どんなに強固な結束も、1人の人間で崩れることが有る。
それはとても容易に。


瑠璃色の人



過去を振り返るに、王が賢帝かそうでないかを知るには容易である。それは治世の長さに比例しているからだ。在位が長ければ長いほど、それは賢帝となる。
その中で、記録的に短い王がいた。
在位六年。
謚は『予王』
彼女の治世の短さを決定付けたのは、国内から女性を追い出したというところであろう。彼女は1人の男に恋着した。恋着し、周りの女性に嫉妬し、すべての女性を排除した。
愛しい人の、自分の命を奪うようなことになっても……。

かくも恋着とは恐ろしいもの。

予王の次の景王が生まれる前に、蓬莱でも同じようなことがあった。
とある島に残されてしまった31人の男と1人の女性。
女性は結婚していたが、その島に船が沈んだため30人の兵が流れ着いた。悲劇はそこから始まる。
女性をめぐっての愛憎劇。
それは不可思議な死を迎えた男たちの数が、物語っている。
島にいたのは七年。生存者二十名。三人に一人は死んだ勘定になる。
もちろん、それは"殺された"勘定ではないのだが、壮絶なことが起きたことは想像にたやすい。


ふぅ、と桓魋はため息をついた。
和州で叛乱を起こそうとしている今、少し自分たちの規律が乱れ始めている。
私闘が増えた。
今ここにいるもの達は、もともと麦州師の軍隊。ながしのやくざモノとは違うはずだが、それに近い乱れ方だ。
「どうしたの?桓魋。ため息なんかついて。」
コロコロと鈴を転がすような声で、娘はお茶を目の前に差し出した。
彼女は紺青の髪が美しく、造形も整っている。そして袖から見える腕や、毛織物の着物を着込んだ状態から見ても、余分な贅肉はついていないように思われる。
その昔、彼女が"鷹隼の宝珠"と呼ばれていたことなど、もちろん当事の桓魋に知る由もない。だが、それを知っていたとしても現状を和らげる手段にはなりえていなかっただろう。
桓魋は小さく微笑んだ。彼女を心配させないために。
だが、その試みは聡い彼女には通用しない。
「なんでもないんだ、祥瓊。長く気を張り詰め続けていて……少し疲れただけだ。」
目の前の娘には言えない。明郭で乱を起こそうとしている今、傭兵達の軍規が乱れている原因は、……祥瓊、お前の存在だ、などと。
慶には女が少ない。予王の愚策で。
まして祥瓊は美しく、気立てもいい。少々気位が高くも見えるが、それはそれで卑屈な女よりはよほどいい。
傭兵仲間にはもちろん女もいたが、彼女らを争うこともあったことは事実。しかし、それは表に出ず穏便に済まされている。祥瓊に関しては、少しいきり立っているように思われて、仕方がない。
桓魋は首を振った。他の女性ならこんなに心配はすまい。

誰でもない、祥瓊だからこそ……

祥瓊は微笑んで、桓魋の肩に手を置く。
「私でできることがあるなら、協力するわ。」
桓魋は少し目を見開いたが、破顔し、肩に置かれた手に自分の手を乗せる。
「願いたいのは山々なんだが……少しタチが悪い相談になるかもしれない。」
「かまわないわよ、そんなこと。」
祥瓊は桓魋の座っている榻にすわり、彼の顔を覗き込む。
「……祥瓊、あまり男の相談に軽々しくのるんじゃない。下心だったらどうするんだ。」
祥瓊の目線にこらえきれず、手を離しうつむいた。
「下心の相談なの?」
桓魋は首を振る。違う。そんなものじゃない。
「大丈夫。私はちゃんと相談にのる相手を選ぶから。」
そんな風に、油断させてから襲う男ならどうするんだ。違う。そういいたいんじゃない。
「……今日、夕刻に簡単な会合を開くんだが……。祥瓊はそれに参加してほしい。」
「……珍しいわね。いいの?」
桓魋はまっすぐ祥瓊を見た。大丈夫。祥瓊は自分が守らなくてはいけない。
「そこでだ、祥瓊。何があっても、何をしてもただ黙って俺に合わせてくれないか?」




