黎 光



黎明をもたらすその一筋の光を、陽子は好んでいた。

薄闇の中で露台に佇む陽子の背に、延王の苦笑が被さる。
「俺の腕よりも、朝日に抱かれたいと望むか。」
柱を背に揶揄うような言葉を滑らす、そんな何気ない姿さえ様になる美丈夫に、微笑みで答えた。
薄明の中の逆光では、男にそれが見えるかどうか怪しかったが。

裸足のまま走り寄り、とん、と胸に身体を預けた。
男は柔らかく抱き締めると、紅の髪に頬を寄せながら苦情を言った。
「こんなに冷えて。」
言葉は苦々しげながら、仕草は優しい。
「せっかく温めてやったのに。」

「慶国はいまだ黎明です。」
対して女は、甘えかかるように男の胸に身体を寄せていながら凛と響く声を発した。
「あの一筋の光を見て、思うのです。わたしの国に、今日も朝は来てくれたのだと。」
至らない王を、まだ天は見捨てていないのだと。

恋人であり、隣国の王でもある男はしばし黙っていた。
そして、いきなり飄々といった呈で思いがけぬことを言った。

「蜜月の旅とやらに出ぬか。」
「は・・・。」

唐突な言葉に、唖然と見上げる陽子だったが、延王はにやりと笑ってみせる。
「蓬莱では、そう言うのだと聞いたぞ。婚姻を結んだばかりの男と女が、永遠を契り交わすための道行きに出ると。」
「・・・・誰からきいたんです?」
「誰というわけではない。海客などから聞いた話を繋げて、俺が俺の流儀に理解した。間違っているか?」

・・・少々違う。
だが。
蜜月だの。
道行きだのと言われると。
その古風で雅な響きだけにくらりとしてしまうではないか。

「どこへ行くというのですか?」
言葉がつい剣呑になってしまうのは、心の臓をゆさぶる微妙なさざめきを抑え込むため。
「蜜月に相応しいところだ。」
「そんなところがあるのですか。」
「ある。」
自信満々に答え、延王は笑った。
「景王におかれては、朝日をことのほかお喜びになるとのこと。十二国で最も美しい朝日を、拙めがお見せするとしよう。」
道化じみた口上を、だが内緒事を囁くように発し、男は再び腕の中の少女を抱き締めた。


「なんだ。もうバテたか。」
揶揄するような言葉に、陽子は延王を睨みつけた。
・・・・ハイキングをするなんて、聞いてなかった。


「騙されました。」
「何を人聞きの悪い。」
「世慣れた男の口説き文句に騙されてくっついて来た小娘の心証です。」
本心ではないものの、顔つきは大真面目な陽子に、延王は手を差し出す。
「ほら。」
力強い手が、陽子の手を握りしめた。

刻は夜明け前。
まだ薄暗い中を、二人は山道を歩いていた。
山といっても、森の山ではなく、堅い岩肌の覗く石の山だ。
道の傾斜は緩やかではなく、健脚をもってしても寡少ではない疲労をもたらす。
美しい朝日を見ようなどと唆されて、このような険しい道を息切れしながら歩かされては怨み言のひとつも言いたくなるというもの。

延王は決して急かしはしないが。
あまりのんびり歩いてもいられないという風情を漂わせている。
昇る朝日を見るのだとわかっているからそれは当然ともいえるのだが、脚を一歩前に進ませるのも難儀ないまの陽子には、恨めしいとしか思えない。

「おや。ご同類が揃ってきたようだぞ。」

面白そうに、延王が笑んだ。
そう言われてあたりを見回すと、奇妙な風景に気付く。
自分たちのような、若い男と女の組み合わせが何組も同じように歩いていた。

足取りの重くなった女と、それを労るように励ます男がいれば。
疲労困憊の呈の男と、それを引き摺るように歩いている闊達な女がいる。

「縁起のいい山なのだそうだ。」
延王が呟くように言った。
「この山の頂上から見る朝日を拝むと、家中が富み栄えるらしいとの噂だ。世帯を持ったばかりの男と女が、こうしてともに苦しい道を歩いて、頂上を目指す。」
「へえ・・・。」
国の仕組みの根本を整えることに忙しく、陽子は最近市井に降りていなかった。

