愛する嗜好はなかったはずだ。むしろ愛人を装って、こっそり連れてきたといったところか。なにかきな臭いぞ。どうやら新王と王宮も上手くいっていないようだ。謀反だ反逆だと、王都は揉めていると聞く。再び国が乱れることがなければいいが。
 呉珂は友人と自分たち山の民の為に心配した。

 そんなことを考えながら鉱山に戻った数日後、件の青年が地下にやってきた。今度は前の小奇麗な嬬裙をうち棄てて山の民と同様の質素な服に変わっており、落ち着いた地味な雰囲気を漂わせ、一見、普通の男とかわりなく装っている。しかし眼光鋭く、端正な容姿ながら愛想のかけらもない。
 男は地底の廬にある会所に泊まり毎晩隣接する酒廬(さかや)で呉珂たちに酒を出した。気の荒い酒廬(さかや)の親爺は男にひどく丁寧で、むしろ恐れてさえいるようだった。男が会所に住むようになってから、呉珂たちと親交を持たないような身分の高い人々が頻繁にやってくるようになった。呉珂が州侯と親交があるのは例外中の例外といえる。呉珂の元には州侯から手紙があり、男とは穏便にやっていくよう、気の荒い鉱夫たちと衝突しないよう宜しく頼むと書かれていた。

――あの方は我らにとって大切な方なのだ。今は真実を明かすことはできないが、俺を信じてお守りして欲しい。
 州侯の憂慮をよそに、男は鉱夫たちを上手く手なずけていった。酒を出すにしても、愛想など全くない。だが、酒の扱いは上手く、火酒に果汁を合わせた洒落た飲み物を提供して彼らを喜ばせた。

「――美味いよなぁ。あんたが酒を混ぜ合わせる、あの容器に不思議があるんだろう」
 そんなものはないさ、と男は返す。
「いや、あるな。だが容器じゃなくて、振り混ぜるときのあの動作だ。あれが安酒を逸品に変えるんだ」
 はじめて男はニヤリと笑う。
――安酒などと自分で言って、甘く見てはいけないね。
「そうさ!この酒は最高さ!鉱山の仕事はきついもんだが、終わりゃぁこれが待っていると思えば、張り合いがでる」
 調子よく杯を上げて飲み干す鉱夫に、男は二杯目をつくってやる。
「なぁ、兄さん。この酒にいい呼び名はないもんだろうか」
「ついでに鉱山の呼び名もつけてくれよ。この山には名前もないんだぜ」
 男は流れるような手さばきで、次々に酒を作っていく。砂糖黍の火酒に、砂糖を少し、果汁を加えて容器で振り混ぜる。合間に酒と鉱山の名を告げたようだが、大勢の声に掻かき消える。

「――ああ、最高だ!もう一杯!」
「――おい、こっちにも、もう一杯!」

 男の所為で酒廬(さかや)はいつも満員である。
 地下に暮らす鉱夫でなくとも、男の酒を飲みにわざわざやって来る者もいるのだ。高位高官でも忍んでやって来るらしい。昨日は某下士と仲間たち、その前は某士大夫が来ていたぞ、などと人々は我ことのように自慢する。
 人が集まり酒が入れば話もはずむ。陰気だ、地味だ、無教養で面白みがないなどと言われる山の民たちもなんとなく活気付く。その日も昼間から酒廬は満員。活気付いて今まで話題にしなかった事まで、話にのぼる。

「――だから、言ってんだ。才や恭では砂鉄じゃなくて石から鉄を取り出すのがあたりまえなんだ。わざわざ苦労して砂鉄の層を探らなくても赤い岩ならそこらじゅうにある。そんな技をおぼえりゃぁ、俺たちは楽になるんじゃねぇのか」
「お役人が世話してくれなきゃ出来ない事だろう。だれが教えてくれる」
 まわりの者は、至極もっともだと頷いて同意する。しかし、言い出した男の意見を支持する者もいるらしい。
「あの兄さんも、安酒などと自分でつまらないものにするなと言ったじゃねぇか。頭からあきらめることじゃない、探せば教えることの出来る人間はいるんじゃないか」
「そういえば、朱旌たちが言ってたぞ。新王が立ったってことは、才や恭、奏からだって人が来ることになるのだそうだ。都の連中は知らなくとも、ここの鉱山には赤い竜が眠っていると、遠い才では有名らしい。だから才から鉱山技師もやって来るんじゃないか」

―――噂では新王が立ったものの、偽王であったと聞くぞ。

 よく通る、冷たい声が響いた。誰だと、見ればあの端正な男。酒を合わせる手を止めることなく、人々の騒がしい会話を止めた。
 居合わせた呉珂は、はっとする。なぜなのか、酒廬には今までになかった緊張感が漂っている。
 集まった者たちの腹にはなにか熱いものが溜め込まれていて、それが噴出しかねない危うさがある。

「そんなことは知らねぇな。偽王ってのがいるのかもしれない。だが王が蓬山に行って天から位を受けたってのは確かだろう」
 呉珂は、ようよう冷静を装い、抑えた声で答えた。