「最近規律が乱れている。」
桓魋は一同の主なものを集め、そう言った。
その背後には祥瓊が控えている。
「確かに俺たちのやっていることは根気がいる。順当に進まなくていらつくこともあるだろう。……だが、ここで揉め事を起こして、目立つわけにはいかないことは分かっているだろう?」
一同は心当たりに目をやりつつ、そして桓魋に目を向ける。紺青の美しい女性は、黙って立っている。
「……だが、お前たちの気持ちもわからないでもない。うまくいくかわからないことに関して、俺たちは命を懸けろといっている。毎日その緊張感を持続させるのは、実質難しい。」
命の危うい状態において、人は異性を欲する。それは種の保存を願う、本能なのだ。
桓魋はおもむろに懐に手を入れ、大きな袋を卓子に差し出した。乗せたときに硬質な音がする。……相当入っている。
「そこで俺からの餞別だ。飲むなり抱くなり、好きにすればいい……。」
桓魋はそういって後ろを振り向く。祥瓊は黙ってそれを見ていた。
「……というわけで、祥瓊。俺と一緒に来てくれ。」
「え?」
戸惑う祥瓊の腰に腕を回し、軽々と彼女を持ち上げたかと思うとそのまま扉に手をかけた。
周りの者たちは、口をあんぐりと開け、その光景を見守るのが精一杯である。
「桓魋、どこへ行くんです?」
というよりも、祥瓊を抱えて何をするんだ?と聞きたい気持ちでいっぱいの男は、枯れた声でそう聞いた。
「野暮なことを聞くな。」
そんな者達の視線を一身にあびた桓魋は、扉に手をかけたまま振り向く。軍人とはかけ離れた、柔らかい表情で、明るく。
「俺"達"にも休息は必要だ。……誰もついてくるんじゃねぇぞ?」
桓魋は笑いながら二階へ上り、自室に入ってかんぬきをかけた。

