慈  雨



彼が少女に見せたのは、人の拳のような形で拳よりは少し大きいほどの、黒光りする塊だった。
「これは・・・石なのかしら」
「石、だよ。ただ」
利広は帯に差していた小刀を取ると、鞘から抜いた刃を石の表面を削ぐような形で当てる。
普通の石に普通の小刀でそうしたなら、双方に傷ができて終わりだ。
しかし彼が力を加えると『それ』はぎぎ、と音を立て、削れるように欠片をなし、本体には黒褐色の断面が現れた。
とはいえ石工が鏨で石を削るような音も砕け方もせず、珠晶は奇妙そうな面持ちで男の手元を凝視した。
「寒いね」
そう言って男は、足元に置かれた小振りの火鉢に黒い小片を投げ入れると、程なく甘いような香りが漂う。
どこかで嗅いだことがある気がしないでもないが、と彼女は思った。
「何なの、これは」
琥珀さ、と青年は答える。
「琥珀って、香りのするものだったの?!」
(では、覚えがあると思ったのは何かの勘違いかしら)
目を見張った少女に、男は笑った。
「そう。炎の中で芳香を放つ、世にも稀な宝玉。――火にくべるのは、玉を削りだした後の屑か、飾り物を作るには質が悪いものか、どちらかだけどね。龍宮から流されてくるのだとも、虎の魂魄が変じたものだともいう」
「へえ?魂魄というものがあるかどうかすら判らないのに、それがこんなふうに変わるなんて信じられないわ。」
円卓の上にこぼれ落ちた細かな欠片をつまみ上げた。
「竜宮の存在自体謎なのに、龍宮から来たって話も眉唾じゃない?」
「昔々、とある麒麟が国に下ったとき、荒廃した様にこぼした涙が琥珀になったという説があるのは知ってるかい」
「知らないわ」
少女は肩をそびやかした。
「知らないけど、それが本当なら、きっとその麒麟はうちの『あれ』と似てるんじゃない?」
「僕の聞いたところでは、その麒麟は女の子だったそうだよ」
少女は笑い飛ばした。
「容姿のことを言ってるんじゃないわ、性格のことよ。・・・ああでも、麒麟なんてみんな大体あんな感じなのかしら」
「さて」
男は考え込んだ。
「それぞれに個性はあるよ。性格は一つじゃないし、見た目も結構さまざまだ。ただ、同じと言って、言えないこともないかもしれない。慈悲深いという、点においては」
男は琥珀を手に取ると、もう一度その表面に刃を当て、欠片を卓上に削り落とした。






琥珀・・・虎の魄(たましい)の地に至り玉に変じたもの。
龍宮より流れ着いたもの。
麒麟の涙が結晶したもの。
どんな由来も黒髪の少女を得心させ得ないが、彼自身、それらいくつかの由来など本当はどうでもいい。
「もう少し薫(た)こうか」
琥珀片を卓の縁に寄せて掃き落とし、掌で受ける。
「君が信じるかどうかは別にして」
男はそれをぱらぱらと熾った炭の上に撒き、また、先ほどと同じ香りが立ち上った。
「虎の棲家になる土地が琥珀を産し、恭の浜辺には琥珀が打ち寄せられていて」
「へえ?」
珠晶はちらりと男の顔を窺った。
「これ」
と言って男は黒褐色の塊を指す。
「私が浜辺で拾ったものだよ」
「そうなの?」
「そうさ。・・・そしてこの玉が琥珀と呼ばれている以上、虎の魄(たましい)が変じた玉であると信じている人や、そうして説明を着けたい人々を、肯定するのも悪くないんじゃないかな」
少女は目をぱちくりさせ、そして苦笑にも似た薄い笑みを見せた。
「それを『琥珀』・・・虎の魄の玉と、私も呼んでいるんだものね」
「『琥珀』以外の呼び名を、僕らは知らないからね」
青年はにっこりと笑い返した。
「ああ、それからもう一つ」
腰に下げた巾着を探ってごそごそやると、彼は中から小さな巾着を取り出した。
「これも拾ったんだ」
これ『も』と言うということは、中身は琥珀なのだと珠晶は思う。
「海で?」
口紐を解きながら問うと、利広はそう、と頷いた。
「琥珀は割れ易い。掘り出した時点ですでに亀裂だらけということもあるし、あまり大きな細工を作るには向かない」
「・・・あら」
少女はかすかな驚きの声を上げた。
出てきたのは、透明で黄色味の勝った明るい橙色の琥珀だった。
丸味を帯び、そしてひび割れがない。
「ただし、どうした理由でか、海から打ち上げられた琥珀は割合に堅いことが多い。亀裂が少ないこともね。それはかなり小さいから、何か細工を施して身に着けられるようにするのもいいかもしれないよ」
「これとそれが同じ物なんてねぇ・・・」
少女は手の中の小玉と黒い石とを見比べる。
青年は苦笑した。
「何にでも良品から悪品まであるということだね。君の周りには、すでに細工されている立派な飾りか調合されて原型を止めていない香か、どちらかしかないだろう」
「まあ、そうでしょうね。見せる必要があるとも思ってないだろうし。面白いものを見せてくれてありがとう。興味深かったわ。・・・ところで」
少女は小首を傾げて利広を見上げた。






