星降る夜いつもより、星が近いと感じた。振り仰ぐ空、色鮮やかに瞬く星がひとつの帯のように連なっていた。 ――あれが、銀漢。 まるで星が頭上から降りそそぐよう。月のない夜は小さな星の煌きが細い灯りとなり、小さな星たちの群れは広大な川と成る。 仰ぎ見る空のおぼろげな輝き、微かな熱を帯びた頬を撫でる風の冷たさ、ふわふわと宙を漂う感覚・・・天と地とを逆さにして、あの眩い銀漢を泳いでいるような。 そんな心地よさに、ずっと包まれていたかった。 「・・・やっとお目覚めかな、お嬢さん」 ひっそりと静まり返った闇夜に響く、低い声。その声の方向に向けて、うつろな紫紺の瞳が空を漂う。 「・・・桓堆?」 「そうだよ」 幼子をあやすような優しい囁きに微かな笑いを忍ばせて、桓堆は自分の背に身体を預けた祥瓊に語りかける。 「祥瓊が飲みすぎて歩けないって聞いて、迎えに来たんだけど」 「・・・飲みすぎた?」 虚ろな意識の中、糸を手繰り寄せるように思い出そうとするも、鈍い痛みが頭の奥に広がるばかりで何も思い出すことができなかった。微かに覚えているのは、華やいだ宴席に響く笑い声、女たちの唄声、注がれた酒が醸し出す甘い芳香。 ・・・そうだ、今宵は親しくしている女官の婚礼の宴に鈴と二人招かれて、 「勧められるままに、飲んじゃったのよね・・・」 そういうこと、と笑いながら、桓堆はここまでのいきさつを簡単に説明した。 尤も祥瓊の方は未だ酔いが覚めやらず、耳に届く言葉は ぼやけた音となるばかりで、意味を解しているのかも怪しいところだったが。 「着いた時は、まだ意識があったよ。ちゃんと自分から負ぶさってきたしね。でもすぐに寝息が聞こえたから、このまま起こさない方が良いかなと思って」 「迷惑かけちゃって、ごめんなさい」 「別にこれくらい、どうってことないさ」 酔いつぶれた祥瓊を迎えに来て欲しいと、桓堆の所まで頼みに来たのは鈴だった。 「勧められて、飲んじゃったみたいなの。足元がおぼつかなくて危ないから・・・他の人には頼めないし」 他の人・・・とはこの場合、男を指すのだろう。酔って意識も虚ろな祥瓊を他の男に送らせるなど、危なっかしくて到底認められるものじゃない。無論、そうと知れば滅多なことでは腹を立てない桓堆でもいい気はしないだろうと、鈴にも解っていたのだろうが。 鈴が気を利かせてそれを告げにきてくれたことに感謝しつつ、連れられた邸宅に向かうと祥瓊は榻にぐったりと身体を預けて、半ば夢見心地。それは気持ち良さそうに寝息を立てて・・・こんな無防備な姿を晒す彼女を他の男に送らせることがなくて良かったと、誰にも悟られぬ安堵の溜息を胸の内側でついたことは、彼しか知らない。 そんな訳で、自力で歩けぬ祥瓊を背負い、送り届ける役目を担うこととなった――その途中のこと。 春とはいえども肌に触れる夜風は冷たい。出来るだけ早く床に就かせたほうがいいとは思ったが、何となく役得とも思えるこの状況を楽しみたい気分もあって。 太師の邸宅に向かう道を一本逸れて、内緒で少しだけ遠回りすることにした。 やがて、人気のないひっそりとした園林に辿り着く。園林と呼ぶにはあまりにも小さいその場所は、一面に広がる杏の花で埋め尽くされ、甘い芳香が漂っていた。 はらはらと舞い落ちる白い花。それは星明かりでおぼろに煌く夜空から降る、雪のよう。 日中、昼寝をするのに絶好の場所だと密かに気に入っていた園林が、星降る今宵は意外な情景を垣間見せていた。 しばらくその場で佇んでいた桓堆は、杏の木の根元、柔らかな草が生え揃った地面にゆっくりと彼女の身体を降ろす。まだ足元がふらつくのか、祥瓊は草地にへたり込むように腰を下ろし、そのまま仰向けになって寝転ぶと、白い花を敷き詰めた絨毯のような草地に、彼女の紺青の髪が鮮やかに散った。 彼女の育ちを知る者には意外に思えるだろうその行為を、桓堆は別段気にする素振りも見せず、 「仲良くしていた女官なんだってね。幸せそうだった?」 仰向けの祥瓊の隣に腰を下ろし、桓堆が柔らかく微笑みながら問いかけた。 「幸せそうだったわ、とっても――綺麗だった」 天を仰ぐ彼女の瞳に、星が映る。緩く波打つ紺青の髪と、微かに朱に染まった滑らかな肌に、惜しげもなく降りそそぐ小さな花弁。 その全てが美しいと思った。瞬く星を連ねた銀漢よりも、雪のように舞い落ちる杏の花よりも・・・ずっと。 「なあに?私の顔に何かついてる?」 じっと見つめてくる桓堆に向かって軽く頬を膨らませながらも、見つめられることへの恥ずかしさからか、薄紅色に染まる頬の赤味が少しだけ深いものへと変化していた。 「付いてると言えば、付いてるな」 紺青の髪の一房を手に取ると、絡め取られていた白い花弁が滑り落ちた。