いつの間にそんな、「観光名所」が出来ていたのか。
隣国の王に教えられるまで気付かぬとは。

やがて、頂上が見えた。
驚いたことに、何組もの若い夫婦が、一様に東の空を眺めながら日の出を待っていた。

「間に合ったな。」
ほっとしたような男の声に、陽子もほっと一息をつく。

「あ。」

ついたところで、気付いた。
そこに集う皆が見つめている東の方向にあるものに。

「あれは・・・、尭天山・・・。」

その距離は決して近くなく、しかも夜明け前の薄明、幻のようにしか見えなかったのだが。
まぎれもなく、それはその頂上に王宮を戴くこの国の首府だった。

「あんなに、小さいんだな。」
慶の民が愛する、この山の頂上から見てみれば、尭天山も小さな遠景に過ぎない。
その上にある金波宮など、雲海に遮られて点ほども見えない。

知らず、溜め息が漏れた。

「あんなところに、私はいるのか。」

不可思議な感覚が身体を駆け巡った。
民の一人としてここから眺めた首都山の、なんと遠いことか。

隣で男が小さく笑ったのを感じた。
「可笑しいですか。」
何百年という長き春秋を王として生き抜いてきたこの男には、こんな地に足がつかないような奇妙な感覚とは縁がないのだろうか。

「いや。たしかに、おまえはあそこにいる。」
それ以上笑うことはせず、延王は意味あり気に言った。
「そしておまえの民は、それを識っている。」
「え・・・?」

その時、周囲に集っていた人々が騒めきだした。
皆が一様に、東の空を指差す。


日の出だった。

遠く霞む尭天山の背方に、一筋の光が走った。


有難いものを拝むように、あるいは心休まるものを前に寛ぐように、人々は黙ってその光を見つめていた。

「東国には、富士という美しい山があると聞いた。」
ふいに、延王が口を開いた。
「高さもさることながら、その美しさに人は霊験を覚えるのだと聞いた。」
「はい。」
霊験などというものが、意味を持たなくなって久しい時代の蓬莱しか知らぬ陽子だったが、それでも頷いた。
何かを、理解しえたように思えたから。

その時、思いがけない言葉が聞こえて、陽子ははっと息を詰めた。
陽子の後ろで、若い男が妻らしき女に幸せそうな笑みを向けている。
「あの上に、主上がいらっしゃる。」

夫は、たしかにそう言った。
「ええ。」
頷く妻の顔は、穏やかだ。


「なぜここから見る曙光が縁起がいいと言われているのか、知っているか。」
その問いに黙って首を振る陽子に、延王はやはり小さく笑った。
「尭天山から昇る朝日を、見られるからだ。」
「え?」
「王都を照らす太陽を見たいと、慶の民はここへやって来るのだとさ。」
確認するかのように、心持ち大きな声で言った延王に、応ずる声があった。

「ああ、今上の主上は、陽子様とおっしゃる。」
若くて晴れやかな、青年の声だった。
「主上は、俺たちの太陽でもある。違うか。」

微かに笑みを漏らすだけで答えない延王のかわりに頷いたのは、周囲に集っていた他の者たち。

「主上にはめったにお目にかかれないけれど、こうしてここで尭天山に昇る朝日を見ると、主上と盟(ちか)い交わしている気持ちになる。」
「そう、新しい一日と、この国の未来を。」
「お、昇るぞ。」

たった一筋の光だった太陽が、橙色の輝きとともにその全容を表す。
強い照射に、首都山は黒い影となった。

「不思議です。」
男の広い胸に身を寄せ、陽子は呟いた。
「さっきまではあんなに遠かったのに。」
遠かった金波宮が、すぐ隣にあるような親しさを感じる。

「女王様には、この朝日がお気に召しましたでしょうか。」
恭しげな口調と相反して、男の指は陽子の髪を自在に玩んでいる。
「そうであれば、是非とも御褒美を頂戴したく存ずるのですが。」
さらに続けられた、言葉とは裏腹な図々しい申し出に、陽子は小さく笑んだ。

そしてゆっくり、唇を寄せた。


This fanfiction is written by H.v.H in 2003.

[無断転載・複製禁止] Reprint without permission and reproduction prohibition.


中国・山東省にある『泰山』を想定したそうです。碧夏玄君の祠廟もあるそうですよ!
やはり、陽子が民に愛されている話はいいです。至福に浸れます。こういう大パノラマで書かれた日には、惚れ直します!はー様〜vvV
おまけに尚隆のあの気障っぷりが心地いい、「女ったらし・・・」とも思わないではないですが、そういえば蓬莱からたらしなんだよな、と今更なことに気付きました。500年で随分と洗練されたらしい(笑)
対する陽子が陽子らしいままに可愛いのがまた、くらりとくるのです。
はー様の作品はエンターティメント性が高くて本当に新作が楽しみです。
未読の方は棕櫚の庭園へ(メニューに近道リンクがありますよ♪)



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