「たしか恭の場合、浜に打ち上げられる琥珀は、国府に届け出ずに浜から持ち出してはいけないと決められていたような記憶がね・・・なんとなぁく」
幼さの残る面立ちの女王は、愛らしい微笑みの中、瞳をきらりと光らせた。
「するような、・・・どうだったかしら?よく覚えてないわ。ねぇ?」
珠晶は、俯き加減で側に控えていた女史に水を向ける。
は、と低く応えて頭を上げようとする彼女を、利広は遮った。
「君の記憶は正しいよ。『恭国沿岸にて琥珀を収拾せんとする者は、開始予定日の五日より以前に、恭国秋官府、または収集を行う海岸を管轄する里府及び郷府まで届け出ることをここに定める』と。・・・君の何代前の恭王だったかな。男王が玉座にあったとき改定されて、その後は一度も改定されていないはずだ。そうだろう」
今度は利広が件の女史へ振り向いた。
「・・・左様でございます」
彼女は俯きがちなまま、答える。
ぴく、と少女の眉がわずかに持ち上げられた。
「その補項において、届け出には旌券の提示が必須とあるはずね。あなたがそれをするとは、私には考えにくいけど・・・したの?」
「もう一つ」
胡乱な視線をよこす少女へ、飄々とした風情で青年は人差し指を立て、なだめるようなやんわりとした笑みを見せた。
「琥珀の収集に関しては、記憶に留めるべき法令がある。『拾得せる物品、甲が琥珀であると拾得の後に判明せし時、甲は直ちに国府あるいは州府、またはそれぞれの機関のいずれかへ提出すべし』。これは、君の一つ前の女王のころ定められて、やはり改定はされていないはずだ。そうだね?」
珠晶は横目で利広を見、女史がまた、左様でございます、と答えた。
「君は・・・君こそが、国府の核心だ。恭王、供」
ふん、とあらぬほうを見た少女へ――というよりはそれを無視して、彼は続けた。
「確かに、普通は秋官府の、特に琥珀に関する手続きを専門に取り扱う部所のある府所に誰もが届け出る・・・そのほうが結局損をしないと、すでに国民に周知徹底されているためにこの法は、実態が乏しくなってしまった。でも、この法があったから、さっきの法令がさっきの形に改定されたんだよね」
珠晶は目を見開きぽかんと口を開け、しかる後、ちょっとばかり口を尖らせ眉を顰めた。
「他国の法令に、随分とまあ明るいこと」
男は朗らかに笑った。
「長生きは、してみるものだね。」
ぱんと小気味よい音をさせて円卓の縁に手を置き――力の入れ具合からして『叩き付け』と言っても悪くなかったかもしれない――、恭王は男を見た。
「・・・いいでしょう。あなたの言い分は聞き入れるわ、奏の太子。」
「感謝申し上げます、陛下」
男が恭しく頭を下げるのを、彼女は苦々しげに見下ろして、ふっと吹き出した。
自分が演出した緊張感に耐えきれなくなったのだ。
「ねぇ、とりあえずまた、これを削ってちょうだい。駄目?」
珠晶が黒い塊を指さすのを、利広は窺うような上目遣いで見て、にんまりした。
「陛下の仰せとあらば」
顔を見合わせて二人は、今度は声を上げて笑った。

The end
This fanfiction is written by YURI in 2006.
小説掲示板投稿作品NO.3041 [投稿日] 2006/01/03(Tue) 23:15:43



[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


NO.3041  慈雨(宝玉伝説・琥珀)
□投稿者/ 由里様
□投稿日/ 2006/01/03(Tue) 23:15:43

宝玉企画が立ったとき、ちょっと毛色の違う(であろう)ものを私は思いつきました。

琥珀・・・樹脂の化石。
ほかの方は、まず書かないだろうなと思う種類の宝石です。
鉱物じゃありませんし。
(でも琥珀は、金・銀・瑠璃・玻璃(水晶)・瑪瑙・珊瑚と並んで七宝のうちひとつに数えられることもあるの)