「―――そうさ!前の王様のおかげで王宮は荒れ、高官たちは誰が王宮を牛耳るか、争うばかりだったと言うじゃないか。役人の中にも自分勝手に決まり事をうごかす奴もいるし、租税をちょろまかしている奴もいる。上から下までそんな有様なら、折角、範の麒麟が王様をつれてきても従うとは限らねぇ。頭のいい奴らのことだ、表面上は言うことを聞く振りをしながら、かえって足を引っ張ることもあるだろう。そんなところの話が充てになるものか」
 はき捨てるように、若い元気な声が応えると、そうだな、有り得るぞ、と人々は考え深げに頷いた。

――官吏たちは真の王が立っても従わぬか。
 出来た酒を杯に注ぎながら、男は軽く言う。そして元気な若者のもとに自ら杯を運んでやった。

「そうとはかぎらねぇ。けど、有り得るってことさ。俺は王に従うぞ」
 若者が答えると、人々が口々に話し出す。
「だが、もしかしたら未だ真の王は登極していないってことがあるのかもしれない」
「瑞雲があったそうじゃないか。都のから来た奴らは、実際に見たと皆言う。婆さんから子供まで、口をそろえて言うから間違いあるまい」
「官吏たちが刃向かっているならば、既に殺されたってこともあるんじゃないか?」
「それはねぇさ!」
「坑道に妖魔がでなくなった。坑道と接する地底の穴から、以前は常に湧きでてきたが、今じゃぴったり止まった。何処かが塞がったんじゃねぇ。蟲は今でも湧いてくる」
「昔のように、蟲がちろちろ這い回るってことは、この近辺には妖魔はいなくなったってことだ」
 それが彼らの意見を決定付け、王あり、と納得したようだった。

 呉珂が見ていると、男は薄く笑っていた。けして軽薄でなく皮肉でもなく、ようやく息がつけたとでも言うような、刃物の緊張を解いた微笑。

「おい、大変だ! 酒を飲んでる場合じゃねぇぞ」
 いきなり入ってきた一人の鉱夫が、戸口で叫ぶ。
「日が陰った。外では日輪を陰が覆っていくところだ! 雲で隠されたんじゃない。日が消えていくんだ!」
 鉱夫の言葉に皆驚いて、立ち上がる。我先に外へ行こうと動き出した。

「慌てるな! 今日のことは朱旌たちが言っていたことだ。玉蟾、日輪を飲み込む。陰陽極まりて反覆し、また蘇る」
 呉珂は大声で怒鳴り、その場を制する。

 その時、都から来た男はゆったりとした動作で酒場の中央に立った。
 日蝕を告げた鉱夫も、呉珂も圧するその存在感。

「その通り。日輪は飲みこまれ、復活する。日蝕じゃ」

「主上。時が満ちました。雁が動きます」
 何処からともなく、凛として美しい声。
 日蝕を告げた鉱夫は後ろを振り返ると、飛び上がって平伏した。
 呉珂たちの目は戸口に立つ幼くも美しい少女に吸い寄せられた。
 絵に描いたような可憐な容姿、白い肌、桜色の唇、なによりも目を引くのは黄金色のつややかな長い髪。

――麒麟。

 だれかが絶えかねたように小さく漏らす。
 氾麟か、と呉珂は声に出さずに呟いた。
 では、氾麟が主上といった人物こそが、王なのだ。だがこの場で選定する様子とはとても思えない。ならば、誰に話しかけているのか。

――ああ、答えは自ずから明らかだ。

 呉珂は悟り、部屋中央に向かって膝を折る。

「氾王様!」

 呉珂の動作に気付いた若者は、感極まったように叫んで平伏した。部屋中の人々がそれに倣う。

「雁が動いたか。長く待った甲斐あって、これで一息に王座にたどりつけそうじゃ。年寄りたちも意固地を改めようぞ」
 男は少女のもとに歩を進め、傍らに立った。
「お迎えが来ております。王宮へ、本来のお住まいへ戻り下さい。日蝕にあって疚しいところのある者は、肝を冷やしておりましょう」
 王は氾麟の言葉にやさしく頷くと、酒廬の人々を見渡した。

「皆には世話になった。思いがけず楽しかったよ。ここに来なければ、こんな美酒にはめぐり合わなかっただろう。酒だけではないよ。Zの山には赤い竜が眠っていると聞いたが、確かにそうだ。この鉱山は範国に計り知れない恩恵となるだろう。皆が豊かな暮らしをおくれるよう、わたしはこの赤い竜を使うつもりだ」

「氾王様!俺たちに出来る事があれば、お命じください」
「わたしたちをお連れ下さい」
 今や酒廬の外にも人が集まっていた。
――日輪が消えたと聞いたぞ。
――いや、そうじゃない。氾麟が現われた。王がこの地底にいらしていたのだ!