丁寧に榻におろされた祥瓊は、目で鋭く桓魋を射る。
「どういうことなのか、説明していただこうかしら。」
口は笑っているが、目はそのままだ。
桓魋は気にせずに祥瓊の隣に座り、肩に腕を回した。そして、驚く彼女を無視してまるで愛の言葉を囁く様に耳元に口を近づける。
「……まず、抵抗しないでくれて、ありがとう。と言っておく。」
祥瓊は、少し目を見開いたがやがて気づいたように頷き、彼女もまた愛の言葉を囁くように、桓魋の耳元に口を近づける。
「……何人覗いているの?」
「……五人。」
二人は囁くように、寄り添うように会話を続ける。
「……どういうことか、説明していただこうかしら?」
声音を抑えながら、それでも前よりも強い口調になる。桓魋は観念したように小さく息を吸う。ここまでしたからには、いわないわけにはいかない。
「慶には女が少ない。前の景王……予王が慶から女を追い出した。」
「……知っているわ。」
「祥瓊も気づいているかと思うが、俺たちの仲間は少々血の気が多い。……そして、別嬪には弱い。」
「………………。」
「今はまだ、お前さんをめぐって、男どもが勝手に私闘をしているだけに過ぎんが……これから先、強引な手を繰り広げないとも限らない。」
「ちょっと、それってどういう。」
祥瓊が驚いて立ち上がろうとしたのを、桓魋はあわてて制する。両手でしっかりと抱きしめた。
「慌てるな。もちろん俺たちは柄のいい連中じゃないことは自覚している。だが、それなりに誇りをもった連中であることも確かだ。」
祥瓊はそれに頷く。ここまで規律正しい傭兵の集団というのも、なかなか見当たらないだろう。……そう、まるで訓練された軍隊のような……
「……けれども、恋に狂えば、それはどんな人間も形無しだ。……先の景王のように…………」
俺のように
祥瓊は事情がわかったように息を吐く。心当たりがなかったわけではない。気づかないほど愚鈍でもなかった。ただ、祥瓊が考えていたよりも、事態は深刻だったのだ。
訓練された誇り有る兵士だからこそ、最悪の事態は免れているのだ。
「わかったわ。それであなたが矢面に立ってくれたのね。」
「……まあな。俺は一応――だ。やつらが咄狂とちくるってもやられないだけの腕力もある。万一狙われるとしたら俺になるし、俺が睨みをきかせている以上、祥瓊に身の安全は保障できる。」
最初の方は聞き取れなかったが、祥瓊は彼が絶対の自信を持っていることが分かる。そして、彼がこの中の長だということも。
桓魋は抱きしめた腕を緩めた。彼女は理解した。
だが、祥瓊は離れない。離れないまま聞いた。
「何人減ったの?」
「……三人減って、今は二人だ。」
祥瓊は苦笑する。彼らに二人の会話は聞こえているはずがない。耳元で話している彼ら自体が、聞こえるかどうかというギリギリの範囲で話をしているのだから。
聞こえない彼らには、ただ愛を囁きあっているしか見えないはずなのに……。
「一階にまだ人が残っているかしら。」
「気になるのか?」
「一応、人の気配がするのが分かるんだけど、……何人残っているか、なんてやっぱり無理ね。」
「傭兵の真似なんかしなくてもいい。……もし、誤解が嫌なんだったら言ってくれ。正直、俺にはこういう形でしか祥瓊を守るすべが見つからなかった。……もっとも、事情を話すなら、誤解を解きたい相手だけに限ってほしいがな。」
卑怯だ、と思う。本当はもっと考えれば策があったのではないのだろうか。ただ、祥瓊を他の男に渡したくなくて、こんな策を弄しただけなのではないのだろうか。
たとえば、ただ祥瓊をここから解放する。祥瓊は自分たちから離れても、裏切る行為はしないだろう。
……それができない。

祥瓊を離すことはできない。

「そうね。誤解を解きたい人なら……いるわ。」
祥瓊はクスリと笑って桓魋に近づいた。桓魋の方が、強張る。
「そうか。」
祥瓊の言葉に、落胆を隠すが精一杯だ。桓魋は明るく微笑む。それが成功しているかどうか、などと今は気にしなくていい。二人の人間が覗いているため、離れて……顔を見て話すことができないのだ。
「その前に、残り二人の観客が邪魔ね。」
祥瓊はそういうと、桓魋の首に腕を回し、唇を重ねた。当然ながら桓魋は目を見開き、同時に扉の向こうの人間も腰を抜かす。
鈍い音と共に、扉から人の気配が離れるのが、祥瓊でも感じられた。
「……いった……みたいだな。」
動揺のため声が上ずっているが、そんなことは気にしていられない。
祥瓊はくすくすと笑うと、桓魋を見る。いたずらっぽい表情だ。
「……桓魋も、本当は誤解されて困るんじゃないの?」
今まで自分の唇に触れていた、彼女の唇。先ほどとは違い、艶やかな輝きを増している。
「…………俺は別に。」
抱きしめたくなるのをこらえるのが精一杯で、言うな、と言いたくなるのをこらえるのが精一杯で、桓魋は祥瓊を見ることができない。
「そう、よかったわ。こういう誤解は嫌だもの」
祥瓊はそういうと、桓魋の首に回している腕に力を込め、自分に引き寄せる。こうなると麦州師将軍という肩書きも形無しで、熊の半獣という怪力も役にはたたない。
祥瓊に導かれるまま、再び唇を重ねる。
今度は桓魋も、祥瓊の腰に腕を回した。
覗き見ている不届きものは、今はいない。けれど、二人は抱きしめあい、唇を交わす。
誤解を誘うのではなく、真実の抱擁と接吻。
祥瓊の腰は、力を込めると砕けてしまいそうになるほど細く、このときほど己の怪力を憎んだことはない。思いのまま彼女を力強く抱きしめることができない。
けれど現状、彼女を守る力は、その怪力に他ならない。
所詮はないものねだり。
だが、今は抱き合っているのが真実。
口を開けての接吻を、どれだけ繰り返したことだろう。
一階にも人の気配がしなくなった。
各々の仮の宿に向かったか、傭兵の仕事場に向かったか。それとも桓魋の差し出した金銭で妓楼か自棄酒やけざけか。
祥瓊は首から腕をはずし、桓魋の胸元の服を握りしめて肩に顔をうずめる。案の定、引き締まった筋肉の感触。その腕に抱かれているのは心地よい。
「桓魋、ちゃんと私を守ってよ?」
「安心しな。誰にもお前を渡さない。……仲間であれ、呀峰であれ……。誰にも。」
「……ありがとう。」
祥瓊は今度は力を抜いたように桓魋に寄り添った。肩に顔を埋めたまま、桓魋の膝に座り、手を握る。桓魋としても、握られた反対側の手で祥瓊の肩を抱く。
ゆっくりとした、そこだけ時間が止まっているかのような……春の陽だまりのような空間。
二人はそれを感じていた。

