やさしい音


〜BBSにおける「木鈴」についての果実的考察〜

 何も持ってこられなかった。
 手に抱えていたはずのわずかな荷物も、
 前の昼に妹たちが掴んで離さなかったあの裾も、
 前の晩に母が握ってくれた手のひらのぬくもりも、
 巻き込まれたあの海の水に流され、冷され、
 何一つ持ってくることはできなかった。
 私一人、一人だけ、
 そして、この名前だけが・・・


「すず」
 呼ばれて振り返ると、大切な緋色の少女が匿ってくれるように両手を顔のところで「お願い」の形にすり合わせていた。
くすりくすりっと、笑いながら、埋もれるほどの布の塊を指差して、いざなって、洗いたての清潔な布で彼女の姿を覆い隠した。
 すると、声、
 彼女を探す高い声、
「もう、陽子ったら、どこにいったのかしら?」
 ひょいっと見ると、範の麒麟。執拗に柱の影を覗き込み、回廊をあちらへこちらへうろうろと、ひとつひとつの扉を開けて、世にも稀な美少女が怒ったように近づいてきた。
「これは、氾台輔」
 わざと驚いた風を装い、
「このようなところまで、どうかなさいましたか?」
 実際、王宮内といえどもここはいわば裏の部分、使われてない余った部屋を利用してこの宮の主が安らかな夜の眠りを得るための敷布を整えているところだった。友でもある少女王が気晴らしにやってくることはあっても、賓客である他国の麒麟が足を踏み入れるような場所ではないはずであった。
「ああ、ねえ、あなた。陽子を見なかった?」
「主上でございますか?」
 再び驚いた顔に黒い瞳をくりっと見開いて、わざと考える風に空を見たり園林を見たり視線をさまよわせ、
「あっ!」
 声を出して、
「な、なに?」
 びっくりして跳ね上がった氾の麒麟に、
「あ、あそこに、陽子、陽子!」
 誰もいるはずのない空間へと叫び、
「ああ・・・走って逃げてしまいました」
 さも残念そうに申し訳なさそうにうつむくと、
「あっちね、あっちにいったのね、」
 ありがとうっと、一声残して、氾の麒麟は誰もいない空間へと向かってかけていった。
 後にのこった、黒髪の女御、
 うつむいたまま、そっと、あとずさって、さっきまで敷布を整えていた房間に戻り、
 ぱたりっと扉をしっかり閉めて、
「さあ、陽子もう大丈夫よ」
 ぱっと、布を払いのけた。
 鮮やかな赤、それがふわりと動いて
「ありがとう、鈴、助かった」
 ほうっと、心底逃れられた安心感で、ぺたんと座りなおしたものだから、
「一体、どうしたの?」
 好奇心を抑えられずに聞いてみた。
 それに、いつもは打てば響くような答えが返ってくる彼女なのに、どこか迷ったような瞳を空にさまよわして、
「う・・ん・・いや、」
 くすくすと鈴はその困ったような顔に笑いかけて、
「いいわよ、言わなくても」
 こつんと、額をつついて、友である少女王に言った。
「いや・・・」
 それに、何を感じたのだろうか?
「あのさ、鈴」
 それとも、誰かに言ってみたかったことなのだろうか?
「名前って、どう思う?」
 少女王が聞いた。
「え?」
「いや、だから」
 珍しく歯切れ悪く。
「・・・氾台輔が、くるたびに言うんだよね」
 ほうっとため息をひとつ。
「景麒に字はまだないのかって・・・」
 そして、ごろりっと四肢を投げ出して、
「まいったよな、よりによって景麒の前で聞くんだ、あの方は」
「陽子、こら、せっかく畳んだのだから、くちゃくちゃにしないでよ」
「ああ、ごめん」
 むくりっと起き上がり、
「そんなに簡単になんか、つけられるもんじゃないと思うけどな」
 つぶやくように言った。
「そうね・・」
「ね、鈴もそう思う?」
 くすりっと、笑いつつ、
「そうね、でも、延台輔は『馬鹿』と延王に字を賜って、こんなのいやだと仰せなのでしょう? 景台輔にはそのようなことを言われないような御名を賜りますよう、お願いいたしますね、主上?」
もう一度、少女王の額を人差し指でぴんっと弾いた。
「う・・・・うん・・・。やっぱり、変な字だと、恨まれるよね」
「そうね、うらんだわね」
「え?」
 鈴の何気ない一言を拾って聞き返す、
「あら、言ってなかったかしら? 私、才で、翠微洞の梨耀様に『笨媽』って、呼ばれていたの」
 にっこり笑って鈴は言う。
「『愚か者』まさにそのとおりだったんだけど、嫌だったな。嫌で、嫌で、どうしてこんな名前で呼ばれなくちゃいけないんだろうって思ったけど・・・」
「・・・」
「仕方ないよね、梨耀様はきっと私のことが嫌いだった」
 ぱたぱたと手際よく布を畳み、積み重ねつつ言葉をつむぐ、
「あら、やだ、陽子ったら、そんな顔をしないでよ」
「・・・うん。・・うん、でも・・ねえ、鈴」
「なあに?」
「梨耀様以外の人もいたのでしょう?その人たちは何て呼んでいたの?」
「ああ、『もくりん』よ。大木鈴だから、『木鈴』安易よね」
 それもあまり好きじゃなかったけどね、と言おうとした鈴の言葉は、
「木鈴か、かわいいね」
 という少女王の言葉で封じられた。
「え?」
「うん、かわいい、大木鈴を途中で切った名前だけど、すごくいいね」
緑色の瞳が鈴に笑いかけて、朱の唇がその名前を反芻する、
「木鈴か・・」
「陽子・・・」
「ね、鈴、『鈴』っていうと、あのチリンチリンって鳴る金属の鈴のイメージだけど、『木鈴』っていうと、木で作った鈴だから、カランコロンってやさしい音がするような気がしない?」
「・・・陽子ったら」
「いまさら、鈴のことは鈴以外には思えないけど、『木鈴』っていうのも、やさしい感じで、きっと『木鈴』って最初に呼んだ人は鈴のやさしいところ、そばにいると安心するとこととかが、きっとわかっていたんだね」
「まあ・・・陽子ったら・・・」
 くすくすっと、少女王は口元をほころばせ、
「そうしたら、どうしよう・・・。景麒らしい字を考えなくちゃいけないってことか」
 難しいなっと、彼女は言う。
「ねえ、陽子」
「うん?」
「大丈夫よ」
「え?」
「どんな名前だって、陽子が呼ぶのだったら・・・台輔はきっと、うれしいわ」
「そうかな?」
「ええ、だって、台輔は陽子のことが好きだもの。好きな人から呼んでもらえるのだったら、きっと、どんな名前だって・・・・」
 くすりっと笑って鈴は言う、
「ほら、延台輔だって、延王に『馬鹿』って呼ばれておこっているけど、あれって、結構うれしいみたいよ」
「そう・・・だね」
 こくりっと鈴は頷いて、
「ほら、そろそろ行かなくちゃいけないんじゃない?」
 ぽんっと今度はその背をたたいた。
「うん、じゃあ、いくかな」
 ぴょんっと立ちあがり、
「鈴」
「なあに?」
「ありがとう」
 緋色の髪が、ゆらりとゆれた。
「ありがとう、鈴、相談に乗ってくれて」
 にっこりと笑う友人に、鈴はゆっくりと頭をふって、
「あら、陽子。お礼をいわなくちゃいけないのは、私よ」
 ふふふっと、笑った。
 わからずに首をかしげる少女王の背をせかして部屋から追い出して、回廊を歩み遠く小さくなるその後ろ姿をながめ、
 そうして、もう一度、鈴は笑った。