柔らかな髪を何度優しく梳いても、雪にも似た白い花は、その髪に惜しげもなく降りそそぐ。 「・・・綺麗だな」 その美しさに、己の瞳もまた絡め取られ――思わず呟いた。 「そうね・・・雪が降ってるみたいで、とても綺麗」 空から降りそそぐ花と、咲き誇る花と花の間から微かに覗く銀漢の煌き。夜空から落ちてきた星が花となって降りそそいでいるかのような幻想に囚われて、祥瓊は感じたままを言葉に乗せた。 「そうじゃなくてさ。俺が言いたいのは花じゃなくて、祥瓊のことなんだけどなあ」 些か間延びした声の、それでも瞳だけは優しい色を湛えて見下ろしていた。 普段ならば気の効いた言葉のひとつも容易には出てこない桓堆の、今宵のいつになく真摯な眼差しに、祥瓊の胸は我知らず高鳴っていく。 「あなた・・・酔ってるの?」 「それは祥瓊の方だろう?」 素面の彼の口から発せられる言葉とはおよそ考えられず、間抜けな問いとは知りつつも、思わずそう尋ねてしまうほどに祥瓊は冷静ではいられなかった。 その彼女の動揺とは裏腹に、当の本人は 「綺麗だなと思ったから、素直にそう言っただけだよ」 何ともあっさりと言ってのけた。 常ならば、祥瓊が何度も何度もねだるようにして、やっと欲しい言葉を伝えてくれるのに。今日の桓堆はいつになく積極的だ。 闇と、闇夜を灯す星と、星から降りそそぐ雪のような花弁と、その花から漂う甘い香り。 星降る夜は、人の心をたやすく惑わせ――酔わすのか。だとしたら。 「・・・この雰囲気に、酔っちゃったんだろうなあ」 「だから普段なら滅多に言わないことも言えちゃうの?・・・それって何だかずるいわ」 拗ねたように口を尖らせた祥瓊に 「ずるいとか、そういう問題?素直になったとか、そんな言い方なら分かるけど」 澄まし顔で軽く笑った桓堆が、身を屈めて唇を寄せた。 触れるかと思ったそれは、期待していた感触を素通りして、耳元に触れるか触れないかの位置で止まる。 「・・・それで、今夜はどっちの牀榻で眠る?」 鼻腔をくすぐる甘い香りが運ぶものは、同じく耳元をくすぐる、甘い囁き。 「やっぱりあなた――酔ってるでしょう?」 「さてね・・・・・・どうだろうな」 不適な微笑を口の端に浮かべた彼の指先が、彼女の頬を軽く撫でる。 その指先の流れに甘えるように瞼を閉ざし、ねだるように唇を薄く開く。 やがて望む場所に、静かに唇は落とされた。 This fanfiction is written by Torino Hiro in 2004. [無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition. |
フツーに甘〜い恋人同士の物語は文句なしに幸せな気分になりますよねv 特に当サイトにとっては・・・(笑) 「どっちの牀榻で寝たのか?」は、ご想像にお任せしますとのことだったので、▼に勝手想像を置きました。誰もが想像できる内容をわざわざ書くなんて無粋だわ、と思わない方のみお読み下さい。 |
酔っていた祥瓊の意識は眠りの縁にふわふわと漂っていた。牀榻に静に降ろされるとその意識が浮上してきた。 「ここは、わたしの房間じゃない・・・」 桓堆は牀榻を見渡している祥瓊の横に桓堆が履き物を脱いで上がり、片手を祥瓊の頬に添えると笑いかけた。 「こちらの方が祥瓊に迷惑がかからなさそうだからな。そしてなにより、さっきの場所から近かった」 「迷惑って?」 祥瓊は桓堆の手に頭を預けて訊いた。 「主上に気付かれないようにしているんだろう?あの方々は二人きりで会うことすらままならないからな」 「気が付いていたのね」 「祥瓊の気持ちがわかるから黙っていたが、男はそんなに我慢強くはないんだ。ここならば口裏を合わせてくれる人間も多いだろう?」 「でも、わたしは酔っちゃってるから、満足させてあげられないかもしれないのよ」 桓堆が祥瓊を臥牀に横たえると小さな悲鳴が上がった。 「眠らせないようにするさ」 桓堆が耳元でそう囁くと、祥瓊は目を見開いてからくつくつと笑った。そして、桓堆は両手で祥瓊の顔をそっと包み込むと、真っ直ぐに祥瓊の潤んだ瞳を見つめた。 「祥瓊が主上と共に十六歳のままで結婚できなくても、共に暮らせなくても、祥瓊を愛しているよ。この命尽きるまで・・・」 「そんなに先まで約束しなくてもいいのよ。今だけでいいわ」 祥瓊が桓堆の首筋に両腕を回して力任せに引き寄せると、桓堆はゆっくり祥瓊に覆い被さって唇を重ねた。最初は優しく、そして次第に激しく・・・ 2004/03/26 UP This fanfiction is written by SUIGYOKU. |
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