「なあ祥瓊……」
「………………。」
「生きて……生きてこの乱を終えられたら……。」
そんなことはありえない。
戦いの最中に死んだら、
この叛乱が失敗したら、
景王が現状に気づいてくれなかったら、
そしてもし叛乱が成功しても、首謀者は間違いなく死罪……
生き残る可能性は、万に一つ

けれども生きていたい。
再び彼女を腕にしたい。

引き裂かれた心は、如何様にもできず、ただ無茶苦茶に彼女を欲してしまいそうで気が狂いそうになる。
逃げることを考えることができるのなら、祥瓊は彼に惹かれなかったのだろう。

「終えられたら、一緒にいられると……いいな。」
願いが叶うのなら。
「………………。」
祥瓊の返事がないことに、不信を感じて彼女を覗き見る。




「…………寝ている……。」

こんなにも、安心されているのは名誉なんだか悲しいんだか。
桓魋は祥瓊を抱きかかえ、臥牀に運んだ。しかし、自分だけが外から覗ける榻に寝ることは、少し躊躇われる。
誤解を受けるなら、徹底的にするか、と桓魋はそのまま隣に身体を休めることにした。

衾褥の下で手を握る。
「終えられたら、一緒にいられると……いいな。」



これからしばらく祥瓊は、寝ている間にこっそり桓魋がつけた首筋の赤い痣に、守られることになる。


This fanfiction is written by Okamoto Satomi in 2003.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


正式タイトル「アナタ八ンの女王」(苦笑)。(さすがにヤバくてやめた(滝汗))
カップリングはともかく、こういう問題があったのではないでしょうか?鈴も。
どーでもいいけど、こやつらいっぺんに酒屋や妓楼に行ったら目立つこと請け合い(苦笑)。

熊はネズミと違ってちゃんと攻めます(笑)。
なんか、この桓魋苦悩してますけど、目上の人(主上や恵州侯)相手なら、朗らかにいっているけど、 自分が将軍として、一番上に立っているときは無茶苦茶悩んでると思うんですよ。私的に(爆)。
Level3の続きもありますが、どうしましょう……(書くだろうな、私なら……)
これも圧縮ありませんけど適当に。


岡本さんの語り口が面白いので解説毎持ってきました。
解説のレベル区分はおきらくで確認して下さい。面白いですよ。Level3の続きもあります。
(メニューに近道リンクがありますよ♪)
後日談のイラストはNEXTで・・・


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