「控えろ!王の御前だぞ!」
 呉珂は野太い声で、人々を静まらせた。

「皆の気持ちは嬉しい。Zの山の民をわたしは誇りに思う。だが、今はこの鉱山を守るのだ。ここは自然の要塞の地、けして逆賊の支配を受けてはいけないよ」

 氾王は手にしていた酒杯を高く掲げた。
「皆の安寧と繁栄をここに誓おう。日輪のごとくわたしは蘇る」

 王は酒を飲み干すと、杯を投げた。それをしっかりと受け止めた若者が杯を掲げて叫ぶ。

「範国万歳! 氾王万歳! 山の民は祝福された」
「範国万歳! 氾王万歳! 我らが日輪は蘇る」

 その後、王宮内部の謀反を治めるべく一時姿を隠していた氾王は、再び王都に入り国政を改めた。治水を行い農地を広げ、様々な産業を興した。その手始めはZの鉱山にあったと言う。

 Zの山の民が酒を飲む時は、まずはじめに王の作り出した鉱山の名の酒を飲む。
 範国万歳! 氾王万歳!
 鉱山の名の酒を掲げよう。
 範国万歳! 氾王万歳! 我らが日輪は蘇る!


− 了 −
This fanfiction is written by AKAINU in 2003
[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.

<赤狗様のコメント>

【ダイキリ】
ラム         45ml
ライム・ジュース  15ml
砂糖         1tsp

キューバのダイキリ鉱山に由来。そこで技師として働いていたアメリカ人ジェニングス・コックスが、1896年、灼熱の地で清涼感を求めてキューバの特産物であるラムにライム・砂糖・氷を入れて作ったのが始まりとされている。また、クラッシュドアイスをミキサーで混ぜ、シャーベット状にしたものはフローズン・ダイキリと呼ばれ、フローズン・スタイルのカクテルの代表格。作家のアーネスト・ヘミングウェイが愛飲したフローズン・ダイキリは、ラム酒をダブルにし、グレープフルーツジュースを入れ、砂糖を抜いたもので、パパ・ダイキリと呼ばれる。

2009年6月30日6周年、7月22日の日蝕、8月3日に六十万打達成ということで、六十万打はダイキリで祝い酒です♪
フローズン・ダイキリは同じく氾王さまで翠玉@管理人さんが書かれています。それなのにダイキリ@氾王さま で書いてしまった。翠玉さんの涼しいフローズン・ダイキリで飲みなおすのも一興ですよ。
 今回の氾王さま、登極したものの内乱にあって地方に潜伏中です。潜伏中に範国一の鉱脈を牛耳って、後の繁栄に結びつける、というまたまた勝手な裏設定となっています。古代では鉄を制する者は国を制すると言います。
Zでは砂鉄中心に採取していたのですが、やがて氾王さまの指導のもと鉄鉱石に転化し、安定した供給源となって国を富ませます。
 日蝕は常世もこちらと同じということで。常世でも昼夜はあるんだし月も満ち欠けする記述かあるので、太陽、月、地球の天体的関係はおなじでしょう。それなら日蝕も予知できたとおもいます。なんたって紀元前から知っている人は知っていた。それが一般に周知されていたかは別ですが、常世の方が国同士の戦争はなく安定していたでしょうから、むしろ人々にしられていたのではないかと思います。ただし、陰陽五行といった万物一体、人が万物と根源を同じくするという世界観がからむと、現象は現象として自然で不可避のものとして受け入れられても、意味合いは違うでしょうね。平民よりも高位高官の神仙にとって影響大。
 王がいない宮城が不安におののくということもあるかとおもいます。それを狙う氾王さまは策士。なんだか雁まで動かしたもよう。(しかし雁の動きの詳細設定までは赤狗の頭に今はナイ)ここに至るまでの動きも分ればいいナァ。しかし、今のところネタなし。いつの日か書ければいいのですが、それまでダイキリでお楽しみ下さい。

 3杯の祝い酒SSは、それぞれのカクテルのできた由来が元になっています。
モスコミュール(イングランド)は交易、ミント・ジュレップ(ケンタッキー)は競馬、ダイキリ(キューバ)は鉱山です。お好みの物がありましたら嬉しいです。

<管理人の蛇足>
赤狗さんからの六拾萬打祝いの酒SSSです。ありがとうございます、ご馳走様でしたm(__)m
鉱山の酒廬で質素な服を着ている藍滌、いいですねぇ〜vv
しかもバーテンダーですか、今度coさんを呪ってみましょうかね♪←こら!
酒も主役も被っても無問題!、酒ならどんな酒でも頂きますよ☆
他の方々も挑戦してみませんか?

尚隆が藍滌に軍を出せば面白い、と書かれていたのは「渡月館」のバンリ様でしたね。
実はわたしもそう思っていつかは書きたいと思っていたのです。
しかも、登極後の内乱で・・・
手を貸すのはお互いの利害が一致して、というのが二人には似合うと思います。
色々とシンクロしてて楽しかったです。うふふふ〜v
日食の+αが感動的でした。わたしは見れなかったのですがねTT
2年後の金環食を楽しみにしています。今度こそは照る照る坊主を作ろう!
昔、地学部で作った巨大照る照る坊主は効き目抜群だったからなぁ・・・(遠い目)

Albatross−酒蔵別館−
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