闇燈す灯り

(2)


 冬の玄浪の寒さは予想以上のものだった。
 その名の通り、闇い色をした冬の虚海が見渡す限り広がり、荒い波が防波堤を容赦なく叩く。冬が来る度に強く冷たい風にさらされる石造りの街は、塀も壁も厚く、厳しい冬を耐えるに足る重厚さを湛えていた。

「雁の港町って、どっしりしてますね」
「このあたりは、雁でも北だからな。条風を防ぐためにどうしても造りがごつくなるんだ」
「そういやここって、初めて範の御仁と仕事したとこだよな」
 六太が思い出したように呟いて主に目を遣ると、尚隆も頷いてみせた。
「氾王と?」
「そう。三百年くらい前だったかな」

 三百年というと、登極して百年経った頃か。

 今の自分と同じ時を経た氾王――想像してみたが、陽子にはどうしても今の氾王しか思い浮かばない。
正直にそう言うと、延王が苦笑しながら言った。
「あいつは、昔からあの調子だ」
「流石に最初は、猿呼ばわりされてなかったけどな」
 すかさず、六太が半畳を入れる。
「喧しい。それはお前も一緒だろうが」
 と言い返してから、
「丁度、匠の国として名が通り始めた頃だったのだがな、あの仕上がりの緻密さというか精密さには驚かされたものだ」
「うちは大雑把だからなあ」
 六太が苦笑する。ほら、と指差されて、つられて堤に目を遣った。
「御蔭で、あれだけの波が毎年打ち寄せても、堤の内が大きな被害を受けたことは一度も無い」
 激しい波と風にも少しも揺るがない堤が、氾王と――傍らの王の、どんな時も毅然と立つ彼らの姿に重なって見えた。
 いつものように、街外れの野原に向けて歩きながら、尚隆が言った。
「あの野郎が登極する前に左程荒れていたという訳じゃなかったが、範は元々何も無い国だからな。慶とは別の意味で、あそこまで持っていくのは大変だったろう」
慶の場合は、資源には恵まれているが、胎果の女王という最悪に近い条件だったうえに、国土は長く荒廃していた。
 ちらりと自分を見た二人の視線に気づかず、『互いに、相手がいない所では素直に認めあうんだけどな』と苦笑しながら、陽子はぼんやりと街を見て歩く。

 城門を出て暫くして街を振り返ったとき、ふと、街が普通よりも少し大きいことに気がついた。
「玄浪って、普通よりも大きくありません?」
「ああ、途中で拡張したんだ。港町は、広い荷捌きや倉庫が要るからな。最初は普通の大きさだったんだが、段々と手狭になって、という訳だ」
「なるほど。うちも最近海路が増えてきてるんですよね・・・」
 だが、慶と玄浪では、そもそも立地からして全く違う。慶の場合、暖かく、丁度河口に位置していることもあり虚海側でも波も比較的穏やかで、蓬莱で例えて言うと横浜のような趣に近い。

「慶は暖かいから・・・うちなら」
 防寒防風だけでなく、もっと色々と考えられるかもしれない。

 そう思った瞬間、自分を覆っていた硬い殻がパチンと割れた気がした。
世界が鮮やかに息を吹き返した気がする。
 
「何なに?」
「慶ならどうすると?」
 途端に頭に渦巻きだした諸々の考えを深呼吸してまとめ、二人の意見を聞いてみようとして――思いとどまった。
「内緒です」
 澄まして答えた陽子に、六太が顔を輝かせながらも唇を尖らせる。
「ええー?内緒なのか?」
「はい」
 悪戯っぽく微笑んだ陽子の腕に、華奢な体が絡みついてきて、
「教えてくれたっていいじゃん。陽子ぉ」
 六太がねだる。
 笑いながら。

 だから陽子も、おそらく彼らが一番喜ぶであろう答えを返した。
黙って見守ってくれた、感謝を込めて。
「1年・・・じゃ無理かな。5年後を楽しみにしていてください」

 二人は顔を見合わせた。
「景女王は吝嗇家だな。なあ、六太?」
「だよなー」

 そう言って、これまで見た事がないくらい、嬉しそうに笑った。

 陽子は、野原の向こうを見つめながら考え込んでいた。

 泰麒を捜索した時。
 延王は、『雁だけでも問題は山積している』と言った。自分は、あの言葉の意味を、百年経っても判っていなかったのではないだろうか。
 このままいけば壁に当たる、と思った自分は、何と考えが甘かったことか。壁に当たるどころではない、これからが大変なのだ。基盤が整った今、漸く国を豊かにするためのスタートが切れるのだから。
今の陽子は――慶は、王として民に保証すべきことを与え、大規模な改革や整備を行うだけの体力を蓄えたに過ぎない。
 かつて氾王が匠の国を目指し、成し遂げたように。
 国をより良くするために。
 慶の目指す姿を探し、実現するために。
 全ては、これから始まるに等しい。

 国には『完成形』というものは無いのだから。

 陽子は風のなか、毅然と背を伸ばし、
 真っ直ぐに前を見つめる。

 長き道に挑むかのように。
 風雨に立ち向かうかのように。

 それは陽子にとって、はじめて玉座が「斃れるまで与えられる天命」ではなく、「自分の意志で座り続けるもの」だと思えた瞬間だった。

 ぱらぱらと雨が髪に落ちかかり、尚隆が、空を見上げて晴れやかに言った。
「雨が降ってきたな。そろそろ街に戻るか」
 陽子と六太に向き直り、
「馬車を停めてくるから、木の下で雨宿りをしていろ」
 そう言い置いて歩きだす。
と、突然、強風が吹きつけてきて、自分の体を抱きしめ身を震わせる。
(うう、いきなり寒くなった・・・・・・)
 心中呟いて、ふと原因に思い当たる。
「・・・あ・・・・・・」
 辺りを見回すと、ざあっ・・・・・・と音を立てて、草が靡いている。
――延王の歩みの軌跡を描くかのように激しく波打つ草を見て、陽子はようやく気づいた。

 彼がいつも風上に佇み、まだ冷たい早春の風から護ってくれていたことに。

 弾かれたように後を追い、追いついてがっしりした腕を掴むと、尚隆が振り返った。
「延王!あのっ」
「どうした?」
 訊ねられた声音と表情の優しさに、『ありがとう』の言葉が行き場を失う。

 陽子は、咄嗟に襟巻きを外して差し出した。
「これ。濡れないように、頭に巻いてください」
 雨は徐々に強くなり、黒髪に水の珠が貼りついている。尚隆は、微笑んで首を横に振った。
「俺はいい。それでは、おまえが寒かろう」
「私は――私は、これがあるから大丈夫です」
 そう言って、帽子になっている部分をすぽんと頭に被ってにこっと笑う。
「そういえば、薄着の割に暖かそうだな」
「延は慶より寒いからって、皆が色々持たせてくれて。これ、二重になってて中に羽毛が入ってるから、軽いけどとても暖かいんですよ」
「そうか。ではありがたく借りるとしよう」
 軽く笑うと、襟巻きを受け取ってくれた。
「今度、その外套を俺にも作ってくれるか」
「はい!」
 力強く返事をして大きな先達を見上げると、尚隆がもう片方の手で緋色の髪をくしゃくしゃと掻き回す。

 腕が陰になって、表情は見えなかったけれど。
 頭を撫でてくれた掌は、優しくて、とても暖かかった。

This fanfiction is written by Moriya Reikoi in 2003.

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