蛍光石



女人を抱かなくなったのは、いつの頃だろうか
藍滌は 回廊を歩きながら、先刻 真っ直ぐに自分の教えを請うていた少女の、怪しく そしてしっかりした意思を持って光る 瞳を思い出していた。
あの瞳には 気をつけなけらばならない。
遠い昔、あの瞳と同じく 光る石を持っていた女を自分は知っている。
あれは、どこまでも純粋で素直だった。だから石の魔力に取り込まれてしまった。
女人を抱かなくなったのは それ以来だから、もう200年も前の事か。
「もう女など どうでもいいとさえ思っておったのにのぅ」
目を閉じると、遠い昔に置いてきた記憶が蘇る。

登極して50年は、国を立て直すのに必死だった。
まず官吏の移動を行い、法の整備をしなおした。ようやく落ち着いた頃、自国の産業に力を入れる。
しかし何の特色もない国。どうしたものかと考えあぐねていた頃、市井でただの石を磨き削り、装飾品として置いている者がいる という報告を受けた。すぐに捜させると、独りの女が浮かび上がった。
至急女を呼び寄せる。藍滌には秘策があったのだ。数日後、女は石の装飾品を持って現れた。その石は精密なまでに 細かい細工が施されていて、藍滌は その石を 食い入るように見つめていた。
「これは、そなたが細工したのかえ」
すると女は平伏したまま
「さようでございます」
一言そう告げた。
「なかなか素晴らしいものじゃ。このような装飾品は今まで見た事もないわ。そなたはどこの生まれかえ」
「私は崑崙から流されて参りました。あちらでは、装飾品の細工をしておりました」
「ほう、崑崙という所はこんなにも精密な それでいて柔らかい細工が出来る所なのだね。
…あい、分かった。それでじゃ、ひとつそなたに頼みがある。その卓越した技術 この範国に残していってはくれまいか」
「それはどういう…」
「範国はこれといった産業がない。見た所そなたの作る装飾品は、こちらにしてみれば斬新で見事じゃ。
これを世に広く広める事が出来れば、範国も安泰なのじゃが」
「それはここで働けるという事ですか?」
「そうじゃ。そなたを仙に召し上げようと思うておる」
「ではこのように皆様と これからも お話が出来るのでございますか?」
藍滌は一瞬びっくりしたが、この者が山客であり、言葉に随分苦労しているであろうという事を悟った。
「そうだね、仙になれば言葉に困る事もないであろ。歳をとる事もなくなる」
「言葉が通じるなら、やります」
永遠に歳をとる事がない事など、目の前の女にはどうでもいい事だった。ただ この孤独から救ってくれた美しい王に、誠心誠意尽くそうと女は決めていた。






それからというもの、腕に覚えのある者を集め、女はひたむきに自分の持つ全ての技術を伝えようとした。
それを見るにつけ、その一生懸命さに藍滌は心を奪われ、女を我が物にしようと 男女の仲を交わしたのだった。
「ふふふ…主上のお体は羊脂玉(ヤンシーユー)と言う、白い翡翠のようですわ」
藍滌の胸に口づけを落としながら、女はくつりと笑った。
「翡翠は普通、緑色なのではないのかえ」
女の髪をもてあそびながら、藍滌はこう切り替えす。
「翡翠の中にね、たまに見つかるのですよ。白く潤いのある滑らかな玉が。崑崙では翡翠は美しさの中に徳を備えた霊的な玉と言われているの。中でも羊脂玉は希少価値があるわ」
藍滌の耳を甘やかに噛みながら、女はささやく。
「ほう、そのように美しい玉がわらわとは。しかし、それは女に言うものではないかえ。まあ、よい。
わらわも そなたのその手が 愛しい」
「いやっ。私の手はごつごつして、恥ずかしいわ」
「なんの。これこそが匠の手。わらわが愛して止まぬ、希望の手なのだから」
そう言うと藍滌は、女の指をそっと口に含む。女はぴくりと反応し、声にならない声を挙げた。
藍滌が浅い眠りから覚めると、窓際で月光に石をかざしながら凝視している女が見えた。
まだ先程の 余韻から覚めやらぬ藍滌は、月光に照らされ一際美しく輝く女を見つめると、押さえ込もうと思っていた欲望が、ふつふつと湧き上がる衝動にかられた。
かぶりを振って藍滌は女に問う。
「その石は?」
「ああ、これね。蛍光石と言うものらしいですわ。先日市井で見つけましたの。我が国で取れたそうですわ。でも、中の石だけ取り出してはだめなの。周りの石が光を集めるのね。ねぇ、この中の石だけを細工出来るといいんだけど」
「どれ、見せてくりゃれ。ほう なかなか幻想的なものじゃの。この石が我が国から産出出来れば、どれだけ助かる事か」
「やはり そう思われます?私も技術をもっと進歩させ、いつかこれを細工したいものですわ」
そう言って もう一度その石を覗く 女の姿を、藍滌はまぶしく眺めた。