しかし結局、書くのに時間のかかる私は、そのときちっとも形にならず今に至ったのでした。
ずいぶん前の話ですね。

ちなみに珠晶と利広のお話でございます。

ではどうぞ。

<本  文>

琥珀には海にかかわる伝説があります。
太陽神ヘリオスの息子パエトンが父にせがんで太陽の車を借りたものの、天駆ける馬を御しかねて振り落とされ、川に落ちて死に、川辺でその死を嘆いた姉妹たちヘリアデス(太陽の娘たち)の涙が琥珀になったとか。
海神ネプチューン(ポセイドン)の娘と人間の青年が恋に落ち、しかしそれを知った父神は青年を殺してしまったので娘は嘆き悲しみ、その涙が海を漂う琥珀になったとか。
夫が行方不明になった愛と豊穣の女神フレイヤ(金髪です)は、涙を流して夫を探し、その涙は地に浸み込んで金になり、海に流れて琥珀になった、とか。

伝説ではありませんが、たとえば琥珀(アンバー)は竜涎香(アンバーグリス)は、海に漂っているという出自と、香として珍重されうるという用途の類似のため、混同されていたゆえに名前が似ているのだとか、なにしろ海外では海にかかわる話が多い気がします。

しかし「琥珀」という名は、中国で付けられたものですがこれは、文中にも書いたとおり虎の魄の玉という意味。
生き物が死ぬとその身の内にあった魂魄の、魂は天に、魄は地にかえるそうですから、琥珀は地から現れるのでないとおかしい。
ま、そうしてしまうと説明がとても説明的になってしまうのが面白くなくて、やめてみました。


NO.3050  Re[1]: 慈雨(宝玉伝説・琥珀)
□投稿者/ 赤狗@居候様
□投稿日/ 2006/01/13(Fri) 23:38:58

由里さんの琥珀語りだ〜vvっと年始から楽しませてもらってます。
(なのに遅かったのは、オフの所為!←いいわけ)
輝石じゃない宝玉ってのも浪漫ですね〜v
優しいけどなにかたくらんでいそうな、訳知りな利広と、才気煥発な珠晶の組み合わせって、話がどこに行くかわからないというか、縦横無尽にひろがっていきそうで、さすが御二方。息が合ってます。そんな雰囲気に琥珀が甘い香りを添えてくれているのですね〜。
琥珀の由来の不思議さが、また素敵です。法令で切り返されても、さすが卓郎君、法令たてに口説いてません?結局甘えてしまう珠晶も可愛い〜v

香りも味わいもある宝玉をありがとうございました。
画と合わせて2度美味しかったです!


・・・・・・ところで由里さん。
ほんとは閉じ込められた虫や植物の話も書きたかったでしょ〜ネ。
十二国バージョンにするため堪えたんですよね、キット。


NO.3051  こちらでははじめまして
□投稿者/ 空(くう)様
□投稿日/ 2006/01/14(Sat) 22:13:13

素敵なお話、ありがとうございました。

琥珀、実は私も大好きなのです。
蓬莱での生成の過程が好きだったりします。

今から25年ぐらい前(年がばれる〜〜)ですが、
琥珀を採集(というのだろうか?)した事があるんです。

そこは、ずっと昔に森林だったところが、一度海に沈んでまた地上に隆起して現れた場所なんだそうです。よく探すと琥珀が見つかるといわれてがんばった記憶がございます。

宝石にするようなものではなく、指で簡単につぶれるような柔らかいものでしたが、とてもうれしかったのです。

以来、琥珀には特別な思いがあり、こちらのSSを読ませていただいたときもそんな思いが沸き起こりました。

ありがとうございました。
また、ぜひ読ませてくださいませ。


NO.3052  お返事です。
□投稿者/ 由里様
□投稿日/ 2006/01/15(Sun) 23:53:30

>赤狗さん
明けまして・・・というのはさすがに遅いですね。
寒中お見舞い申し上げますv
今年もどうぞよろしくお願いします。

おほほ。確かに卓郎君は供王を口説いておりますわ(笑)
でもさらっと流す供王サマv
だけど結局仲良しということで丸く治めてみました。
輝石でないシリーズで、珊瑚をネタにした話も書こうかと思っていたんですが、「宝」ではあれ「玉」じゃないだろうな〜と。