 ・・・木鈴・・・

 嫌いだった。
 そう呼ばれるのが嫌いだった。

 何も持ってこられなかった。
 あの海に流され、冷やされ、
 これしか残ってなかった。
 だから、それを大切にしたかった、すがりつきたかった。
 だから、壊されたくなかった、裂かれたくなかった。
 なのに、なのに、

 ・・・木鈴って、やさしい音がするね・・・

 木鈴・・・

 ・・・木鈴

 嫌いだった。
 そう呼ぶ人が嫌いだった。
 そう呼ぶ人は私のことを嫌いなんだと思っていた。
 でも・・・

 ・・・・カランコロンってやさしい音がするね・・・

 やさしい声が呼んでくれる。
 私の好きな人たちが呼んでくれる。
 私を好きでいてくれる人たちが呼んでくれる。
 私の名前、
 大丈夫よ、きっと、
 好きな人が、
 好きと思ってくれている人が
 呼んでくれる。
 それがどんな名前でも、どんな音でも、
 だいじょうぶよ。
 きっと、やさしい音がする。

 もう、だいじょうぶ

 やさしい音

 ほら、

 ね?

 聞こえるでしょう?

    ・・・呼んでいるわ


This fanfiction is written by KOORERUKAJITSU in 2004.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


<凍れる果実様後書き>

「お前は、自宅があるのに、人様のお宅でなにをやっとるんだ!!」
とは、重々承知をしております。はい・・・・。

以下、いいわけです。

 先日、「Albatross」様BBSにて鈴の「木鈴」についての話題がございました。そのときに不肖果実も参加させていただいたのですが、その後、いきなり、天から上記の【やさしい音】が降ってきました。
 自宅があるのだから、自宅でやれとは自分の理性が申しましたが、「木鈴」のこと自体はこちらさまでの皆様のお話によりて、湧き上がってきましたものでしたので、まず、こちらにお邪魔させていただくことにしようと厚かましくも参った所存でございます。

 翠玉さま、皆々様のお目汚しとなり申しわけもございませんが、これもそれも、居心地のよい、「Albatross」さまの魔力のせいでございましょう(←おい、人様のせいにするつもりですか?自分)

<管理人後書き>

当サイトの掲示板で「木鈴」の話題を振ったのは玉香様からだったのですが、非常に十二国記サイトらしい有意義な盛り上がりでした。(管理人はあまり関与していません ^^;)
その書き込みから天啓を受けて当サイトの小説掲示板に寄稿して頂いた作品です。棚ぼたゲットとはまさにこのことですねv
厚かましいなんてことは御座いません。お邪魔なんてとんでもない! 大歓迎ですよ〜♪

凍れる果実様の文章は流麗で詩的で絵画的イメージを添えてくれます。背筋がぞくりとくる黒い作品や、妖しく麗しい薔薇色の作品、そして今回のような優しく癒し系な白い作品まで、まだ見ぬ世界を繰り広げてくれるのです。
過去の暗い思い出までをも塗り替え、心を潤すこの作品は天使の羽根に包まれるような心地よさです。こんなイレギュラー・サイトに降りてきてくれて天にも感謝をしてしまいますv


Albatross−珠玉作品蒐集部屋−
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