元々範国民は、手先の器用な者が多かったようである。その後 市井はにわかに活気付いた。
そうすると、他業種の細工氏も範国へ集まるようになり、新しい産業は又増える。
とうとう範国は、女と協力者の手によって、十二国一の匠の国となった。
しかし、石という者は 時に人を惑わすものである。次第に女は 何かにつけ蛍光石を覗き込んでは、物思いに耽る様になっていった。こちらから話し掛けても、返ってくるのは生返事ばかり。
そして、その日はやってきた。
「主上。折り入ってお願いがございます」
公私の区別をわきまえる女である。しかし今日はいつもとは いささか違う雰囲気を 醸し出していた。
「なにかえ?」
不安を柔和な笑顔に隠し 藍滌は答える。
「あの蛍光石が範の東方の山にあると聞きました。この頃は 産業も落ち着いてきている事ですし、私探してみようと思っております」
―行くな。我が希望。
「しかし、あそこはまだ未開の地。いくら仙のそなたとて あまり無理をしてはならぬ。生きて帰ってこられるかどうか、保障はないであろ」
―行くな。我が愛しい人。
「でも、もう決めた事ですから。なぜだか、石が私を呼んでいる様で」
そう言ってうっとりと蛍光石を撫でる女を見て、藍滌は溜息をついた。
この者は 石の魔力に絡めとられているのだ。石の怪しい光に、女の心は魅せられた。
もうどうする事も出来ぬ。
「…気が済むまで行って来るがよろしかろ。ただね、どんな事があっても、わらわとのあの甘やかな思い出だけは忘れないでくりゃるかえ」
「ええ、けして忘れません。主上 楽しみにしていて下さい。必ず蛍光石を見つけて、範国の…主上のお役に立てるように致しますわ」
そう言って、女は笑顔で旅立って行った。
以来、行方が分からない。東方はたまに妖魔が出る事もあると言う。おそらくもうこの世にはいない可能性の方が高いだろう。
今でも藍滌は考える。ひょっとすると蛍光石などというものは、もともと無かったのかも知れない。
あれは、月夜が魅せた幻。石の底知れないなにかが女を惑わせ、そして女はどんどん絡めとられていった。
しかし あの夜見た、ほの明るい緑の光は 今でも 目に焼き付いている。
他の石に守られ、光を集めさせ、柔らかいながらもしっかりと自己主張の持ったほの明るい緑の光を。
女と別れて以来、女人を抱いたのは一度もない。
女官らは藍滌が独り身になった事をいい事に、露骨な色目を使い、激しい権力闘争が勃発した。
面倒になり、ある時から女装をするようになる。
自国の装飾品を広める為にも都合がよく、同時に自分の弱さを相手に悟られない様にするのにも一役買っていた。何より みな一様に黙り、恋愛の煩わしさから開放された。
そして現在にいたる。






藍滌は慶国の若き女王に会った時、その凛とした佇まいに見惚れてしまっていた。
さらにあの緑の瞳が、藍滌の心を掻き乱す。
「もう女人を愛すまいと思うておったが、…どうやら わらわも、あのほの明るい緑の光に絡めとられそうじゃの」
そう言ってくつくつ笑う。
「まあ、よい。長く生きたせいで、少し面白みにかけておったわ。十二国一の匠の国と謳われた範国の、王が認めた至極の玉。わらわが手を施し、磨き上げるのも悪くはないかえ」
藍滌はぱたりと扇子を閉じると、ゆるゆると回廊を後にした。

The end 2004.09.17UP
This fanfiction is written by RIN in 2004.



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<凛様後書き>
石の知識は聞きかじりの付け焼刃なので深く突っ込まれると…
なんだかゴテゴテになってしまった気が。
ただもう思いつくまま書いてしまって。後で突っ込みたい所がいっぱい出てきましたが、見ない振り見ない振り。


<管理人の蛇足>
ご存知、紫薔薇同盟に先行アップしていた作品です。本来は宝玉企画に投稿頂いた作品ですが、「宝玉伝説」部屋がまだできていないもので、あちらにアップさせて頂いたのです。←情けない管理人だ・・・
蛍光石って蛍光する石全般を指す言葉だったんですね。ダイヤやコランダム(ルビー、サファイヤ)、琥珀、オパールもその中に含まれますが、これは蛍光(フルオルセンス)の語源となったフローライト(蛍石)ですよね?(イマイチ自信がない・・・)
あ、見ない振りですか、わかりました。でも、蛍光石に興味を持たれた方は「 鉱物達の庭」で詳しくなれます。玉の話もあるので宝玉伝説の資料にはうってつけでしょうv
この手のリンク集も早く用意しなければなりませんね。

そして藍滌サマの女性遍歴に関してのわたしの思い入れは妄想氾国長編で書くのでナイショです。
さて、coさんとは藍滌サマは十二国記一の人格者であると意見が一致しているのですが、そんな彼が女性を愛せないはずはないし、そんな女性がいたらきっと結婚していたか、皇后にしていることと思います。しかし、そんな様子はあの格好からは思いつきません。だとしたら、とても愛した女性を失っているに違いないと思い込んでいます。そして、簡単には次の女性を捜す気になれないというのも頷けます。
でも、とても理解のある細君がいても可笑しくないかもv←同盟はどうする?

Albatross−宝玉伝説−
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