「閉じ込められているもの」の話は、十二国世界でもあり得べき説明を付けられなかったので、書くのは早々に諦めたのです。というかそんなに書く気もなかったというか。
私は、もしネタにするならば、動かないものよりも、動くものを使いたいようです。
植物ならば、種。根を張っているもの。伸びるもの。
虫ならば、生きて動くものを書きたいと思うのです。あるいは死にゆくのでも。
ですが・・・

苦手な人はものすごく苦手なモノ、なんですよね?
(自分は平気だから、ダメな人の、ダメなつぼがわからない)
だから、そっちで「どーしたもんかなー」と思ったりしてます・・・


>空さん
はじめまして、ですね。
遅筆寡作な私ですが、どうぞよろしくお願いします。

琥珀にはまだなりきらない柔らかいの、というとコーパルでしたっけ。
名前だけ知ってます。
掘ったことはないんですよね〜。
私もやってみたいです。うらやましい。

私の知ってる日本国内の産地は久慈ですが、そこでは昔、「くんのこ」と呼んで虫除けに焚いてたこともあったそうで。
豪儀な話ですよね。

琥珀を書くなら、ぜひ焚こうと思っていたのです。
焚く話がかけてよかったな、と思っていましたが、楽しんでいただけて嬉しいですv


<管理人の蛇足>
恭では昔のヨーロッパのように加工していない琥珀の不法所持は許されていないのですね?
しかし、規制の隙間を縫って手に入れることができると利広は教えている、と。理解できたのはここまで・・・(^^;ヾ
琥珀はとても軽く飽和食塩水に浮く比重(1.08)です。英語のアンバーは古代アラビア語アンバール「海に漂うもの」から来ていて、嵐の後によく打ち上げられていたことに由来しているようです。こういうことなら、すぐに理解するんですけどねぇ=3
また、10段階のモース硬度でも2〜2.5と爪並みに柔らかく、宝石の中でも一番でしょう。真珠や珊瑚で3.5、凜さんの書いた蛍光石は4です。ナイフ(6.5)で簡単に削れます。チタン・ナイフ(9)なら水晶でもエメラルドでも削れちゃいますがね!(笑)
樹液の化石ですから、燃やしたらいい匂いがしそうです。でも、松脂だったら確かに虫除けになるかも・・・。香料として焚いていたのはドイツなんですね。上野のスタディ・ハウスでは屑の琥珀が売っているから買ってきて焚いてみようかなv
琥珀のもう一つの特性は布でこすると静電気が発生すること。ギリシア語ではエレクトロン(elektron)、これが電気の語源になったそうな。(クイズ番組でよく聞きません?)
そして、琥珀の逸話で最も豪快なのがエカテリーナ2世の総重量6トンを使った琥珀の部屋、こちらも何やらSSSができるのでは?(闇笑)

琥珀といえば虫入り琥珀! ジュラシック・パーク!←をい!
というわけで、樹液が琥珀に変化するまでの期間は2000万年位、生成を考えると、常世はいつから存在しているのか、という果てしない問題になってしまいます。
昔の中国と共通する点があることを考えると、とある時代から次元が別れたとも考えられるのですが・・・
なにはともあれ、わたしは常世にも琥珀はあって欲しいデスv
玉泉に樹液を入れると、あら不思議・・・、で琥珀が出来ないかな?←をい!
妄想はまだ尽きませんが、由里さん、素敵な琥珀伝説をありがとうございます!d(o^v^o)b

▼由里さんが、わたしの理解不能な箇所を説明してくれました。
わかる方にはわかったのでしょうが、表で語った方が喜ぶ人も多いと思うのは、わたしが俗物過ぎるからなのでしょうか・・・A^^;)


私がこの部分についてどのように考えていたか。

仰るとおり、このネタは、昔ヨーロッパにあった、琥珀に関する規制を参考にしています!
ただ、適当にアレンジしておりまして・・・。

私の中には、あの二人のやりとりの、裏の言葉というのがありました。

珠晶「恭において、許可なしに琥珀を浜から持ち出すのは違法よ(なんなら、恭の刑法に則って刑罰を科しましょうか?)」
利広「知ってる。でもね、あくまで私は拾得しただけ。しかも法に則り“恭国”に提出済みだ。(・・・だから罰せられるにはあたらない、そうだね?)」
珠晶「・・・口が減らないわね!」

というような感じ。

つまるところ、奏の太子は、「取得したというよりは拾得であって、所持していたのは国へ提出するまでの間だけ」だった・・・ということにしていました。
実際、拾っただけなのは本当ですから。
(そこには、何の嘘も裏もありません)

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